1裏切りを知る
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少しだけ開いた扉の向こうで男女が深い口付けをしている。まるで、この世界には2人しか存在しないかのように。
――エレンは息をすることを忘れた。
相手の男は私の婚約者であるジミー。相手はメイド。ジミーの愛おしげな指先が女の髪を執拗に乱していく。
後1ヶ月で結婚式を迎えるはずだった。
胸を鋭利な刃物で抉られたような激痛が襲う。
視界がぐにゃりと歪み立っていられない。
その場に崩れ落ちそうになる身体を必死の思いで堪えた。
指先が氷のように冷たくなり、上手く呼吸ができない。
今日は結婚式の打ち合せて彼の屋敷に来ていた。
ウエディングドレスのサイズの最終確認と招待状の返事のチェックが終わったので、ジミーに会うつもりで執務室に足を運んだ。
いつもの優しい笑顔で迎えてくれると信じて疑わなかった。
だが見せられているのはこれから来る地獄の様な生活のほんの序章なのだろうか。
温かい手がそっと肩を抱いた。侍女のサラだった。
黙って手を引き馬車に乗せてくれた。
「お嬢様… …」
「大丈夫よ。負けないわ…。分かって良かった…のよ」
婚約は両家の父親が仲がよいので結ばれたものだ。
婚約して3年愛されていると思っていたし、好きだった。
何度もデートもしたし、プレゼントも贈りあった。
このまま幸せな家庭を築くのだと思っていたのはエレンだけだったようだ。
騙されていたのだ。激しい吐き気がこみ上げる。
私が来る可能性が高いのに求め合わずにいられないほど2人は溺れているのだと思うと、気持ちはずぶずぶと地の底まで沈んだ。
ジミーは貴族らしい整った顔と柔らかな物腰、子爵家嫡男という地位で学院でも人気があった。
女子生徒に見向きもしないので安心していたが、身近なメイドと浮気をしていたのだと思うと気持ちはすっと冷めた。
恋は終わった…。 大切なのはこれからどう動くかだ。
エレンは冷たくなった手を爪が食い込むまで握りしめ静かに前を見据えた。
父が婚約破棄を認めてくれるとは限らない。
このままでは浮気くらい我慢をしろと言われるかもしれない。
母は「好きな人と結婚しなさい。あなたの幸せが何よりよ」と言ってくれているが、ここに来て父に逆らってくれるかどうか分からない。
結婚式まで時間がない。エレンは手を打たなければと考えを巡らせた。
(しっかりするのよ、どうにかしなければ愛人付きの男と結婚させられてしまう)
「ルカ、行先をメアリー様の所へ変えて」
「畏まりました」
ルカはエレンの護衛だ。御者に指示を出した。
真っ青な顔で頬を涙で濡らしながら馬車に乗り込むお嬢様の様子を見ておおよその事情を察した。
(あれは誠実の皮を被ったクズだ)
ルカは以前からジミーの気障な態度が気に入らなかった。お嬢様が嬉しそうにしていたのでこれまでは我慢するしかなかったが。
こんなに美しくて優しいお嬢様のどこが不満で泣かせるのだと思う反面、
結婚前にその正体がばれて良かったという気持ちもあった。
何があってもお嬢様をお守りしようと心に誓い、力強く馬の手綱を握り締めた。
メアリー様はエレンを可愛がってくれる年上の伯爵夫人だ。
今見たことを話せば、彼女の広い人脈を通じて、きっと沢山の知人に噂を広げてくれるだろう。
メイドとはいえ無理やり関係を持ったようではなかった。
周りのことなど完全に忘れているような情熱的な口付けだった。
私とは手を繋ぐのがやっとだったのに……。
愛されていると浮かれていた自分が惨めになった。
でもこのままでは終わらせない。やり返す、必ず。地獄の底へ叩き落としてやる。
先触れもなく訪問するのは失礼になるが、今日は許していただこう。
ひとりで耐えるには衝撃が大きい。
ここで噂を広めてしまえばどうあがいてもとりつくろえない。
自分に傷がつこうが構うものか。
このまま結婚をすれば寝取られた哀れな妻と呼ばれる地獄の様な日々が待っているだけなのだから。
エレンは気力を振り絞って反撃の狼煙をあげることにした。
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