序話 邂逅の夜と再開の朝
「黒よ。全てを塗り潰し呑み込む黒よ。この呼び声に応え、悠久を蝕む力をこの手に与えよ。贄は我なり。黒天解放・黒愛憑依」
崩れゆく教会。1人の少女がその言葉を唱えた時、それは大地に現れた。
少女は立ち向かう。1人の少年と肩を並べ、眼前の脅威に立ち向かった。
――――――
親はいない。血の通った兄弟もいない。
たった一つの宝物である絵本を片手にその日暮らしをするスラムの少年。
10歳にも満たない歳の少年は、古ぼけた絵本を胸に、描かれたその英雄に漠然と憧れた。
文字が読めないから内容は分からない。だが、その絵本は間違い無く少年の宝物である。
「えっと、えぇっと、き、キミ!あたしもそれ好きなんだ。すっ!少しで良いからお話ししても、良い?かな?」
突然、少年の頭上から声がした。
「……えっ、と。聞こえて……る?」
「だれ」
古ぼけた絵本をすぐに手元に引き寄せて、警戒心全開で上の顔を睨む。が、たどたどしい言葉とは裏腹に、ずんずんと少年に迫る。
少年の目の前には、黒髪短髪の黒目で動きやすい旅人のような装備に身を包んだ女性。というより10代半ばほどの少女がいる。
心の中で意味が分からない不審者という烙印が押された。が、絵本を見下ろしながらブツブツと絵本の内容らしきことを呟いている。少年は文字が読めず絵本の絵だけで漠然と読んだ気になっているが、普通に何て書いてあるか気になっていた。
様子を見つつ、絵本の1ページ目を開いて少年が口を開く。
「……読んで」
ここでようやく少年の上から下を見た少女が察し、しゃがんで同じ目線になった。絵本の内容を思い返すように、少女は読み上げる。
「昔、とある平和な国がありました。その国では――」
ガヤガヤした街中の音は耳に入らず、路地裏の入口近くで2人は楽しそうに話す。既に絵本は読み終えたが、未だその熱は収まることを知らない。そんな小さな世界が突如として吹き飛ぶ。
「ラビィ!時間だ!」
この場から見える場所にいる、剣を携えた黒髪の女性からそんな声が響く。高くも低くく、重い声だ。
「あ、ごめん。あちゃちゃ……もう姉さんの予定終わっちゃったのかぁ、仕方無い。話せて良かったけど、そろそろ行かないと」
慌てて立ち上がりる様子に少年は驚きつつ、旅人の装いなのでそれもそうかと1人納得する。そして、そんな様子を見ていた剣を携えた女性は少し驚いていた。妹が子供といえど初対面相手にあそこまで砕けた会話ができるのだと。少年との会話に慣れたのか、少女はたどたどしい言葉から普通に話せるようになっていたのだ。
「もし英雄を目指す旅をして、その道中でもう無理ってなったら、この石に助けてって念じてみて。必ず助けるから!」
少女は紐に繋がれた小さな黒い石を差し出し、警戒心の解けた少年はその石を受け取る。少年が受け取るのを確認すると、少女は名残惜しそうに剣を携えた女性と合流し、街中の人混みに紛れ消えて行った。
初めて知った絵本の内容、応援してくれた少女の言葉が心の中で反芻される。お守りのような小さな黒い石を握りしめ、少年は思う。英雄になりたい、と。
―――8年後―――
その子供は歳を重ね、子供から少年と呼べる14歳になった。
英雄に憧れた少年は今、ドラゴンから逃げていた。全力の全力で。
あれからスラムから抜け出す為に日稼ぎを繰り返し、必要な物を最低限買い揃えて、スラムから、街から、外の世界に飛び出した。
が、少年が1人でしかも最低限の物しか無いので無謀である。現に地図を買っていないので迷い、ドラゴンの知識が無いので眠るドラゴンを起こし追いかけ回される。
控えめに言ってカモである。1人なので群れる盗賊になす術が無いし、力が無いのでドラゴンに負ける。
本来なら少年が育った街は大きく仕事に困らず、昨日まである程度まともな職についていた少年なら、家庭を持って生涯を静かに過ごすことも可能であった。
だが、少年の憧れは強過ぎる。
スラムで育つも影らぬ善性。止まらぬ行動力。生を諦めぬ意思。それらの起点はあの絵本の英雄。強過ぎるが故に、こうなった。
「誰か助けて!!」
と、同時にドラゴンの爪が振り降りる。命を刈り取るようなその鋭さも少年には見えていない。
ただがむしゃらに、首から下げている小さな黒い石を握り締めて助けを求めるしか無かった……無常にも、頭にこそ直撃しなかったがドラゴンの爪は少年の背中を大きく抉った。
「助けに来たよ!あれ、これって間に合っ……た?あっ」
掠れる意識と霞む視界には、真っ黒に染まって溶けたドラゴンとかつて少年と絵本について熱く語った少女が、あの時の姿のままで少年に駆け寄った。色々と気になる点はあるものの、硬直する思考は何も考えられず意識は深く落ちていく。
「……」
少年は、何から考えれば良いのか分からなくなっていた。まず、大怪我をしたはずなのに特に体に違和感が無い。あの強烈な激痛は中々忘れられるものではない。
更に古ぼけてはいるものの、城や大きな城塞しか無いような石造りの部屋。寝ている場所がフカフカなベット。高そうな観葉植物に初めて見た鏡。少年の頭はもうショート寸前。
畳み掛けるように窓からは青い群青が見える。痛まない体を少し持ち上げると、下側には白い雲海が見えた。彼は1つの可能性に至るが、窓から見えるその情報は幻覚だと夢だと思いたいと混乱する。
少年が思い付いた可能性。ここは空の上。もしくは雲を貫くほど高い山の上にあると理解したいが、理解できない。
一応空島の上に立つ街や国は存在するが、少年は知らないのでかなり驚いている。
その時、部屋の扉が開いた。
「あ、良かった。えっと、その……」
ベッドから起きた姿に明らかにホッとした少女。その変わらぬ姿に、少年は思い出す。
「あ、久しぶり」
「あ、うん、ひ、久しぶり!」
この時より、未来の果てまでその名が轟く英雄譚の――
「ラヴィ!言われた通り持って来たぞヴェノムフロッグの毒液を!」
突如今少女が閉めた部屋の扉をバンッ!と開け、この部屋を突き抜けそうなほどの大声が響き渡る。その声に、少年は1つの感情が湧き上がった。何だか分からないが不安であると……




