9-16
凄惨な嘆きを色にしたような、青い右目。異様なほどの狂喜を色にしたような、緑の左目。癖のない、狐の衣のような金茶の髪。
ニタリ、と。貼り付けたような微笑みをこれでもかと浮べて、男はひとつ、ゆっくりと頷いた。
「では、ひとまず本日の商談はここまでということで。ええ、良い仕事ができました、感謝します」
慇懃で、丁寧で。けれど、どこか白々しくて、その白々しさをあえて隠そうとしていない声は、そう言った。
「さて、では、仕事の話は抜きで、ここからはちょっと世間話でも如何です?」
「残念だが諸用が。失礼させて貰う」
商談用の密室。テーブルを挟んで斜め向かいのソファに座る〝商人〟に、アントワーヌは淡々と告げて席を立とうとした。
「おやおや、お待ち下さい!」
途端に、商人は大袈裟に声を上げて首を振る。
「そんな、商談だけとは、あまりに素っ気ないではありませんか?ひと月ぶりに顔を合わせた親友と、積もる話もあるでしょう?と、いいいますか、貴方になくても、私には積もる話がありますので。どうかお待ちを」
座って、座って、と。芝居掛かった手振り。
窓から見える外は既に暗く、室内を照らす灯で壁に写った商人の影は、ユラユラと蠢いた。
「……商人、個人的な用件で、かつ火急でもでないならば、今週は」
「おっと、ちょっといいですか?」
すかさず被せて来た声。そして、場違いなほど優雅に、自分の胸に片手を当てる仕草。
「いつも言っているでしょう?〝メルカート〟、と。気安くお呼び捨て下さい、白金伯」
よく言うものだ、と、内心でアントワーヌは毒付いた。親愛込めたように見せかけて、そのくせ上っ面だけなのがよく分かる声。
「思えば、もう長い付き合いになりますねぇ、アントワーヌ?」
「ああ、長い。貴公に親しい友人のような呼び掛けを許した覚えは無いはずだと、もう百度は思い続けてきたほどには、長い」
仕方なく座り直したソファー。足を組みながらピシャリと言えば、笑みを貼り付けたままの顔が、思い出したように少しだけ沈んだ振りをする。
「いつも思うのですが、私に対してだけ、他の方にするよりも対応が冷たくありませんかね?私は貴方の外見に心底、好意を寄せているんですよ」
はぁ、と商人は肩を竦めた。
「いいですねぇ、その人形じみた見た目。あとは息をしていなければ、体温がなければ、最高です。数百年、死体愛好家をしておりますが、世辞抜きで貴方ほど生きているのが惜しい人は初めてです。ああ、早く死んで頂きたい……。さぞ、麗しい死体になることでしょう」
「他人からの好意を本気で、ここまで疎ましく思ったのは初めてだな」
視線を部屋の隅に投げてぞんざいに返すと、おやおや、と商人は首を傾げた。
「気難しい方だ。こんなにも手放しで心から褒めたつもりなのですが」
「要件を、お聞きしよう、ムシュー・メルカート?」
商談後に引き留めるならば、何かあるのだ。この曲者が、本当に何の意味もない世間話など所望するはずもなかった。
「……ツれませんね、白金伯」
ふっと、商人は肩を竦める。
「……昔はもう少し熱心に話を聞いてくれたではありませんか」
無言を返すアントワーヌに、商人はクスリと喉を鳴らす。
「時に、貴方は、こちらに来てどれだけの月日が経ちましたか?」
「五十年を越えてからは数えていない」
「なるほど……?」
眉を片方上げ、商人は微笑みを深める。
「……しかし、パリは今も健在ですよ。華やかなる都は、おそらくは、貴方の記憶にあるままの栄華を留めています」
「……要件を聞きたいと言ったが、ムシュー?」
金の瞳は僅かに不快を表して細まる。
「……よろしい。では、腹を割って話ましょう、白金伯」
商人の声から、過剰なほどだった柔らかさが消えた。
「先日の、不手際。魔法界王室の特務大使ブロワが、鉱山特区を侵犯し、並びに、その上官が貴方に対し直接的な戦闘行動を取った件」
ゆっくりと、金の瞳は商人に視線を戻す。
「……その件ならば、取引における〝誠意〟を貴公が示された故、こちらからはもう持ち出さないと、お約束したが?」
「ええ、もちろん、それには感謝しています。むしろ貴方があの塵共を殺さず、我々のやり方で責任を取らせる機会を下さっただけでも、破格の寛容を頂いたと認識していますとも」
薄ら寒いほどの物腰穏やかさで、商人は頷いた。
「問題は、あの塵共の今後ではなく、なぜ、あの塵共が、今、そのような事をしたか、です」
少しだけ、声を潜めるように掠れさせ、その声は囁く。
「……お気付きでしょう?魔法界では、近年、この世界への干渉を支持する声が大きくなりつつある」
ユラユラと二人分の影が壁に写って睨み合ったまま揺れていた。それを視界の端に捉えたまま、囁きは続く。
「白金伯、貴方は私の盟友です」
ニコリと細めたままの目元と、口角を上げたままの口元。しかし、張り付いたような微笑みのまま、その声には、何の感情も乗っていなかった。
「そして白金伯アントワーヌ・ドゥ・シャティヨン。貴方は、賢明な人だ」
「……なにが言いたい?」
金の瞳は、静かに剣呑さを湛えた。しかし、商人は動じない。
「あの〝紅蓮の魔女〟が如何なる存在であるか、我々魔法界の悲願、どちらもご存知のはず」
乾いているなりに慇懃さを保っていた声は、乾きの変わりに慇懃さを封じた不躾な鋭さと苛烈さを孕む。
薄い白の手袋をした長い指が、テーブルを、ツゥ、と撫でて。
「……時は、迫っている」
左右で異なる異様の瞳は、微笑んだまま、けれど凍てついていた。
「アントワーヌ、貴公は、いつまで墓守に甘んじているつもりか?」
有無を言わせない奇妙な強制力を持った声だった。決して、無視する事も、聞こえなかったと流す事も許さない、そんな絶対性を、その声は内包していた。
「本来、貴公が墓守するような義理は無いだろう。あんなものは切り捨て、踏み越えて行けば良い。無様に死んで逝った〝以前の〟子息達や鉱夫、工女。奴等は、貴公が差し伸べた手に唾を吐いて勝手に逝ったようなものだ」
淡々と、どこか侮蔑さえ含んで声は続く。
「それとも、あるいは……真に貴公の枷になっているのは、死人との思い出よりもむしろ、貴公に用意させた生温い湯の中で逃避して生きている連中の方か。……と、それは貴公が一番痛感していらっしゃるかな?」
「商人」
歌うように優雅な、いつも通りの声が響いた。淡々と、金の瞳は商人を見て揺らぎもしない。
黒い手袋をした手は、コンコン、と指先で机を打つ。
「腹を割ることと無礼を許すことは、別だ」
優雅で歌うような声のまま、ひやりと、心臓が凍り付くような冷たさがあった。
「それとも、貴公は俺との殺し合いを所望か?」
微笑みを貼り付けたままの商人と、一見しては優雅に落ち着いたままのアントワーヌと、互いに値踏みするような時が流れて。
「……仰る通り、いえ、滅相もない」
やがて商人が口を開いた。
「ご無礼を。つい口が滑りました」
喉を鳴らして笑い、大仰に肩を竦めて。
「しかし、お忘れ無きように」
白い手袋の手が片方、ふわりと手の平を上にして晒される。
「我等は同盟者だ、望むと望まざるとに限らず」
だから仲良くやりましょう、と。微笑んだ商人は立ち上がる。
「では、我等の悲願への助力要請は、また後日。貴方の御機嫌を伺いつつ出直しましょう」
「気遣い痛み入るが、残念なことに、貴公の顔を見て機嫌の良い時などない」
再び足を組み替えて、煙草の箱を取り出すアントワーヌに。
「それは困りました」
商人はニコリと微笑みを貼り付けたまま、そう言った。
「私はむしろ、貴方の顔を見ていると御機嫌なんですがねぇ。……ええ、喋っている、生きている、と思うと、残念ですけれど」
「奇遇だな。俺も貴公が生きている事を残念に感じていたところだ」
「ほんと、私には辛辣ですね。まぁ、貴方の顔で罵られるのは、ゾクゾクして気持ち良いので苦ではないんですけど」
「色々と倒錯しているのは知っていたつもりだが、とうとう完全に狂ったか?」
吐き捨てられた言葉に、ふふ、と笑うと、商人は肩を竦めて踵を返した。
「完全に御機嫌を損ねてしまいましたか。では、本日は退散するとしましょう」
バタンと扉を開いて部屋を去る刹那。その二色の瞳はチラリと振り向いて呟いた。
「……貴方が思う以上に、私は貴方に期待していますよ、白金伯」
扉が再び閉じた後には、怒気とも、戸惑いとも知れない静けさだけが残った。
次回更新予定:1月14日13:00
(同時に別の短い読切ファンタジーを投稿するかもしれない)




