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魔女と鉱石、帰還譚  作者: 空野
Chapitre.5
49/323

5-11

 工女の寮に帰るウェンディとは、帰路の途中で別れた。

 そのまま真っ直ぐ、花嫁候補達の屋敷に帰る気にはなれなくて、雪路は何となく遠回りを選ぶ。

 時刻は夕刻に差し掛かっていた。東の鉱山の稜線にほんのりオレンジ色が差していて、けれどまだ、天頂から以西には蒼がある頃合い。

 「……私、いつまでこの世界にいるんだろう」

 無意識に呟いていた。

 「早く帰りたいな」

 モヤモヤと胃が気持ち悪いのは、この先への漠然とした不安があるから。

 (五十年以上、誰も試練を全てクリア出来ていない)

 そんな難行を、果たして遣り遂げる事が出来るのか。自信が無いとか以前に、まず、五十年という歳月が掛かっても誰も出来ない事、というのがどれだけ難しいことなのかが想像も及ばないのだ。

 (でも、やらないと帰れないんだ)

 帰れないないとどうなるか。この世界でずっと、あの花嫁候補達の屋敷で暮らして行く事になるのかもしれない。

 こうやってイザベラに怯えて御機嫌取りしながら、カレンのようにイザベラに睨まれた人を見て見ぬふりする自分にモヤモヤして。

 (……終わりが見えない)

 例えば苦手な人と同じクラスになってしまったって、一年頑張ればクラス変えがある。面倒な委員会や係になってしまったって、半年か一年で、終わる。

 でも、この世界は、今雪路が抱えているモヤモヤや罪悪感や自己嫌悪は、終わりが見えなかった。

 老いて死ぬ事もない永遠の世界で、いつ完遂出来るとも分からない試練の事を考えながら。

 これからずっとこんな日々が続くのかもしれないと思うと、強烈に、帰りたい、と雪路は思う。

 あるいは、もう全部、そういう面倒で嫌な事を投げ出して逃げてしまいたい、と言い換える事も出来るかもしれない。

 面倒な事は何も無い、日本の自分の家に、帰りたい。

 (……試練をクリアする以外には、帰る方法って、ないのかな?)

 人通りもあまりない細い道。立ち止まった雪路はボンヤリと街を囲む鉱山を眺めた。

 「無限に続いてる……」

 そう聞くけれど、ひょっとして果てくらいあるんじゃないか。

 本気でそう思ったというよりも、ただ胃の中のモヤモヤを忘れたくて、何かほんのちょっとでも逃げたくて、雪路はフワリと宙に浮き上がった。

 そのまま真上にグングンと上がって行ってみる。山の向こうのそのまた山の向こうの……どこかに果てがないかと、漠然と期待とも言えないただの思い付きを抱いて。

 そうして街で最も高い建物の屋根を通り越して、それでもまだ見えない果てに溜息を吐いた頃。

 パリン、と、何か薄いものを割ったような感覚が、あった。

 「え」

 反射で上昇を辞めた瞬間、ばさり、と視界一杯に網目が広がって。

 「きゃぁ!?」

 悲鳴を上げた雪路の体は突如出現した網に包み込まれ、浮遊の魔法は糸が切れたように力を無くす。そのままヒュウと落ちる感覚があり、思わず雪路は目を閉じたが、一瞬の後、バンッと軽い衝撃があって落下が止まった。

 「な、なに、これ……?」

 空中、何もないところにブランと下がった網の中に、雪路は捕えられたらしい。ふにゃふにゃと頼りない網の中、不安定な姿勢で身動きも取れずに辺りを見回す。

 「ど、どうなってるの?」

 浮遊魔法はやはりどう頑張っても発動しなかった。対処のしようがなくて困惑していると、やがて、バチリと背後から音がする。

 「え?」

 どうにか首を捻って振り向くと、ビリッと閃光が走り、反射で閉じた目を開いた時、そこには初めて見る青年が立っていた。

 褐色の肌に黒い髪と、橙色の瞳の男だった。眉間に皺を寄せて雪路を見る面立ちは精悍で、ピンと背筋の伸びた立ち姿には威厳すら感じられる。

 鷲を、雪路は連想した。堂々として壮麗な雰囲気の青年には、空の王者たる猛禽のような威風堂々たる印象がある。

 「……あの」

 「貴様は魔女様の網に掛かった」

 よく通る声で、青年は口を開きかけた雪路の言葉を奪った。

 「一定以上街から離れたということだ」

 「それは」

 ハッと雪路は思い出した。この街には、脱走者捕縛の為、一定の距離を離れた場所には魔女の魔法の網があるのだと、確かに以前、聞いたはずだ。

 「これが……」

 思わず、文字通りの網を見る。

 「脱走者だと言うなら、捕えるのが俺の仕事だ」

 目の前の青年が言う。

 「浮遊魔法が使えねばここの網にはかかるまい。……とすれば、貴様、噂の新しい花嫁候補か」

 「はい。……花都 雪路です」

 気圧されながら名乗ってから、雪路は改めて青年を見て気付いた。

 (この人も軍服だ)

 誠のそれとは違い、鮮やかな紅をしている軍服だった。丈の長めな上着のウエストを留めるベルトのかわりに、緻密な紋様で彩られたシルクのサッシュが巻かれている。そしてそこには反りの大きな曲刀が挟まれていて、肩には小銃まで下げていた。

 ある意味、誠以上に物々しくて、魔法の世界においては異質な姿。

 パチパチと目を瞬いてから、雪路はふと仕立屋で見たアルバムの事を思い出した。確か、こんな軍服の写真があったではないか。

 「あの、もしかして……ヘイダルさん、ですか……?」

 魔女の六男。確かニコロは彼を差して砂漠のベドウィンと言っていたか。

 首を傾げた雪路に、青年はコクリと頷いた。

 「ヘイダル・イブン・ジャーファル・イブン・サルマーン。魔女の六男だ」

 険しい表情のまま、しかし応じて律儀に名乗る辺り、どうやら根が真面目な人のようだと雪路は思う。

 「トパーズの鉱山の管理権と、更に街の治安維持について任されている。脱走者であるならば、花嫁候補といえど拘束、尋問させて貰う」

 「え、あの」

 不穏な宣言をされて、慌てて雪路は首を左右に振った。

 「違います、私、別に脱走なんて……」

 「ではなぜ、街から一定以上離れた?」

 「ふ、浮遊魔法で、どれくらい上まで上がれるんだろうと思って……!」

 拘束はともかくと尋問とは、あまり良い響きではない。脱走者がどうなるか知らないが、以前に脱走者だと思われた時の鉱夫やウェンディ達の反応から見て、良い方向には転がらないに違いなかった。

 あながち脱走しようとした、というのが否定出来ない理由で飛んではいたのだけれど、慌てて雪路は否定する。

 「脱走なんてしません!」

 「……しかし」

 ヘイダルは眉間に皺を寄せたまま、網の中の雪路をジロジロと睨んだ。

 「しかし明らかに疑わしい状況ではある。網が発動した以上、魔女様も何かあったことはお気付きになっているはずだ。故に、俺は仕事を果たさねばならん」

 取り付く島もなく言い切って、何か魔法を使おうとしたのか片手を上げたヘイダル。

 「誤解です!」

 慌てて雪路が叫んでも、その表情は変わらない。

 「それは俺が判断する事ではない。本当に誤解ならば尋問室で釈明を」

 「いいや、必要ない」

 ふわり、と、その時、霧が掛かった。ヘイダルの横に一瞬広がったそれは、すぐに晴れて。

 「今回の件、この場で俺が判断する」

 霧が晴れたそこに、黒衣の男が立っていた。

 「アントワーヌ!」

 ヘイダルは少し目を見張って振り向いた。

 「捕縛までは俺の仕事だ。わざわざ貴方が出るなど」

 「マダムが気にしておられた。早急に対処せよと仰せだ。お前を信頼していないわけではない」

 驚いているヘイダルに視線だけを向け、さて、とアントワーヌは腕組みする。

 「脱走か、それとも単なる事故か」

 ツイ、と、金の視線は雪路に動いた。

 「……脱走ではない、と、言うんだな?」

 「はい……」

 コクコクと雪路は頷いた。安堵が肺の中に広がる。

 (よかった、アントワーヌさんだ。アントワーヌさんなら、きっと、大丈夫)

 彼なら悪いようにはしないと、そう確信して頷く雪路に、そうか、とアントワーヌは軽く首を縦に振った。

 「ならば、今回はお前の主張を信じよう」

 「アントワーヌ」

 慌てたように不満そうなヘイダルが声を上げ、体ごとアントワーヌの方を向く。

 「良いのか?」

 「脱走する気なら」

 アントワーヌはヘイダルの顔を見て、軽く肩を竦めた。

 「脱走する気なら、ここの網には掛からない。街の横に進んで網に掛かるならともかく、真上に真上に進んで、宇宙にでも脱走するのか?」

 「む」

 確かに、と、少しヘイダルの眉が下がった。

 「あるいは、脱走者は大抵、動きやすい姿で、それなりに食料なり着替えなり装備しているのが常だ」

 休日用のスカートで、手ぶらの雪路を振り向き、むむ、とヘイダルの眉は更に下がる。

 「し、しかし……」

 「ヘイダル」

 静かに、ゆっくりと、長男は六男を説き伏せた。

 「先日のムシュー・ブロワの一件で、俺も誠も忙しい。もちろん、お前も。瑣末な疑いに時間は割けない」

 それが決定打だった。

 「……その通りだ」

 渋々ではあるが、ヘイダルは頷いた。

 「貴方がそう言うのならば、今回は俺も事故と信じよう」

 そうして雪路を見ると、眉間に皺を寄せたまま、小さく溜息を吐く。

 「次からは気を付けるように」

 「は、はい」

 大人しく神妙に頷いた雪路。

 「では俺は仕事に戻るが……」

 ヘイダルはチラリとアントワーヌを見た。

 「それは俺が対処しよう」

 アントワーヌは雪路が掛かっている網を見てヘイダルに頷く。

 「では、頼む」

 ヘイダルは軽く頭を下げると、閃光と共に瞬き一つで姿を消した。

 そうして、数秒の間を置いてから。

 「……さて、まずは地に足を付けるとしよう」

 アントワーヌが振り向くと同時に、雪路の視界はフワリと霧に包まれた。

 あ、と思った瞬間には体が浮くような感覚があって、次の瞬間、かつりと、雪路は元いた細い道の上に立っている。

 「怪我は?」

 「あ、ありません」

 数歩前方に立っていたアントワーヌの問に、はっと答えた。

 「すみません、ありがとうございました」

 ホッとして微笑むと、金の瞳は一度瞬き、それから真っ直ぐに雪路を見据える。

 「俺は網について、以前に警告した」

 優雅で歌うようないつもの甘いテノールは、けれど、その瞬間、ぐっと温度を下げていた。

 「脱走者の処罰は俺の仕事だとも。そして、その仕事は好きではない、とも」

 「あ……」

 ドキリと、心臓が大きく跳ね上がって、それから、何か錘でも付いたように鈍く、重くなる。

 「花都 雪路、お前の証言を信用しないわけではないが、軽率な行いを残念に思う」

 凍り付いたように動けない雪路に、アントワーヌは無表情のままそう言った。

 「以後、気を付けるように。俺も二度目は庇えない」

 声を荒げられたわけでもなく、叱責されたとすら言えない程度には静かな言葉だったのに。

 雪路は、思わず視線を落とした。心臓が止まってしまいそうなほど重くて、息をすると喉が痛い。

 「……すみません」

 掠れそうな声で呟いて、足元にある自分の影をジッと見た。

 今日は本当についていない、と、真っ白になりかけの頭の隅で思う。

 (イザベラのことも、カレンのことも、試練のことも、これからの事も)

 何もかも見通しが立たなくて、逃げたくて、不安で、家に帰りたくて。

 (……その上、アントワーヌさんまで怒らせちゃった)

 そう思った途端に、もう何もかも真っ白だった。心臓なんかとっくに止まってしまっているんじゃないかと思うほど鈍く、重い感じがして、頬骨の辺りが熱くて痛い。

 「……雪路」

 俯いて黙り込んでいると、向かいでアントワーヌが口を開く。

 「はい……」

 俯いたまま、どうにか声を普通に押し出した。

 「すみません、今度から、気を付けます」

 そうして、逃げるように半歩、片足を下げた。

 「……すみません、私、今日は、ちゃんと、もう真っ直ぐ、帰ります」

 声が震える前にと踵を返し掛けたところで、もう一度、雪路、と、物言いたげな声で名前を呼ばれた。

 ああ、自分は今きっと、こうやって呼び止められるような顔をしてしまったのだと悟る。

 一瞬、ピタリと凍り付いてから、まだ自分は泣いてはいないはすだと確認し、慌ててどうにか笑って顔を上げた。

 「あ、いえ、すみません。あの、今日、ちょっと、疲れちゃっただけで……あの、大丈夫です」

 えへへ、と笑って、けれど、視線は徐々に落ちる。

 「あの、アントワーヌさんのせいじゃなくて。いえ、だから、その、本当に申し訳ないとは思っていますけど。でも、その、それが原因じゃなくて、それで……その」

 ごめんなさい、と、最後の声は掠れてしまった。

 (ああ、どうしよう、アントワーヌさん気にするかな?気にするよね、優しい人だし)

 貴方は悪くないのだ、これはタイミングが最悪だっただけなのだ、と、言いたいけれど、それを言ってしまえば泣いてしまって、きっと余計に気にさせてしまうから。

 雪路は身動きできないまま立ち尽くす。

 「……そうか」

 やがて、コツコツと俯いた視界の中に革靴が入って来た。

 いつの間にか西の空に微かに差していた朱色は全天に広がっていて、足元の影は濃く長く伸びている。

 「雪路」

 すぐ側で、革靴は立ち止まった。

 そうして、肩を軽く叩かれる。

 ぴくりと思わず顔を上げると、人形のように整った顔は少し困ったように笑った。

 黒い手袋をした手はすぐに肩から離れて、けれどすぐに届く距離で、こちらに差し出されるような仕草で留まった。貴女を心配しているが、貴女には勝手に触れない、と。そういう、遠慮と敬意を表明した動きだと分かって、ざわりと胸のあたりが騒ぐ。

 この人は、きちんと、一人の女性に接する礼を持って自分に向かい合っている。

 真っ白で何もかもから逃げてしまいたい頭の奥、それだけ不意に弾けるように浮かんだ。

 鉛のように重い心臓が、けれど奇妙に熱を帯びて縮む気がする。

 「なにか、あったのか?」

 穏やかに響いた声には、もう低い温度はない。よく知った歌うように優雅な響き。

 それだけで、パチンと何か切れたように、逃げ切れなくて煮え切らない、胃の中でここ最近ずっとグツグツしていたものが、ボロリと堰を切る。

 「……ごめん、な、さい」

 コクコクと頷いて俯き、引き攣った声を漏らすと、刹那だけ間を置いて、革靴はもう一歩、雪路の方に進んだ。

 「……どうした?」

 背中に片手が当てられて引き寄せられた。そうしてもう片手は頭に触れて、優しく撫でてくれる。

 目の前にある黒い外套の襟を汚してしまうわけにはいかないと、真っ白な頭の片隅で思って、自分の手を目元に当てたまま。それでも、自分より背の高い人にしっかりと抱き留められる感覚は、嫌な事の何もかもから隔離してもらっているような、どうしようもないくらいの安心感に満ちていて。


 雪路はボロボロと、しばらく泣いて、立ち尽くした。


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