08. 変態とネンネ
転んだだけで、どうして怪我をするんだ。昔からお転婆だったけれど、ここは野山じゃない。王都だぞ。
「待てよ。ちょっと怪我見せてみろ」
逃げ帰ろうとする彼女の右手を取る。ギザギザしたものにかすったような無数の引っかき傷。幸い棘は刺さっていないようだ。真っ白な肌に赤い線が浮き出ているのは、とても痛々しい。
「大丈夫よ。こんなん舐めておけば治るから」
いい加減なことを。そんなんで治るわけがない。外見は変わっても、中身は子供のまま。こいつは全然成長してない。
スラリとした足の膝下から、かなり出血している。応急手当をするために、僕はしゃがんでベッドに座る彼女の右足を掴んだ。
思った以上に傷が深い。まずいな、結構深く棘が食い込んでいる。早く取り出さないと、血液と一緒に固まってしまう。
「ひゃあっ!」
足に口をつけると、彼女が声を上げた。気持ちは分かるけれど、こんな棘は口で吸い出す以外に抜く方法はない。
「変な声、出すなよ。舐めときゃ治るって言ったの、お前だろ?」
「あんたが舐めろとは言ってない!離さないと殴るよっ」
血の匂い。血の味。棘を吸い出すには、舌でその位置を確認する必要がある。こいつの文句に構っている暇はない。
「大人しくしろ!棘が刺さってる。血が止まる前に取らないと悪化するぞ」
「……痛っ」
当たり前だ。こんな怪我、痛みを感じない方が危険だ。痕が残ったらどうする。嫁にいけなくなるぞ。いや、傷の一つや二つ、別に僕は気にしないけど。
だからといって、体中を傷だらけにしていいわけじゃない。女なんだから、そういうのは嫌だろう。
舌で棘を探り当て、それを口で吸い出す。これは純粋な医療行為。なのに、彼女から香る血の匂いが、一段と濃くなった。ずいぶんと淫靡なシチュエーションだ。
彼女はおとなしく、僕の様子をじっと見ている。何か変なものが僕の顔に付いているのか。じゃなきゃ、こいつは僕の容姿に関心を持ったりしない。いい男なのに。
はっきり言って、僕はかなり美貌を誉めそやされる。整髪料できちんと整えた髪は少し長めの栗色。公爵家の直系男子に受け継がれるというエメラルドの瞳と、彫りの深い目鼻立ち。
筆頭公爵家の跡継ぎということもあって、今まで僕に落ちない女はいなかった。もちろん、紳士らしく、そんな女たちを泣かすようなマネもしていない。
こんな僕が、全く手を出さなかった相手。それがこいつだ。一緒にいた時間が長すぎて、兄のようなポジションに落ち着いている。この関係が心地良くて、ズルズルと来てしまっている。
「……う、ぐっ」
彼女が悲痛な声を上げた。深くえぐられた傷に触られているのだから、たとえ柔らかい舌でも苦痛は免れない。
「悪い。痛いか?もうちょっとだから、我慢してくれ」
「……うん。ありがと」
額に汗が流れた。早く医者に見せたい。こんなとき、治癒魔法が使えればいいのにと思う。
僕の魔力では、そんな高度な魔法は使えない。彼女を癒せない力なんて、なんの意味もない。
「よし!これで棘は抜けた。今、消毒薬をもらってきてやるから、ちょっと待ってろ。動くなよ」
立ち上がって、口の周りについた血を手の甲で拭う。血も体液の一部だと思うと、これはこれでエロちっくな行為だった。彼女もそう思ったのか、顔を真っ赤にして俯いている。
「うん。ごめんね。迷惑かけて」
「気にすんな」
僕の前で照れるなんて、なんだか急に大人の女を思わせる。こいつももう、幼いだけの子供じゃない。それを知るのは、嬉しいような恥ずかしいような、不思議な気分だ。
昔からこいつは僕が守ってきた。これからも、こいつのそばにいるのは僕だけだ。だから、焦る必要はないと思っていた。
でも、学園に入学するとなると、そうも言っていられない。周囲に男たちが群がる危険がある。
僕たちは未だに正式な婚約に至っていない。許婚とは言っても名ばかりだ。
いずれは結婚するからと、今まで好き勝手にしてきたツケが回ってきた。もう少し異性として意識してもらう必要がある。
「お前も一応は女だから。生足舐められて、ご褒美だな。ま、欲を言えば、もっと足首が締まってるほうが好みだけど」
「バカっ!ローランドの変態っ!」
いつものように軽口で揶揄うと、彼女が側にあった枕をつかんで投げた。僕の横をすり抜けて、壁に当たって床に落ちる
「まだまだ、お子ちゃまだな。そんな真っ赤になって」
可愛い反応に、思わず笑みがこぼれる。こいつはまだまだネンネ。男女の機微なんてものには無縁だ。
当たり前といえば当たり前。こいつにそれを一から教えるのは、僕の役目なんだから。
僕はいい気分で宿を後にした。そのまま馬車で、貴族専用の医師を訪ねる。傷は二針ほど縫ったけれど、痕は残らないという話でほっとした。
いや、もし傷が残ったとしても、別にどうとういこともない。それを見るのは世界で僕だけだから。
「その足じゃ、歩いて帰るのは無理だ。学園の女子寮まで送るよ」
「ありがと。お願いする」
当然だ。怪我がなくても、一人で歩いて帰らせられるか。乗合馬車もダメだ。
本人は町娘に変装しているつもりだ。けれど、どうみても貴族の令嬢。不埒な輩に狙われるかもしれない。
公爵家の馬車を呼び、彼女を女子寮まで送っていくことになった。明日が入学式だというのに、こんなことになるなんて、ドジとしか言いようが無い。
今、馬車に向かい合って座っているのは、僕の幼馴染。長い金髪と紫の瞳を持つ、ちょっと見ないような美少女。母親同士が親友で、幼い頃からよく一緒に遊んだ男爵家の令嬢だ。
彼女の名はクララ。ベルモンド男爵家の一人娘。僕の許婚にして、長過ぎる運命の恋の相手だった。




