02. おじいさんの予言(クララの視点)
「おじいさん、眠っているんですか?」
仕立てのいいコートにシルクハット。ステッキも有名店のオーダーメイド。上等な革靴を履いたおじいさんが、大通り脇のベンチで目を閉じていた。
「ああ、ご心配をおかけしましたな。眠ってはいませんよ。ちょっと、昔のことを思い出していて」
立ち上がろうとする様子が頼りなくて、思わずその人に手を差し出した。なんて冷たい手。
「冷えてるわ。ね、とにかく、どこかお店に入りましょう」
私たちはその人を誘って、通りの向こう側にあるカフェに入る。熱いお茶を飲めば、おじいさんもきっとすぐに温まるだろう。
「おじいさん、どうしてあんなところに座ってたの?」
「人を待っていたんです」
「ええっ。じゃあ、移動しちゃダメだった?」
「いえ。もう会えましたから」
結構な老齢だけれど、微かに残る面影から若い頃は相当な美形だったと思われる。身なりも雰囲気も貴族階級。
あんなところで人を待つなんて、何か事情があるんだろう。あまり根掘り葉掘り聞いちゃいけない気がする。
「私はクララ。こっちは親友のへザーよ。二人とも学生なの」
「ああ、学園の……。せっかくのお休みに、私のようなものに付き合わせて申し訳ない」
今日はお忍びなので、町娘のなりをしている。でも、私たちは貴族の娘で、王都にある高等学園の新入生。嘘をつく必要はない。
「おじいさんは、何をしている人ですか?」
「あそこの占い師のね、弟子なんですよ」
通りの向こうにある『占いの館』を指差す。私たちが行こうとしていた場所だ。当たると評判の占い師に、恋愛運をみてもらおうと思っていた。
でも、外まで女子学生が並んでいて時間がかかりそうだったので、今日は諦めて帰るところだった。
「師匠はよく当たる占い師でね。私も少し先見ができるんですよ」
「クララ、視てもらったら?」
ティーポットからお茶を注いだヘザーが、カップをおじいさんに差し出しながら言った。おじいさんはそれを受け取ると、そっと口をつけて美味しそうにお茶を飲む。
「そんなの、悪いわ」
「いいんですよ。師匠ほどではありませんが、私の予言も当たりますよ」
おじいさんは私の右手を取って、掌をじっと見つめている。今日はもう占いはできないと思っていたのに、ラッキーだ。
「稀有な運命ですね。良縁をもつ男性は三人」
「それは、えっと……」
「そのうちの一人と恋仲に。大丈夫、必ず幸せになりますよ」
「そうは言われても、心当たりがないんですが……」
戸惑う私にはお構いなしに、ヘザーが楽しそうな声を出す。
「それ、ローランドじゃないの?」
なんでそこであいつが?ありえない!
「やだ、あいつはただの幼馴染!」
「許婚でしょ。ねえ、おじいさん、相手は分からないんですか?」
「さあ、そこまでは。ただ、素性が不明な男にはお気をつけなさい」
「は?誰ですか?」
「男はみな腹黒い狼です。知らない男性に気安く触れさせてはいけませんよ」
やだ。私、見知らぬ男性に触らせたりなんてしない!でも、そういうおじいさんだって、私の手に触ってたよね。矛盾してない?
そう抗議しようとすると、おじいさんはすでにヘザーの掌を見つめていた。占いの邪魔をしちゃいけないと、私は即座に口を噤む。
「一途な愛ですね。一人の男性を生涯思いつづける。だが、運命は変えられますよ。望むように生きることが、あなたの幸せに繋がります」
「自由に生きる人生か。憧れます」
「後悔をしない生き方をお選びなさい。それが大きな力となる」
生きたいように生きる。貴族の娘には難しいかもしれない。でも、私たちはまだ十七歳。無謀な夢を見てもいい年齢。
「かわいいお嬢さんたちだ。恋のお相手がうらやましいですな」
「おじいさんも、素敵な恋をしてきたんでしょう?」
「ええ、若いときに。ちょうどあなた方の年頃だったでしょうか」
左手の薬指に指輪がない。おそらく、この人は独身なんだろう。魔術師には珍しくない。
「結婚はしなかったんですか?」
「残念ながら、彼女には他に思い人がいましてな」
「その人をずっと?」
「修行に明け暮れて、気が付いたら天涯孤独の身です。でも、いい思い出があった。それに支えられて、ここまで来たんですよ」
おじいさんはそう言って、優しい笑顔をこちらに向けた。なぜか分からないけれど、胸が締め付けられる。
お茶を飲み終わると、おじいさんは用があるからと席を立った。占いのお礼にここのお茶をご馳走したいと申し出ると、こころよく受けとってくれた。
「お二人ともお元気で。この国の未来は、若者の肩にかかっている」
おじいさんはそう言って、私たちの手を握った。その手のぬくもりに、なぜか涙が出そうになった。実の祖父と別れるみたいな、さびしい気持ちになる。
「おじいさん、また会えますか?」
「ええ、いつか必ず。そのときには、あなたに似合う薔薇をお持ちしましょう」
その人はシルクハットを取って、軽く会釈をした。そして、ステッキをつきながら『占いの館』のほうへと歩いていった。
その姿が建物の中に消えるまで、なぜか目が離せなかった。どうしてだろう。また会いたいと思う。
「占い師か。魔術師の中でも、珍しい職種ね」
「うん。でも、どこかで会ったような気がするの」
「まさか。言葉に西の訛があったわよ。他国の魔術師だわ」
「うん。気のせいだよね」
魔術師に知り合いなんていない。でも、あの声、あの瞳、そして、あの笑顔には覚えがある。とても懐かしくて、なぜか切ない気持ちになった。不思議な人。
「図書館に寄るけど、クララどうする?」
「私はいいわ。このまま寮に戻る」
カフェの前でヘザーと別れて、私は反対方向へと歩き出した。
その後すぐに、おじいさんの言った「縁ある男性たち」に遭遇するなんて、その時点では全く予想していなかった。