9-15
「前代未聞」
雪路の提案を聞いたウェンディは、そう呟いて目をパチパチと瞬いた。
「花嫁候補が、あの屋敷を出るなんて……」
「聞いたこともないわ」
カレンも目を丸くする。
夕日が差す川辺の道。仕事終わりに待ち合わせして、一緒に夕飯を取ろうと道を行きながら。
花嫁候補の屋敷を出て、工女の寮で暮らせないかと訪ねた雪路を、二人は揃って凝視した。
「でも、フロールさんに訊いたら、特に規則上、引越しがダメって事はないみたいだし……。今のままより、快適というか……身体的にも精神的にも、良いと思うんだよね」
「うーん……まぁ、一理ある」
カレンは腕組みして小さく頷く。
「正直、このままじゃ毎日、廊下汚されて掃除したり、閉じ込められたり、水掛けられたり……マトモな生活が出来てる、とは言えないし」
「そう、だから、もし良かったら、カレンも……と、思うんだけど……」
今まで工女達と仲良くしてきた雪路はともかく、つい先日にウェンディとも会ったばかりのカレンだ。抵抗があるかも、と少し恐る恐る問う。
「どう、かな……?」
「……そうね、私は、その方がありがたいけど。……ねぇ、ウェンディ、それって……その、工女さん達の方で……大丈夫なの?」
カレンは思いのほか抵抗はなさそうに、けれど、少し心配そうにウェンディを見た。
「それは、大丈夫だと思う」
ウェンディはコクンと首を縦に振る。
「花嫁候補ってことで、戸惑う人もいるかもだけど……、私と雪路の知ってる相手って聞けば納得してくれるし、すぐ慣れるわ、きっと」
問題は、部屋の空きだ、と、ウェンディは夕日に目を向けた。
「確かに、何部屋か余裕はあったけど……雨漏りとかカビとか……そういうのが無いか、ちょっと確認しないと何とも言えないわね」
とりあえず明日の夕方まで待って欲しい、ということらしい。
「寮監に聞いてみる」
「ありがとうー!」
「手間かけて申し訳ないけれど、よろしくね……」
雪路とカレンがホッと頷くと、ええ、とウェンディは笑う。
「空いてると良いわね!そうしたら、誰かの部屋で、土曜日とかにお菓子やお茶を持ち寄って、夜更かしとか出来るかしら?」
「あ、それ良い!」
パッと雪路は頷いた。友達と夜更けにワイワイなんて、修学旅行みたいで、絶対に楽しい。
「私、ボードゲーム持ってくわ」
カレンもクスクス笑って頷いて、クッションを沢山並べてフカフカにしようとか、お茶用のお湯をどうやって調達するかとか、三人で夢が膨らみ始める。
その時に。
カラカラカラ……と。
どこからか、物寂しいような車輪の音が、聞こえてきた。
「あら」
ウェンディとカレンは、ハッとしたように目を瞬いた。
「え?」
その視線の先を、雪路も目で追った。
「……馬車?」
三人が歩いていた川沿いの道から、一本向こう。建物の隙間越しに見える大通りを、数台の馬車が走り抜ける所だった。
「もうそんな時期だっけ」
カレンが呟き、そうね、とウェンディも頷く。
「時期?」
雪路はキョトンと二人に視線を戻した。
(馬車は、初めて見た……)
この鉱山の世界で、乗物と言えば、街中を循環する路面電車だった。坑道の中にはトロッコがあったり、移動用に馬が繋がれている区画もあるとは、聞いていたけれど。
しかし、街中を馬車が走っているのは、初めて見る光景である。
「〝商人〟よ」
雪路に、カレンがそう説明した。
「月に一度、魔法界から宝石を仕入れに来る〝商人〟」
「馬車は、あの人しか乗らないわ、ここでは」
ウェンディも頷いて、ああ、と雪路は納得する。魔法界から来るという〝商人〟の話は、以前に鉱夫達から聞いた事があった。
「凄く変わった人なんだっけ?」
「ええ」
カレンは少し困惑の表情を浮かべる。
「基本的に、工女や鉱夫は商人やその使用人と話してはいけない、って決まりで。……ただ、花嫁候補は、話し掛けられた場合に限っては、少しなら応答して良い、らしいんだけども……」
話し掛けられたことはない、と呟いて。
「でも、そのくせ、気付くと街中にポツンと立ってたり……。急に傍にいる、みたいな」
「いつも笑顔で、物腰も穏やかそうな人なのだけど……。本当は笑っていない、みたいな、気がするというか……。どことなく不気味というか、得体の知れないところがあるのよね」
ウェンディも困惑したような顔で応じ、馬車が去った方を見詰めた。
「暫くは、街の北の館に滞在するはずよ」
「へぇ」
雪路も、既に見えなくなった馬車の幻を道に追う。
(魔法界……この世界に出入りする、唯一の人……)
興味が沸かないはずはなかった。滞在中に一目くらいは見てみたいな、と、ボンヤリ思う。
「……どんな人なんだろ……?」




