虎穴に入らずんば虎子を得ず
「虫……虫いや……」
「メェさんは、その防具どこで買ってきたんだ?」
「養蜂場の方?」
草木が生い茂る森の中、ひつじはメッシュで加工された真っ白な防護服に全身を包んでいた。
「だって〜、虫いやなんですもん」
「このダンジョン、虫も罠も多いらしいで」
「最悪です〜」
「無理して着いてこなくても良かったのに」
「でも〜、私の装備用の素材ですし……」
ユズたちは、アルファきのこを探すため。そして、星空の街への手がかりを探すため、密林のダンジョンに来ていた。
――密林のダンジョン
攻略難易度としては、さほど難しくはない。しかし、密林という環境は、人間の生存本能を震わせる。攻略自体は比較的簡単ではあるが、進んで攻略したいと思う人間は少ない。
こんどーを先頭に、ひつじ、ドル、ユズの順で一列になって歩く。
密林の中を、五分ほど歩くと湿原地帯に踏み入った。じめじめとした空気が辺りを包み、そこかしこからカエルの鳴き声が響いている。見たことの無い虫も大量に生息していた。
ひつじは気持ち悪そうに眉をひそめながら、身体を小さく丸めている。ユズとドルも、飛んでくる虫をうっとおしそうに払い除けながら進む。
ふと、こんどーが立ち止まった。何事かと、こんどーの真後ろに居るひつじが横から顔を出す。つられて残りの二人も横から顔を出した。
「罠だ」
前を見据えたまま言い放たれたこんどーの言葉に、三人の空気が一変する。
「え〜」
「い……」
「うっ!」
ひつじの身体は更に丸まり、ドルの口角が引き攣る。ユズは嫌そうに顔をしかめた。
「……なんでいつも罠って分かるんですか?」
「システムエンジニアだからだ」
「関係あります?」
「ない」
「ないのかよ!」
「つまり、感覚ってことやな」
「的中率ほぼ100%です〜」
こんどーの答えになっていない回答に、ユズは肩を落とした。
ユズたちは、こんどーと話しながらもゆっくりと距離をとる。こんどーは、離れていくユズたちに気付くことなく、罠の考察を続けている。
「この罠、踏むタイプだな」
「そうなんや、戻れ」
「分かりましたから、戻ってください」
「ゴリさん、危ないですよ〜」
こんどーは、三人の呼びかけを無視して、尚も考察を続ける。
「つまり、踏まなければ良いってことだ」
「せやな、こっち来い」
「こんどーさんが言うならそうなんでしょうね。戻りましょう」
「ゴリさん、頭いい〜」
こんどーが小さく頷く。
「だから」
三人も頷く。
「そうですね、迂回すれば――」
「ジャンプすれば越えられる」
こんどーはユズの声を遮って、深くしゃがみ込むと、何の躊躇いもなく前に跳んだ。
ガコンッ
「うおっ」
こんどーが着地点した瞬間、地盤が沈み、大きな作動音が密林に響いた。
「なんでだ!!」
「なんでやねん!!」
「うわー!ゴリさんのバカー!」
三人はこんどーの行動に顔を青くさせる。
着地点を中心に、広範囲に地盤が沈下してゆき、そこに水が勢いよく流れ込んできた。ユズたちの足元も沈み、大量の水が迫る。水が靴に染み込み、動く度に、ジュプジュプと音をたてている。
「おぉ、まさかの範囲型か」
他人事のようなこんどーの口ぶりに、ドルがキレた。
「ボケコラ!」
「宝くじ先輩、お口が悪いですよ〜」
「行けると思ったんだがな」
「迷いなく飛ぶなや!」
「迷っても変わんねーだろう」
「いや、飛ばんかったら罠発動してへんねん!」
「やだ〜、水きもちわるいです〜」
「ダメだこいつら……!誰一人まともに機能しねー!」
四人が言い合いをしている間にも、地盤はどんどん沈んでいく。流れ込む水の勢いそのままに、気付けばユズのお腹の辺りまで水が迫っていた。
「……ヤバいな」
ユズの声が、一瞬だけ低くなる。
水面が、時間経過とともにさらに一段上がる。水圧に押されて、足が上がらない。踏み出す度に、体が沈む。つぅっとユズの額を汗が流れた。
「ヤバいですよ!」
「慌てるな」
「全部アンタのせいだけどな!」
ユズたちは、罠の解除策を見つけようと、周りを見回す。しかし、周りには鬱蒼と茂る木々とそこから伸びる蔦があるだけ。
また一段、水面が上がる。とうとう、ユズの胸元まで迫ってきていた。
その時、ユズの背後でバシャバシャと水の跳ねる音がした。振り返ると、ひつじが頭まで水に浸かっていた。
「あがっ……ぽがっ……!」
「メェさぁぁぁん!!」
ひつじのHPゲージが、みるみるうちにレッドゾーンまで削れていく。
「あかん!チビが沈みよった!」
「お、おお落ち着け!」
「アンタが落ち着け、戦犯!」
こんどーの額に、珍しく汗が滲む。溺れるひつじを見て焦ったこんどーは、水に潜ってみたりとその場で右往左往としていた。
ユズは、そんなこんどーのすぐ傍にある、蔦が目に入った。他の蔦と、ほんの少しだけだが色が違う。
もしかすると――
「こんどーさん、その蔦!蔦、引っ張って!早く!!」
「任せろ!」
こんどーはユズの指示通り、近くにあった蔦を急いで引っ張る。その瞬間、ガコンっという音とともに地盤の動きが止まった。
「ぷはっ……!じぬがど思いまじだぁ〜!」
ドルに背負われたひつじが、水の中から顔を出した。頭からびしょ濡れな状態で半泣きになっている。
「お前ほんまええ加減にせぇよ」
「悪い、メェさん」
「ゴリさんのバカ〜!」
「理論的には行けたんだがな」
「行けた試しないねん!理論練り直せ!」
「大抵はジャンプしたら越えれる」
反省の色が見えないこんどーは、ドルに頭を殴られていた。少し痛そうに頭を押さえているが、誰もドルに注意せず、ユズとひつじは小さく拍手を送っていた。
湿原地帯を抜け、巨木地帯へと辿り着く。
一本5mはあろうかと言う巨木が立ち並び、トウモロコシ畑のように方向感覚を狂わせる。さらに、上空では見たこともない鳥が、不気味な声で鳴いていた。
「なんだか、きもちわるい場所です〜」
一行は足を進める。頭上では、鳥が鳴き続けていた。
巨木を十数本抜けた先で、こんどーが足を止め、ひつじの方を振り向いた。
「メェさん、そこの花」
ひつじの傍に咲いている真っ赤な花を指さした。小ぶりな花弁が、薄暗い木々の隙間で揺れている。
「これですか?真っ赤な色で綺麗ですね〜」
綺麗な花につられて、ひつじが匂いを嗅ごうと顔を近づける。
「それ、多分モンスターだから」
そう言うと同時――
【キシャァァァ】
人喰い花が顔を出した。
「きゃぁぁぁぁ!」
「もう遅いか」
小さかったことが嘘のように巨大化した花は、大きく裂けた口を開いては奇声をあげている。太い茎をくねらせながら、じりじりと近付いてくる。
「言うのが遅い!」
「事後報告やめろや!」
「助けてくださーい!」
「あかん!飲み込まれとる!!」
いつの間にかモンスターは、その大きな口でひつじを飲み込んでいた。口の端からは粘っこい涎がダラダラと垂れ落ちている。
ひつじはモンスターの口から抜け出そうと、じたばたと暴れているが、粘液により上手く動けないようだ。ユズは剣を構え、モンスターに向けて一太刀を振るう。
「【焔】」
手のようにしなる枝を切ると、その部位から炎が灯り、徐々に燃え広がる。悲鳴をあげるモンスターの口から、ひつじがこぼれ落ちた。その間にも、モンスターは全身を焼かれて散っていく。
「うぇ〜、ベトベトです〜」
ひつじは顔を顰めながら、涎を拭う。
「まだですよ!」
ユズの声にひつじが周りを見ると、密林に広がる人喰い花が、悲鳴に呼応するように次々と開花する。
「もぉ〜、キリがないです〜」
「燃やすか」
「この数は火事になっちゃいます!……走りますよ!」
ユズの言葉に、一斉に走り出した。
モンスターは茎をくねらせながら、ユズたちを追いかける。さほど早くない移動速度だが、こうも数が多いと威圧感が強くて焦る。さらに、周囲に植わる大きな木の根が足場を悪くさせる。何度も躓きながら、モンスターと距離を取り続ける。
巨木地帯を抜け、岩壁地帯へと辿り着き、そそり立つ崖壁が目の前に現れた。
「行き止まりか?!」
肩で息をする四人。モンスターの鳴き声がすぐそこまで来ている。
ユズは、周囲を見渡した。視界の端に、小さな穴を捉えた。それは、ひと一人がやっと通れるくらいの小さな穴だった。
「いや……穴があります!」
ユズが穴の方を指さす。その穴を見て、巨体のこんどーが顔を顰めた。
「あんなの、通れるか……?」
「奥がどうなっとるかも分からんで」
「一か八かです……」
振り向くと、モンスターはすぐ傍まで来ている。迷っている時間はない。
「飛び込め!」
ユズの掛け声とともに、四人は滑り込むように穴に入る。穴の中は思いのほか広く、四人が入るには十分だった。
全員が入り終えた瞬間、穴の外からガチガチとモンスターの歯を合わせる音が響いた。どうやら、入っては来られないようだ。
ユズは一息つくと、周りを見回した。
「また洞窟……」
ユズの声が反響する。小さな穴が空いた天井から、光が漏れている。その光を頼りに、四人は奥へと歩きだした。
瓦礫が道を遮り、徐々に道は険しくなっていく。入口の光も、もう届かない。
再びこんどーが足を止める。
「この床、罠だな」
「じゃあ、今度はちゃんと避けましょう」
ユズが迂回ルートを指さすが、こんどーは首を横に振る。
「いや、大丈夫だ。走ればいける」
「だから行かれへん言うとるやろ!」
「行ける」
「やめろ!」
「行かれへんねん!」
ユズたちの制止も虚しく、こんどーは走り出した。
その瞬間。
ガコン
ぬちゃっ
「あ」
床が一段沈み、何かが落ちるような音がした。ユズは自分の肩に、ヒヤリとした水気を感じて顔を横に向けた。そこには、一体のスライムが乗っていた。足元にも複数のスライムが落ちている。
ユズの肩に乗っていたスライムが頬に吸い付いた。
「ぎゃぁぁぁ!!」
「だから言うたやろ!!」
「……そう来たか」
「もうええっちゅうねん!シバく!!」
「学べ!!」
とぼけた顔のこんどーに、二人は怒鳴る。
「う……うぅ……」
ユズたちの後ろから、くぐもった声が聞こえてきた。三人が振り返ると、ひつじの顔にはスライムがベッタリと張り付いていた。
「メェさぁぁん!」
「引き剥がせ!!」
「メェさんごめん!ほんとごめん!!」
引き剥がそうにも流動的に動くスライムに手間取る。ひつじは窒息寸前、苦しげに喉元を掻きむしっている。こんどーとドルが、なんとかスライムを引き剥がすと、唇が真っ青になっていた。
「いい……走りでした……」
「どこがやねん!」
「言ってる場合か!」
「うぅ……、【ヒール】」
ひつじの周りが光り、星のエフェクトが舞う。ひつじの顔色が戻った。HPを確認するとドルのHPは少しだけ削ていたが、ひつじのHPは全回復していた。
「さすがに死ぬかと思いました〜」
「MP極振りでHPミジンコやもんな」
「残りHP9でした〜」
「もっとHPに振れ」
「だって、彼氏がMPだけでいいって言うんですもん〜」
「元、彼氏な」
ひつじの息が整い、四人がほっと息を吐いた時、ヒヤリとした空気がユズの頬を撫でた。
「……なんか、風あります?」
「風ですか〜?」
「なんも感じへんけど」
「音もねーぞ」
こんどーたちは首を傾げる。それでもユズは、ゆっくりと洞窟内を見回す。どこからか、風が吹いているという確信があった。
壁に近づき、拳で軽く叩いてみると、軽い音が返ってくる。
確証は無い。
でも、ここに抜け道がある。
「こんどーさん」
ユズが呼びかけると、こんどーは疑問を感じるでもなく素直に頷いた。
「分かった。そこだな」
そう言うと、こんどーが斧で壁を掘り進める。
「斧ってそう使いますっけ〜?」
「ええねん、掘らせとき」
「は〜い。ゴリさん頑張ってくださ〜い」
しばらく掘り進めると、ガラガラと壁が崩れた。壁の向こうには大きな空間が広がっていた。
薄暗い空間の中で、色とりどりに淡く発光するキノコが無数に生えていた。
一瞬、その光景が、まるで夜空に浮かぶ星のように見えた。
「わぁ!」
「……星みたいやな」
ユズは、ドルの言葉に無言で頷く。本当に一瞬、星のように見えた。期待が崩れてゆく。ユズはゆっくりと視線を巡らすと、重たい口を開いた。
「……ここ、ですか」
「……さぁな。俺も噂しか知らねぇ」
こんどーの回答に、ユズは爪が白くなるほど強く手を握った。
――また、違った。
それでもユズは、洞窟の中を隈なく探索し始めた。
少しでもいい。星空の街に繋がるヒントが欲しい。諦めきれなかった。
ユズが壁を伝って探索し始めると、ひつじはキノコに走り寄って行った。光るキノコを、根元からもぎ取っていく。
「アルファキノコです〜!」
嬉しそうな声をあげながら、キノコを上に掲げて振っている。その光るキノコは、ひつじの目的の素材だった。
「良かったな」
「はい!ありがとうございます〜!」
「キレイやな、売れそうや」
「ちなみに、これで何作るつもりだったんですか?」
ユズは気になっていたことを尋ねる。アルファキノコを使った強い装備なんて、聞いたことがない。するとその質問に、ひつじはにっこりと笑って答えた。
「キノコ型の髪飾りです!」
「……」
「……ソッカ」
「……ヨカッタネ」
“虎穴に入らずんば虎子を得ず”という言葉がある。
虎穴に入って得られたのが、キノコだった時。
ユズたちは、“君子危うきに近寄らず”という言葉を思い出していた。
――3分後には、忘れていた。
ユズはさらに洞窟内を探索する。
何でもいい、手がかりが欲しい。その一心だった。それでも、そこにあったのは光るキノコと鉱石だけだった。
「……」
「結局、星空の街への手がかり無かったんか」
「そう落ち込むな」
「はい……」
ユズは、目を伏せた。その目には、ほんの少しだけ悔しさが滲んでいる。
「近づけたと……思ったのに……」
ユズはぽそりと呟く。その声を拾ったひつじが、ユズを見て首を傾げる。
「なんで、そんなに行きたいんですか〜?」
そう聞かれた瞬間、思い出したのは、約束を交わしたあの時。わずかに目を伏せて笑った少年の顔だった。
自分が見逃した、小さなサイン。
「……あの日、見逃したものを、取り戻せる気がして」
「何が、ですか……?」
思い詰めた様子のユズに、ひつじが少しだけ不安そうな顔をした。それに気付いたユズは小さく首を横に振ると、張り詰めた表情を変え、明るい声で話しだす。
「そんな事より、そろそろ新しい武器欲しいですね!」
「……そうですね!私も欲しいです〜」
ひつじの声が、明るく戻る。
「ゴリなんてずっと初期武器やしな」
「このゲーム、確か、何億分の一とかの確率でドロップする武器ありますよね」
「運営はそう言ってるけど、誰も見た事ねーだろ。ドロップさせる気ないだろ」
「高く売れるならなんでもええ」
「お前、そればっかりか」
「ゲームも現実も、金がないと、何にもできひんからな」
ドルは笑った。けれどその笑いは、少しだけ乾いていた。直ぐに、なにも無かったかのように歩き出した。細くて身長の高いドルの背中が、いつもより弱く見えた。
「……必要な人に、必要なものがこればいいのに」
ぎゅっと手を握ったユズの、小さな声は、鳥の鳴き声にかき消された。
四人は密林を抜ける。
少し湿った風が頬を撫でた。




