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魔女と鉱石、帰還譚  作者: 空野
Chapitre.9
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9-19

 随分と不機嫌そうだと、メルヴィンは思った。

 「あの商人と、何かあったのですか?」

 クイッと眼鏡を押し上げながら、持って来た書類を机に置けば、アントワーヌは金の視線だけを刹那、その書類に向けた。

 「いつもの通りだ」

 片手で煙草を持ったまま、執務机に積まれた書類を確認して。素っ気ない答えに、眉を寄せる。

 「随分と、煙の量が多いようですが?」

 吸殻は全て塵も残さず燃やし尽くしてしまうとしても。朝から書記官達すら入れずに篭っている執務室に漂う、薄い煙は誤魔化せない。

 「ああ、悪かった。お前は煙は苦手だったか」

 書類を片手に持って読みながら、歌うように優雅な声が、そう告げた瞬間。窓がひとりでに開いて、壁際で生まれた風がふわりと、漂う紫煙を攫って消えた。

 「確かに苦手ですが、そういった問題ではありません」

 メルヴィンは静かに、再び眼鏡を押し上げる。

 「あの商人は、元々、誠も私も、そしてエリック、ヘイダルやフロール、どころか脳天気なニコロすらも、嫌っています」

 丁寧さを装った不躾さのまま、薄気味悪く笑う男。あの男は、味方ではない。決して、この世界にとって、味方ではない、と本能的に思っていた。

 「アレは我々を掌中で転がそうとしているのが透けて見えます。さてどう利用してやろうか、と、そういう詐欺師紛いの腹の内を抱えて、しかもそれを隠そうとしない不遜さこそ、益々と腹が立つ」

 「だが、アレは大商人に違いない。魔法界王室の御用商人であればこそ、この鉱山との交渉権を一挙に握っている」

 「貴方が拒絶すれば、魔法界王室は人選を改めるでしょう。魔法界の魔力資源の七割がここに依存していることは、隠者達が明かした」

 少し強い声で、メルヴィンは言い切った。

 「そう、隠者達です。あるいは、もはや我々は、あの商人を通さずとも魔法界の者達と交易が可能でしょう。既に地球……魔法界と袂を分かち、地球で生きることを選んだ隠者達……隠れ路の賢者達との交易は、魔法界との交易にすら届く富を約束している」

 「……マダムは、我々が複数の窓口を持って魔法界やその他異界と関わる事を認めない」

 「その窓口が全て貴方ならば、お認めになります。それこそ、隠者達との交易をあの方に認めさせたのは貴方でしょう」

 そこで、ようやくとアントワーヌは視線を上げた。

 「お前は些か俺を買い被り過ぎているようだが」

 「貴方の自己評価が過小なのです」

 トントン、と、メルヴィンは机を指で打って首を傾げる。

 「わかりますか、アントワーヌ?貴方は、実際的な意味においては、魔女様以上にこの鉱山世界の〝統治者〟なのです」

 それは並ならぬ事だったのだと、メルヴィンは知っていた。かつて奴隷制もかくやの最悪の状況であった鉱山世界に、人が生きるに足る法と秩序を立てた功績の偉大さを、当人は果たして自覚しているのかと忸怩たる思いがある。

 「仮に貴方に何かあれば、魔女様すらも、この世界の統治に支障をきたすでしょう。そういう立ち位置にいるのをお分かりですか?」

 あるいは、とメルヴィンは小さく息を吐く。

 「そんな事になれば、あのニコロやエリックがどうなる事やら……」

 立場としての重要性に加え、なんだかんだと、魔女の子息達は長男を信頼している。

 「いえ、実はヘイダルや誠の方こそ、うっかり押さえがなくなると、怒りや誇りに歯止めが効かなくなる性分なのは分かっているでしょう?」

 その言葉に、金の瞳は僅かに逸らされた。何か逡巡するような横顔に、メルヴィンは言う。

 「貴方は、我々の要だ」

 おそらくは、メルヴィンだけではなく、〝兄弟〟全員が、そう思っている。

 「だから、貴方には万全でいて頂きたいのです。毎度、煙の量が増えるほど苛立つ相手ならば関わりを切ってしまえば良いではありませんか」

 ニコロやフロールあたりならば、嫌な相手とは無理に仲良くしなくて良いよ、くらいに明るく優しく言ってやれるのだろうが。あいにく、自分の口から出ると限りなく小言のようになる、と、メルヴィンにもその自覚はあった。

 「ええ……つまり……その、私はなんだかんだと、この世界が好きなんです、今となっては」

 溜息を吐いて、メルヴィンは開いた窓を閉じる為に数歩移動する。

 「とにかく、せっかく、ここ暫く急に煙が減ってたんですから、そのまま少し頻度を減らすべきです」

 冬の冷気が吹き込む窓を閉めると、同時に外からきこえる雑音も遠くなった。

 「この世界が……」

 静けさの増した室内で、ポツリと呟かれた言葉。

 「はい?」

 振り向いたメルヴィンに、いつの間にか再び書類に視線を落としたアントワーヌは、いいや、と首を左右に振った。

 「……いいや」

 独り言だと、呟いて。そして黙り込んだ姿からは、特に変わった事はないように、メルヴィンには思えていた。


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