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魔女と鉱石、帰還譚  作者: 空野
Chapitre.6
58/323

6-7

 帰り道を送ると申し出たのも、ヘイダルだった。

 慣れた道だし、一度帰ってから荷物を持って銭湯に行くから、と遠慮した雪路に対し、脱走防止の監視も兼ねているから、と無愛想に答えたものの。

 西の鉱山の稜線に辛うじて薄い朱色が残っている程度の頃合、いつの間にか路面電車が走る側に立ってくれていたりと、おそらく防犯など、気を使ってくれたのもあるのだろうなと悟る。

 「ヘイダルさんて、もしかして結構、気遣い屋な人ですか」

 「藪から棒になんだ?」

 横を歩きながら、ヘイダルは顔を顰める。

 「いえ、さっきの〝お目当て〟の追求の時とか、今とか、紳士だなぁ、と」

 雪路が微笑むと、う、と、ヘイダルの褐色の肌は少し朱色を帯びた。

 「……あれは、ふと思い出しただけだし、これは、治安維持が俺の仕事だからだ」

 視線を逸らし、ボソボソと首を振る。

 「だとしても、私は感謝してます。ありがとうございます」

 笑って雪路が答えると、そうか、と戸惑うように頷き、橙色の猛禽の目は、通り過ぎて行く路面電車を少し追い掛けた。

 カラン、カランと鳴る鐘の音が遠ざかる。

 路面電車が角の向こうへ消えると、その目はそのままどこか遠くに思い馳せたように、微かに柔らかく細まって。

 「……ヘイダルさん?」

 思わず声を掛けると、ゆっくり、遠くを見ていた視線は今に戻ってくる。

 「いや、あの鐘の音は好きなんだ」

 「鐘の音?」

 聞き返す雪路に、ああ、と頷く。

 「羊に付けた鐘が鳴るようで、聞き心地がいい」

 それを聞いて雪路は想い出した。

 「あ、羊とか、飼ってたんですか?確か、ヘイダルさんは地球にいた頃は砂漠の遊牧民だった、ってニコロさんに聞きましたが……」

「ああ、そうだ」

ヘイダルは再び、どこか遠くを見て目を細める。

「俺は今も昔も、ベドウィンだ。羊を連れ、犬を友とし、駱駝を船に。砂の海を往く一族。それが、俺の一族だった」

 その声に、確かに誇らしさがあった。

 「懐かしいな」

 目を細める横顔に、雪路は目を瞬く。

 今も昔も、と。昔は、ではなく、今もと言い切った声に、ドキリとするものがある。

 (……帰りたいのかな)

 魔女の息子達も、元は地球に暮らしていたと実感するたびに聞きたくなる問。けれど迂闊に口に出せないと、流石に学習している。誠のような回答があるかもしれないし、ヘイダルに限っては、雪路の脱走を警戒している張本人なのだから。疑いを深めるかもしれない方面の話題は避けるべきである。

 浮かんだ疑問を声に出さずに飲み込んだ雪路の横で、ヘイダルはポツリと続けた。

 「……とはいえ、向こうにいた最後の頃は、遊牧よりももっぱら戦争ばかりだったがな」

 「戦争?」

 急に不穏な事を、とギョッとして振り向けば、ヘイダルは肩を竦める。

 「独立運動、と言えば少し聞こえが良いか。俺は一九一七年、オスマン帝国からの独立運動の最中にここに来た」

 「オスマン帝国」

 オウム返して、確か世界史の授業で聴いたなぁ、と記憶を必死に辿る。

 (ええと、大きい国だったよね。確か)

 すると必死なのが顔に出たのか、ヘイダルは苦笑いした。

 「今となっては過去の事だ。別に無理に知識を引っ張り出すことは無い」

 「す、すみません」

 とりあえず辛うじて、一九一七年が第一次世界大戦の頃であるのは雪路の記憶にもヒットする。だからと言ってどれくらい前かと実感が湧くものでもないけれど、なるほど、第二次世界大戦中にやって来た誠とは三十年近い開きがあるのは判明した。

 「ニコロさんは一九二〇年までシチリアにいたんでしたっけ」

 すると、約三年の開き。なるほど、仲が取り分け良さそうに見えるのは、もしかしてそこら辺もあるのだろうかと納得。

 「ああ、ニコロとフロールとは来た時期が特に近いな」

 「フロールさんも?」

 「フロールは一九一六年だ。ロシア帝政末期の、ペトログラード……サンクトペテルブルクから来た、アイツは」

 ヘイダルからの情報に、雪路は、へえ、と呟く。

 「フロールさん、そう言えば名前……ミドルネーム?とか名字?がロシアって感じですもんね。なんだか凄く高貴な感じの響きですし」

 「高貴というのは当たっているな。アイツはロシア帝国末期の貴族だ」

 「え!?」

 思わず少し大きな声が出る。

 (うわ、本当に王子様……ではないけど、高貴な人だったんだ……)

 通りで気品があるわけだ、とこれにも納得。

 (シチリアのマフィアに砂漠のベドウィンに、大日本帝国軍人さんに、ロシア貴族……)

 魔女の息子達は個性豊かだと思ってはいたが、こうして考えると出自の字面だけで更に濃い。

改めて個性の豊かさに感心していると、どうやら帰り道をだいぶ進んで来たようだった。

 大通りを走る路面電車の姿はとうになく、街灯が他より多めに設置された一本奥の道。気付けば花嫁候補の屋敷のすぐ前だった。

 「あの、ありがとうございました、送って頂いて」

 屋敷の門の前まで来たところで、足を止めたヘイダルに改めてペコリと頭を下げた。

 「構うな、これは仕事だ」

 肩を竦め答えたヘイダルは、では、と踵を返す為に片足を引こうとする。

 「風呂に行くと言っていたが、その際は明るい道を通るように。治安は警察の努力だけではなく、根本的には自衛から……」

 去り際、何か言いかけた声は、そこで途切れた。

 「む?」

 ばさり、と、褐色の肌を持つ顔に、何か白い布が落ちてきて。

 「え?」

 布が落ちて来た方、屋敷の二階を振り扇いだ雪路は、ハッと凍り付く。

 「あれは」

 二階の窓の一つが開いて、そこから数人の花嫁候補が何かをぶちまけている。他の窓から見ている花嫁候補達も多く、彼女達の笑い声と、そこに混じって、やめて、という悲鳴が聞こえた。

 「シャツ?」

 ヘイダルは白い布を広げ、それが白いシャツである事に気付いたらしかった。

 「一体、何が……」

 「ヘイダルさん!回れ右して!」

 次の瞬間、窓から放り投げられた物を見て、雪路は叫んだ。

 「なっ!?」

 ヘイダルも気付いたらしく、盛大に狼狽えながらクルリと背を向け、おまけに両手を目元に当てた。

 「やめさせろ!そしてやめせてから声をかけろ!」

 「わかってます!それまで見ちゃだめですからね!」

 大慌てで、雪路は浮遊魔法を発動して門を飛び越え、風にヒラヒラ飛んで行きかけていたそれを掴み取った。

 「何やってるの!やめなさい!」

 次々に窓から放り出されるのは服だった。コートやブラウスに、そして、雪路が慌ててキャッチした、下着までも。

 室内で抑え込まれ、やめて、と叫んでいるのはカレンだったから、おそらくは彼女の物。

 「あ、バカがもう一匹」

 「自分達が何をやってるかわかってるの!?」

 「はあ?ゴミ捨てだけど?」

 雪路の叫びに忌々しそうに唸る花嫁候補達は、服を撒く手を止めなかった。慌てて駆け回って風に攫われそうになるそれを掻き集める雪路を、犬みたいね、とケラケラ笑う。

 「ほーら!とってこーい!」

 「あら。あれ、バカだから取って来いなんてきっと出来ないわよ」

 「何、手を使ってんのよ!犬なんだから口で取ったら?」

 盛大な笑い声に、グッと奥歯を噛み締めて、雪路は庭の木に引っ掛かっている服を一つ一つ取り外す。

 「自分の服がないからかしら?必死に拾っちゃって」

 「いやしいわねぇ」

 投げる物の無くなった花嫁候補達は、今度は雪路の様子に口々嘲笑を上げていたけれど。

やがて、門の外から聞こえた声にピタリと凍り付いた。

 「おい!雪路、まだか!?」

 ヘイダルの声に、はい、と雪路は最後の服を外しながら答えた。

 「もう良いですよ!」

 コートで下着類を包んで答えると、何とも言えない顔をしたヘイダルは、門を潜って屋敷の庭に入って来る。

 「……聞こう。これは何事だ?」

 戸惑い混じりの何とも言えない表情は一瞬で、そう問うた時には、その顔は鷲の鋭さを湛えていた。威厳を感じさせる橙色の双眸に見上げられ、窓から服を撒いていた花嫁候補達はサァと顔色を青くする。

 その時には、見物して笑っていた花嫁候補達は、サッと窓際から逃げ出していた。

 「答えないか!」

 鋭い一喝に、びくり、と実行犯の花嫁候補達は飛び上がった。

 「これは……その、ただの、喧嘩です」

 ようやくと、一人が震える声で言った。

 「に、二十人も集まれば、時々、喧嘩くらいありますわ」

 「喧嘩の度を越している」

 ヘイダルはピシャリと切り捨てた。

 「喧嘩ならば当人同士のみで済ませろ。風に乗せて衣服を撒くとは何事だ。品がない上に、街の風紀上、非常に迷惑だ」

 怒鳴る訳ではない。しかし確実に厳しい声音に、花嫁候補達の視線は気まずく床に向けられる。

 「……申し訳、ありません」

 ボソボソと漏れる謝罪。

 ヘイダルは数秒、思考するような間を置く。そして、ふう、と小さく息を吐いた。

 「以後、このような事のないように」

 そうして、雪路を振り向いた。

 「その衣服は、しっかり持ち主に返すように」

 「はい」

 元よりそのつもりだと頷くと、ヘイダルはほんの刹那、雪路にだけ見える角度で、物言いたげな顔をした。

 どう考えても、ただの喧嘩ではなさそうだと思ったのだろう。しかし、ただの喧嘩だと言われてしまった以上、ヘイダルにできるのは、ここまでだった。女物の服など風に乗せて撒かれては治安上も宜しくないから、そこは止められるが。しかし、子供の喧嘩でもないのに、第三者のヘイダルが口を挟んで根掘り葉掘りする義務や権利はないのである。

 あるいは、カレンとイザベラの決闘についてはヘイダルも知っているはず。それでだいたいの事情を悟った上で、迂闊に自分がここで何か言っても、根本的に解決するような問題ではないと判断したのかもしれない。

 どうしたものか思案した結果、おそらくは一先ず雪路に任せると言うことか。物言いたげな顔で雪路を見やった後、すまんな、とごく小さな声で言い、表情を引き締め直す。

 「では、失礼する」

 スッキリしない様子ではあるものの、結局そのまま、ヘイダルは雪路の横を通り過ぎた。

 雪路も黙ってそれを見送る。

 ここで雪路がヘイダルを引き留め、恒常化したカレンへの嫌がらせの内情を打ち明けたところで、おそらく何の解決にもならない。ヘイダル当人がこの場で叱っている間は大人しくなるかもしれないが、その後には告げ口の報復として、カレンや雪路への嫌がらせが更に悪化する可能性の方が高いだろう。

 (いや、むしろ既に逆恨みしたよねぇ、たぶん……)

 ヘイダルが門の向こうに消えてから、雪路は少し覚悟を決める間を置き、もう一度、浮遊魔法を発動した。



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