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月の神話  作者: 佳純
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1 ゆがんで綺麗なトライアングル

 海神ポセイドンの息子、オリオンは、誰もが見惚(みほ)れる美丈夫(びじょうふ)だった。


 体も大きく、猛々しい筋肉。すっと立った時のバランスもよく、その美しい顔の邪魔にならない肉体。さらに、狩りの腕前は素晴らしく、アルテミスはその腕前に惚れこみ、恋人にしたと言われていた。


 月の女神アルテミスは、狩りの女神であり、その他にも、森と野生動物と出産の女神で、神々の中でも特に有力とされるオリンポス十二神の一柱(ひとはしら)だった。


 さらに、アルテミスは純潔の女神だった。三歳の時に、父のゼウスにそれを願い、ゼウスはそれを認めた。男を嫌い、精霊(ニンフ)たちを周りに置き、軍神アテナと共にそれを貫いてきた。


 その純潔の女神の二大巨頭のひとりが崩れ、アルテミスとオリオンの結婚も間近だと噂されていた。




***




 オリオンは、アルテミスが住む美しい森にいた。樹々が繁り、野生生物がいて、彼女が守り、統治する場所。この森は全ての森に通じ、どこからも入ることができない。彼女の意に添わぬ者は排除される。けれど、一度そこに来てしまうと、決して忘れることができなくなるほど美しい場所。


(本当に、俺が恋人でいいのだろうか?)

 家の外でアルテミスを待っている間、オリオンは考えていた。


 海神の息子だったオリオンは、大海原を歩いて渡ることもできたが、今はアルテミスと一緒に過ごすために森の中で暮らしていた。


 狩りの腕前はアルテミスをしのぎ、ポセイドンの息子の中でも群を抜いて素晴らしい能力を持っていたが、オリンポス十二神に入れられていなかった。オリンポス十二神は、ゼウスの兄姉とゼウスの子供で占められていた。


 また、これとは別に、女にちょっかいを出しては、振られまくるという過去も持っている。ただ、それはアルテミスに出会う前の話で、アルテミスと出会ってからは、彼女以外は目に入っていなかった。


(噂など、当てにならない)

 アルテミスは男が嫌いで、姿を見られただけで襲い掛かってくるような怖ろしい女神だと噂されていた。けれど、実際に会って目にしたアルテミスは、無邪気で愛らしく、思いやりのある女神だった。


(この森は、アルテミスの心のように美しく、慈悲深い場所だ……)

 オリオンは目を閉じ、森の空気を吸う。優しく穏やかな風に包まれるようだった。


 オリオンは狩りの支度を整え、アルテミスの館の前で、恋人が出てくるのを待っていた。この後一緒に狩りに行く約束をしていた。


 緑を通ってきた陽の光が、オリオンに降り注ぐ。

 鳥の声が聞こえ、風が葉を揺らす音がする。


 アルテミスの元へ来なければオリオンにはわからなかった。こんなに優しい気持ちになれる場所があることを。


「お前はまだこんなところにいるのか?」

 それらをかき消すように、怒りを飲み込んだような声がする。


 オリオンは瞳を開け、声の方を見る。この森(アルテミスのもり)にいて、こんな横柄なことを言うのは彼しかいない。


「太陽神アポロン」

 アルテミスの双子の兄で、オリンポス十二神の一柱、太陽と音楽と医療と予言の神、アポロンだった。


「キサマに我が名を呼ばれるなど心外だ」

 アルテミスとは似ていない、オリオンと同じくらいの身長。けれど、ずっと華奢で優男風の黒髪の青年が眉間にシワを寄せ、憎き男を睨み付けている。


「アルテミスは純潔でなければならぬのだ。恋人など不要。さっさと()ね」

 アポロンは、オリオンのことが嫌いである。そして、妹の結婚話に良い顔をしていない。オリオンもアポロンが嫌いで、アポロンを見ただけでそれまで浮かれ気味だった雰囲気が険しいものになる。


「お前にそんなことを言う資格はない」

 憎きオリオンの言葉を聞き、アポロンは鼻で笑う。


「私はアルテミスの兄だ。アルテミスに何をしようと、誰にも文句は言わせん」

 口元に笑みは浮かんでいるが、目は怒りがにじんでいた。


「アルテミスはアルテミスだ。お前の持ち物ではない」

「そんなことを言うようなお前はではダメだ」


「だから、それはお前が決めることではない」

 二人の大男の言い争いは、周囲に被害が及びそうな勢いだった。


 そこに館から狩りの支度を済ませたアルテミスが出てきた。丈の短い(キトン)に矢筒を背負い、手には繊細な銀の弓を持っている。

 アルテミスは言い合いしていた二人を見ると慌てて間に入る。


「アポロン、オリオン、ケンカしないで」

 可憐な女神を見て、ヒートアップしていた大男たちが一気に冷める。


 幼い頃はアポロンと同じ姿をしていたが、背はアポロンほど伸びず、他の少女たちよりも少し高い程度だった。年頃になったアルテミスはおしゃれにも気を遣い、金色の髪の愛らしい姿になっている。


「ケンカなどしてはおらん。こいつが難くせをつけてきただけだ」

 アポロンがすぐにアルテミスに言う。


「そっちが先に言ってきたんだろ!」

 遅れをとったオリオンは、カッとなって言う。そんなオリオンを一瞥し、大事な妹の顔を自分の方に向ける。


「こんな男のどこがいいんだ?」

 アポロンは優しく言う。でも、アルテミスは困ったような顔をした。


「オリオンは私の恋人なの。ひどいこと言わないで」

 不満そうな顔をしていたが、愛らしい女神は十分に魅力的だった。


「こいつは女と見れば見境なく襲ってくるヤツだぞ。そんなヤツがお前の恋人など、私は許さん」

 アルテミスに言い聞かせるように言うが、アルテミスはじーっと兄を見つめる。愛らしい妹に見つめられ、アポロンは優しい瞳で見つめ返す。


「アポロン、女癖が悪い人の悪口、言えるの?」

「言えるぞ」

 アポロンはその美しい顔で微笑み、妹を見つめる。


「ウチのニンフたちからアポロンの苦情、けっこう来てるんだけど……」

 妹は覚めた目で兄を見つめた。


「う……」

 やや思い当たるフシがあった。


「アポロンに捨てられて男の人はもうたくさんって、ウチに来た子も多いよ」

 アルテミスのところには、六十人ほどのニンフがいた。


「……誰だ? それは」

 平静を装うが、アポロンの笑顔が強張る。


「いっぱいいすぎて誰だかわかんないんでしょ」

 アルテミスは楽しそうに笑う。


「いや、そんなことは……、そんなことはないぞ。えっと、あれか?」

 アポロンは記憶をたぐる。


「どれ?」

 首を傾げ、兄を下から見上げる。金色の髪がサラッと揺れた。アポロンはその髪にそっと触れた。


「お前の愛らしい顔を見たら、忘れてしまったよ」

 そう言って、アルテミスを抱きしめ、額にキスをする。


「もう、変な誤魔化(ごまか)し方するんだから」

「誤魔化してなどおらぬ」


 アポロンはアルテミスを抱きしめて言う。

 それをオリオンが引きはがす。


「アルテミス、狩りに行く支度はできたのか?」

と、言いながらアルテミスの肩を抱き、アポロンから遠ざける。


「あ、うん。できてるよ」

 女神らしからぬ丈の短いキトンから、形のいいアルテミスの美しい足が出ている。


「似合うけど、短すぎだよ」

 アポロンはしかめ面でそれを注意する。


「だって、(くるぶし)までのヤツ、走るのに邪魔だし」

 ふつうの女神は踝までの長いキトンを着ているが、狩りに行く時のアルテミスは少年が着る様な膝から下が出る短いキトンを着ていた。


「走るのはソイツにやらせなさい」

 アポロンはオリオンを指さす。


「ソイツ呼ばわりするな」

 アルテミスの肩を抱いたオリオンは、アポロンを睨み付ける。


「俺はアルテミスと共に走る。ズルズルした服ではアルテミスの魅力は引き出せん」

「お前には隠された物に対する美学はないのか?」

 アポロンが力説するのを、アルテミスは冷たい目で見る。


「アポロン、そういう目で物事をみるの、そろそろ卒業しようよ」

「私は芸術の神だ。もっと高尚な視点で見ている」


「そういえば、そうだったね……。いっぱいあるから忘れてた」

「私は自分の仕事を一瞬たりとも忘れたことはない」

 アルテミスは首を傾げる。


「私はこれから狩りをしながら森と動物たちの様子を見に行こうと思っているんだよ」

 それは、森と野生動物と狩りの女神の仕事でもある。


「けど、アポロン」

「なんだ?」

 アポロンは、愛しい女神に優しい笑顔を向ける。


「太陽出てるけど、ここにいてもいいの?」

 月の女神はニコニコと兄の太陽神に言った。


「少しなら大丈夫だ」

 涼しい顔で言うが、本当はあまりいられない。


「とっとと仕事に行け」

「キサマに言われたから行くのではないぞ。アルテミス、早くその男と別れるのだぞ」

 アポロンは去り際にそう言って森を出て行った。


 アルテミスは嬉しそうに兄を見送り、恋人に笑顔を向けた。

 大好きな二人に愛されて、彼女はとても幸せだった。




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