5-13
ヘイダル、と、呼び掛けられて、振り向いた。
「エリックか」
西の地平に太陽が沈み切った直後。星明かりも些か心許ない細い路地。
振り向いた先には、白いスーツの義兄の姿。
「さっき、網が発動したそうじゃないか?」
軽い口調で言って、エリックは近寄って来た。
「しかも、あれだろ、真上の網ってことは例の浮遊魔法の子?」
「ああ」
頷くと、へえ、と空を見上げる。
「雪路ちゃんがねぇ?」
「知り合いか?……相変わらず手が早いな」
「おや、ひどいなぁ。そういう決め付けはしないでくれよ」
エリックは肩を竦めて視線を再びヘイダルに戻す。
「俺は可愛い子の事はよく覚えてるだけ。下心なんてちょーっとしかないさ」
ヘラリと笑う顔を胡散臭そうに眺め、ヘイダルは溜息を吐いた。
「……まぁいい。俺には関係ない」
結局、まともに何か指摘するのも馬鹿らしくなり、そう言った。
「では、俺は巡回に」
「……ヘイダル」
他に要件がないなら仕事に戻ろうかと踵を返しかけた矢先、エリックが口を開く。
「見逃したんだろう?」
「なぜ分かる?」
キョトンと目を丸くして問えば、ヘラリと笑ったまま、エリックは腕組みした。
「さっき、そこで雪路ちゃんと我等が兄さんが話してたからね」
「ああ、見掛けたのか、あの二人を」
納得して、ヘイダルは頷いた。
「先日の魔法界からの厄介者の件もあるからな。瑣末事に時間は避けまいと、アントワーヌがその場で無罪とした」
「ふぅん」
碧眼のアメリカ人は視線を路地の暗がりに投げた。陽気で軽快な印象の顔に、ほのかに、夜の闇がかかる。
「……君はそれで納得してるの?」
「なに?」
眉間に少し皺を寄せて、ヘイダルは聞き返した。
「無実だと、納得しているか、と?」
「うん。納得してるの?本当に脱走じゃなかったと?」
「……状況的にも、些か脱走らしからぬところではあった」
無意識に、片手をこめかみに当てる。コツコツと指先で軽くこめかみを叩き、ヘイダルは言う。
「加えてアントワーヌが判断したならば、俺はそれに従おう」
「君やニコロは、お兄ちゃん大好きだよねぇ」
エリックはクスクスと笑う。対してヘイダルはムスリと顔を顰めた。
「……何が言いたいんだ、お前は?」
「別に。ただ、俺も兄貴達……誠やアントワーヌの事は心配してるってだけさ」
すう、と、エリックは静かな顔になる。
「あの二人、ここ最近は忙しいだろ?魔法界のクズ野郎の事もあったし。まぁ、誠に関しては、元から肩の力抜くのが下手な人種ってのもあるけど」
それには深く同意する、と心中でヘイダルは頷いた。
「こんな時期にさ、変な脱走とか起きないといいよね、って」
エリックは言いながら唐突に、気紛れに、ヘイダルに背を向けた。
「これ以上、親愛なる兄さん達が働くのも可哀想だし」
「ならば少し貴様も真面目に働け」
背中に向けて投げた声には、ヒラリと振り返らないまま軽い仕草で手が振られ。
「これでも働いてるんだよ。俺が何の為に花嫁候補達にベタベタしてると思ってるの?」
ふふ、と、笑い混じりにエリックは言った。
「……雪路ちゃんはね、〝帰りたがってる子〟なんだよ」
「まて、それはつまり」
ハッと声を上げるヘイダルに、顔だけ振り向いて、エリックは軽薄そうに唇に人差し指を当てる。
「おっと、女の子の内心を人に漏らすのはよくないね。今のは内緒」
星明かりも心許ない路地の中。
「では、良い夜を。バイバイ」
うっすらと影を纏った男は笑い、パチン、と、七色の光の粒に変わって消えた。
ヘイダルは暫し立ち尽くし、やがて、小さく息を吐く。
「……花都 雪路か」
そうしてポツリと呟き、今度こそ、踵を返した。




