6-4
「イザベラを敵に回したぁ!?」
ウェンディは声を裏返してそう叫んだ。銭湯の広い浴場内に響き渡ったその大声に、バッと、居合わせた工女達全員が振り返る。
「嘘でしょ雪路!?貴方、何考えてるのよ!?」
「ま、まぁまぁ」
苦笑いして、雪路は興味津々な周りの工女達にも視線を向けた。
「あの、まぁ、そんなわけだから、暫くここに通います。宜しくお願いします」
「雪路!」
ウェンディは顔をこれでもかと顰めて雪路の肩を掴んだ。
「……カレンが絡んでるの?」
音量は落ちたものの、真剣さは増した声音に、雪路も笑いを引っ込める。
「……カレンの味方をするって言ったの」
答えた雪路に、ウェンディは何か言いだけに口を開いて、けれど結局、諦めたように溜息を吐いた。
「……それで後悔しないの?」
「するかもしれないけど、あのまま中途半端にイザベラの顔色を伺っていても、後悔する事になると思う」
雪路は答えて、ちゃぷんと深く湯に浸かり直す。
「だったら、自分で良いと思う方の後悔をするよ」
「……貴方は、もう!……ええ、そういう子なのよね」
ウェンディは呆れた顔でそう言うと、雪路の肩を放して自分も湯に深く浸かった。
「……しょうがないわね。出来る限り協力するから、無理はしないのよ?」
「うん、ありがとう」
ホカホカと温かい湯気の立ち上る浴場。仕事終わりの穏やかな一時を楽しむ工女達は、こちらを気にしながらも各々、湯に浸かったり体を洗ったり、行動を再開する。
「……土曜日にだいぶ気にしてたから、もしかして、とは思ってたけど」
ウェンディは湯の中で腕組みした。
「でも逆に、あんな場面を見て、よく覚悟が決まったわね」
何かあったのかしら、と訊かれて、雪路は一瞬、肩を揺らした。
「……あー……うん……。ちょっとね」
「あら、なにその顔?」
「ウェンディ、雪路、なになに?なんの話?」
途端、ニヤリとウェンディは笑い、様子を伺っていた近くの工女達がパシャパシャと浴槽の中を移動して寄って来る。
「ど、どんな顔よ?」
雪路は慌てて両手を顔に当てた。タオルで纏めて髪を上げた顔は、表情を隠すものなんてない。蒸気でほんの少し明かりが曇っている以外に、何やら女のカンが働いたと思しき工女達の視線を惑わしてくれる要素はなかった。
「今のはアレよね、〝イイ人〟の事を考えた顔だった」
工女の一人がウキウキと頷く。
「そうそう!今の、顔が緩んじゃうの我慢できない感じの、そのくせウットリしちゃって!」
別の工女も囃し立て、ええ、と、雪路は慌てて首を振る。昼のヘイダルに引き続き、今日はそんな話ばかりだなと狼狽えながら、思った。
「あのね、そんなんじゃないから!ちょっと、話聞いてもらっただけだから!」
「あら、誰に?」
すかさずウェンディに突っ込まれ、墓穴を掘った事に気付く。
「あ、いや……うん、えへへ……」
笑って誤魔化そうとしながら、雪路の脳にはヘイダルとの会話が過ぎった。
(……好きな人……好き……、私が、アントワーヌさんを……)
頭の中にその言葉が浮かんだ瞬間、何かいたたまれない気持ちになって、少し視線を泳がせる。
(違う、違う、違うって)
フルフルと小さく首を振ってみるも、奇妙に高揚した心臓は落ち着かないまま。
「即答しないところが、つまり、そういう事よね」
「その〝誰か〟が雪路の本命ねぇ」
その間、ズンズンと工女達の中で確信は蓄積したらしい。
「ち、違うってば」
雪路はフルフルと再び首を振った。
「その……あのね、あの人は、たぶん、その、憧れって言うか……」
「ほぉ、憧れ?」
年上の工女が物言いたげに目を細くする。対して雪路は、視線を湯に落としてコクコク頷いた。
「普通にカッコイイなぁって思うんだけど……。あの、かっこよすぎて、その、どうしたらいいか分からないって言うか……」
こう思い浮かべている瞬間にも、肺や心臓の辺りはきゅうきゅう息苦しいし、ぐいぐいと何か言葉にならない物が込み上げてきて、今にも悲鳴を上げてしまいそうになる。
「すごく、かっこいいし、かっこいい、けど、あの、それだけで……。あの、それ以上どうなりたいとか、ないというか……。どうしていいか分からなくて……。だから、その、好きなんじゃなく、これはたぶん、憧れとか、なんだと……」
「雪路、それが〝好き〟だから」
「雪路ちゃん、それは間違いなく〝恋〟」
「それ完全に好きになってる」
一斉に、その場の工女達に言われて、雪路は思わず飛び上がった。
「え、あ?え?」
キョドキョドと目を瞬いて周りを見回すと、彼女達はニヤニヤしたり呆れたりの表情で雪路を生暖かく見詰めている。
「え、えええ!?」
とうとう悲鳴を上げて、雪路は縋るようにウェンディを見た。
「え、あの、そうなの?」
「……まぁ、客観的に見るとベタ惚れって感じにしか見えないけど」
呆れ半分、愉快さ半分の顔で、ウェンディは頷いた。
「で、誰なの?」
「土曜日、何があったの?」
物理的に詰め寄ってくる工女達に、ひええ、と雪路は再度悲鳴を上げる。
「結構有力視されてる噂だと、やっぱり誠様?」
「いえ、でも最近はニコロ様説もあるわね」
「大穴でエリック様とかは?」
ワイワイと工女達は楽しげに予想を口にした。
そんな中で、ウェンディがニマニマとコチラを見ているのに気付いて、雪路はドキリと顔を引き攣らせる。
「……あの、ウェンディさん?」
「私、たぶん、正解知ってるわ」
ひい、と、雪路は震え、他の工女達が一斉に振り返る。
「ねぇ雪路、〝あの人〟でしょ?」
「ど、どのひと?」
恐る恐る問い掛けると、ウェンディはチョイチョイと雪路を手招きする。そうして雪路の耳に顔を近付け、こっそりと、小さな声で言った。
「アントワーヌ様」
ビクリ、と盛大に肩が跳ねた雪路に、顔を離したウェンディはニンマリする。
「当り?」
「……うん」
観念して頷く雪路に、誰だ、誰だと工女達が声を上げる。
「だめだめ!ウェンディ、言わないで!なんか、すごく恥ずかしいから!それに、好きっていうか、なんか!その!ちがう!から!」
「まぁ皆が知ってる人とだけ言っておくわ」
雪路の悲鳴を聞いて、ウェンディはクスクス笑いながら周りを宥めてくれた。そうして、それから、ふっと雪路を振り向く。
「……でも、もしかして、だから、イザベラと?」
自分にだけ聞こえる音量での問い掛けに、雪路は、静かに首を左右に振った。
「違うよ」
イザベラが好きな相手を自分も好きになったからでは、決してないと。それは言い切れる、と、雪路は表情を改める。
「あの人に褒めて欲しいと思う。あの人に相応しいようになりたいと思う」
けれど、それだけではないのだと、雪路は思った。
「でもね、例え、あの人がいなかったとしても、私、きっと、いつかは決断してた。あの人は、切っ掛けも勇気もくれたけど、でも、この決断は、私がしたものだから」
その言葉に、ウェンディはパチリと目を瞬いた。そして、ニコリと笑う。
「……でしょうね、貴方はそういう子よね」
ふふ、と笑って、ウェンディは雪路の肩を掴んだ。
「よし、それなら頑張らないとね」
「うん」
コクンと頷く雪路に、ウェンディはもう一度耳元に顔を寄せる。
「でも後で、ちょっと詳しく土曜に何があったか聞かせて貰うわよ」
「え」
ひええ、と、再度、雪路は悲鳴を上げた。




