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第一章 ポポロ村とマイホーム、時々ポンコツ天使

新築35年ローンと、カンペを読む見習い女神

夜の冷たい風が、コンビニのレジ袋をぶら下げた俺——加藤真守かとうまもる、25歳の頬を容赦なく撫でていく。

吐く息は白く、心の中はそれ以上にひどく冷え切っていた。

「……はぁ。やっと、やっと結婚まで持ち込めたと思ったのによ……」

手に持った発泡酒の缶をプシュッと開け、歩道橋の冷たい階段に腰掛けて喉に流し込む。苦い炭酸が胃の腑に落ちていくが、俺の口から漏れるのはアルコールの匂いが混じった重いため息ばかりだった。

俺の職業は、公立中学校の数学教師。部活では合気道部の顧問をしている。真面目だけが取り柄の俺は、大学を卒業してからというもの、仕事と部活の指導に明け暮れ、恋愛経験なんてものは皆無に等しかった。

そんな俺を見かねて、親戚のおばさんが気を利かせて持ってきたお見合い話。相手は同年代のなかなか可愛らしい女性で、何度かデートを重ねるうちに、トントン拍子で結婚の話が進んでいった。

『私、結婚するなら絶対、新築の一戸建てがいいな。それが条件!』

彼女のその無邪気な、しかし絶対的な要求に対し、俺は男気を見せた。

なけなしの貯金をはたき、銀行の窓口で頭を下げて、なんと35年もの住宅ローンを組んだのだ。

間取りは広々とした5LDK。将来子供が二人できてもいいように、そして俺の趣味である合気道の武具や数学の専門書を置くための書斎まで完備した、鉄筋コンクリート造の堅牢でモダンなマイホーム。おまけに、車が二台停められるシャッター付きのガレージまである。家具家電も最新のものを揃え、新生活への準備は完璧だった。

だが、夢のマイホームが完成し、鍵を引き渡されたわずか数日後。

彼女から送られてきたのは、目を疑うような一通のメッセージだった。

『ごめんなさい。他に運命を感じる良い人が見つかったの♡ 今までありがとう! 家のローン、頑張ってね!』

「な~にが『他に良い人が見つかったの♡』だよ! ふざけんなよ!!」

誰もいない深夜の道路に向かって、俺は怒りの咆哮を上げた。

「俺に残されたのは、誰も住まない5LDKの豪邸と、35年ローンという名の絶望だけじゃねぇか! 1ヶ月も、いや、数日しか住んでねぇのにどうしろってんだよぉぉぉ!」

発泡酒をぐいっと煽り、もう一度深いため息をついたその時だった。

ふと視線を前に向けると、見通しの悪い交差点のド真ん中に、小さな黒い塊があるのに気がついた。

「にゃーん」

弱々しい鳴き声。仔猫だった。

深夜とはいえ、ここはトラックが行き交う幹線道路だ。いつ車が来てもおかしくない。

「あ? おいおい、あんなとこにいたら轢かれるだろうが。シッシッ! どけ!」

立ち上がり、手を叩いて追い払おうとしたが、仔猫は怯えてうずくまるばかりで動こうとしない。

仕方ない、どかしてやるか。

舌打ちをして助けに向かおうと足を踏み出し、仔猫の前にしゃがみ込んだ瞬間——猛烈な排気音と共に、赤信号を完全に無視した大型トラックが、猛スピードで交差点に突っ込んできた。

「危ねーっ!」

俺は考えるよりも先に、合気道で鍛えたバネを生かしてアスファルトを蹴った。

トラックのヘッドライトが視界を真っ白に染め上げる。

仔猫を抱きかかえ、そのまま道路の脇へとダイブ——したはずだった。

凄まじい衝撃音。

全身を襲う、言葉にならない破壊的な痛み。

俺の意識は、あっという間に深い闇の中へとプツリと途絶えた。

***

「えっと~、起きて下さい。起きて下さいよ~。このままだと死んじゃいますよ~?」

「……あ、w もう死んでるか。ウケる」

耳元で、どこか気の抜けた若い女の声が聞こえた。

しかも最後、絶対笑ったよな、こいつ。

「う、う~ん……え?」

重い瞼を開けると、そこは一面真っ白な空間だった。

上下左右の感覚もなく、ただただ果てしなく白い。

そして俺の目の前には、場違い極まりない服装の少女が立っていた。

全身ピンク色のジャージ。

胸元にはご丁寧に『初心者マーク』の刺繍がデカデカと入っている。

足元はなぜか健康サンダル。

手にはバインダーに挟まれた紙切れ——どう見てもカンペ——を持っており、口にはみたらし団子をくわえていた。

「あ、起きましたね~。私はリリス。貴方達人間が言うところの、神のような存在です。……まぁ、見習いですけど」

もぐもぐと団子を飲み込みながら、ジャージ姿の自称・神(見習い)はのんびりと言った。

「な、何? ここはどこだ? 確か俺は、トラックに……」

「ここは審判の場です。えっと~、加藤真守さん、ですね。貴方は先程、赤信号を無視したトラックに轢かれて見事に死にました。いわゆるテンプレ転生ってやつですね、おめでとうございます~」

「な、何ぃぃぃっ!?」

俺は思わず頭を抱えた。

「ここは、あの世かよ!? 嘘だろ……結婚もできないまま、新築の家のローンが35年も残ってるのに! 1ヶ月も住んでないのに死ぬとか、俺の人生どんだけハードモードなんだよ!」

「そうそう、気を落とさなくても良いですよ。私は、貴方の可哀想な運命を少しだけ変えてあげましょう」

リリスはパンパンとジャージの埃を払い、咳払いをしてから、手元のカンペをガン見しながら話し始めた。

「えーっと……『貴方を、剣と魔法の世界アナスタシアへ導きましょう』、と。うんうん」

「い、異世界転生って奴か?」

「はいっ。私の大大大好きな猫ちゃんを助けてくれて、そのうえ不幸のどん底だった貴方への、私からの特別プレゼントです!」

「なるほど……猫を助けた恩返し的なやつか」

異世界転生。

漫画やネット小説でよくある設定だ。

俺は一瞬で思考を切り替えた。どうせ死んでしまったのなら、新しい世界で一からやり直すのも悪くない。三十五年のローンからも解放されたわけだし、前向きに考えよう。

「よし! じゃあ、とりあえず全属性魔法使いがいいな! あとはチートな身体能力とか、剣神のスキルとかも捨てがたい!」

俺がワクワクしながら希望を伝えると、リリスは即座に両手でバツ印を作った。

「ありません」

「……は?」

「無理です。私の『エンジェルすまーとふぉん』に紐付けられたクレジットカードの残高(限度額)では、そんな高コストなチートスキルは付与できません。ただでさえ今月はお菓子買いすぎちゃって厳しいのに……」

神のくせにクレジットカードの限度額とか言ってんのか!? どんだけ世知辛い天界なんだよ!

「えっと……ですから、貴方に差し上げられるのは、『言語理解』と、あと『マイホーム』だけです」

「……マイホーム?」

「はい! 貴方がせっかく買ったのに住めなかった家を、異世界で出せるようにしましょう! スキル名『マイホーム』。ま、こんな名前で良いでしょう」

リリスは再びカンペに目を落とし、適当にペンでササッと書き込んでいる。

「いやいや、どうやって出すんだよ!? てか、さっきからカンペをチラチラ見ながら言うのやめてくれないか!? 神様なんだろ!?」

「あ~っと……」

リリスは俺のツッコミを華麗にスルーし、空中に浮かび上がったデジタル時計のようなものをチラリと見た。

「そろそろ時間ですぅ……。さぁて、私はルナキン(ファミレス)に行って、限定の苺パフェを食べなきゃいけないので、これにて! では、良い異世界人生を~!」

「何いいいいいっ!? 待て、ふざけんな! まだ家の出し方も聞いてないぞ!」

「あ、そうだ。困ったら『スキル』って念じてみてくださいね~。じゃあね~」

リリスがパチンと指を鳴らした瞬間。

俺の足元の白い空間がポッカリと開き、凄まじい引力が俺の体を下へと引きずり込んだ。

「うおおおおおおおおっ!?」

見習い女神の適当極まりない采配によって、俺、加藤真守の第二の人生——異世界でのマイホーム生活が、こうして強制的に幕を開けることになったのである。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!

「新築35年ローン直後に転生とか悲惨すぎるw」

「ポンコツ女神のジャージ姿が気になる!」

「異世界で5LDKのマイホーム無双、続きが読みたい!」

と少しでも思っていただけましたら、

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