69 別たれた恋
マルグリットの話は、ジェラルドにとって意外なものだった。
「エリアスは勘違いしているのだ。私が恋慕した相手がお主だと」
そう言う若き女王の顔には、少しの皮肉が浮かんでいた。
対するジェラルドは憮然とするより他ない。
「しかしそれは―――勘違いなのだろう?」
「あたりまえだ! 世の中の女子が皆お主に懸想すると思ったら大間違いじゃ」
マルグリットの思わぬ反論に、ジェラルドは理不尽を覚えた。
(別にそんなこと、思っていない)
「―――と、エリアスにも言ったのだが、どうやらあやつは余が照れているのだと思ったらしい」
「それで貴殿が俺に恋慕していると勘違いして、わざわざ隣国から攫ってきたと?」
「そういうことに、なるな。それについては本当に申し訳なかった」
再び頭を下げようとする女王に、ジェラルドはそれよりもと話を続けた。
「ちょっと待ってくれ、エリアスはどうしてそんな勘違いをしたんだ?」
「それは……」
そう言って、マルグリットがスカートの隠しポケットから一枚のハンカチを取り出した。
「これを見られたのじゃ」
白のハンカチには、金糸の刺繍でジェラルドが団長を務める竜騎士団の紋章が縫い込まれていた。
刺繍自体は見事だが、布の材質は絹ではなく綿のようだ。
「これをどこで?」
ジェラルドにも、覚えのないハンカチだった。
マルグリットは記憶を手繰っているのか、苦しそうに眉をひそめた。
「……アーサーと、交換した」
「アーサーというのは……まさかうちのアーサーか!?」
ジェラルドが驚いたのも無理はない。
しかし他に、騎士団に関係のある“アーサー”が思いつかなかったのだ。
はたして、マルグリットはゆっくりと頷いた。
「そうだ。このハンカチと、余の顔を象ったカメオを交換した。せめてものよすがにと……」
ここまでくれば、さすがに朴念仁のジェラルドでもピンとくる。
大国の若き女王と、小国のそれも一介の騎士団員は、密かに愛を育んでいたらしい。
アーサーは二十七歳、マルグリットは十五歳という大層な年齢差だが、貴族同士の結婚ではさして珍しくもない。問題なのは身分差の方だ。
いくら貴族とはいえ、アーサーの実家であるヨハンソン男爵家は王族と結婚できるような血筋ではない。
少女が『よすが』と言ったのも、もう二度と会わないつもりだからだろうと容易く察しがついた。
身分が全てである貴族社会で、それを飛び越えて女王が勝手な結婚などできるはずもない。
「本気で言っているのか? 貴方が選ぶには、あまりにも……」
そして何かを考えるように、ジェラルドは宙を見上げた。
ジェラルドが考えるに、アーサーは女性に対してだらしのない男だ。
しかし後腐れのない未亡人ばかりを相手にしていると思っていたのに、どういう心境の変化だろうか。
そういえば女王の戴冠式に同行させて以来、どこか様子がおかしかったと思い返す。
(アーサーの馬鹿が。珍しく本気になった相手ということか)
ジェラルドは大きなため息をついた。
それをどう受け取ったのか、マルグリットが言葉を重ねる。
「無謀なのは、分かっている。何度も堪えようとしたし、アーサーがサンジェルスを去って以来手紙すら出していない。完全に諦めたつもりだったのに、まさかエリアスが勘違いしておぬしを連れてくるなんて思わなかったんじゃ」
若々しい可憐な顔は、毒を飲んだかのように苦渋のそれに変わっている。
彼女がどれほど悩みぬいたのか、それはランプの薄明りに照らされる表情が全てを物語っていた。
ジェラルドは思わず言葉を無くす。
彼は目まぐるしく頭を働かせた。
女王に頼んで城を抜け出し、ファーヴニルに戻ることは簡単だ。
しかしエリアスが簡単に諦めるとは思えなかったし、戻ってもファーヴニルでは既に女王とジェラルドとの婚約が発表されている。
帰れればいいという問題ではない。
事は単純な勘違いにとどまらず、既に二国間の国際問題にまで発展しているのだ。
「分かった」
低く、ジェラルドが呟いた。
マルグリットは、怪訝そうに目の前の男を見上げる。
「どうした? 何が分かったのだ?」
するとおもむろに、ジェラルドはマルグリットの耳に唇を寄せた。
驚いたマルグリットは、反射的にほんの少しだけ体を引く。
「女王。その件、私に任せてみる気はないか?」
そしてジェラルドが語り始めた提案は、マルグリットにとって思いもよらぬものだった。




