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何を余計な事を考えている、と、鋭い怒声が飛んで、思わず肩が跳ねた瞬間。
「馬鹿者!」
誠の声と同時に、パンッと、見事に雪路の手から竹刀は吹き飛んで、少し離れた場所に落ちた。
「あー……」
思わず情けない声を上げて、雪路は落ちた竹刀を見詰めた。
鉱山終業の鐘が鳴った後、鉱夫達の帰った採掘場。約束通り、稽古を付けて貰いに来たものの、どうにも奮わない自覚はある。
「これならば前の時の方が十倍マシだ」
誠は眉間に皺を寄せてそう言った。
「少なくとも、前回、俺から一本取ろうとしていた時は、それだけに集中していただろうが」
今日は雑念がある、と言われてしまえば図星過ぎてグウの音も出ない。
「すみません……」
竹刀を拾い上げ、雪路は気まずく頭を下げる。
「……ニコロの所で何かあったのか?」
不機嫌そうに見えるが、これは誠としては怪訝そうな顔なのだと、表情の見分けがつき出した雪路は理解した。
「いえ……。ニコロさんの所で何かあったってわけじゃないんです」
イザベラとカレンの事が、情けない自分の事が、モヤモヤと何となく気持ち悪く喉元に上がって来て、そのまま落ちていかないでいる。
仕方ないのだ、これが賢い選択なのだと、割り切って飲み込めないくせに、ではイザベラを敵に回して動けるかと言えばそんな根性も勇気もない。だから吐き出せない何かが喉下辺りで重くグルグル渦巻いて、息苦しいまま。
「……すみません」
果たして誠に謝っているのか、それともここにいない誰かに許して欲しくて謝っているのか。
殆ど無意識のような雪路の声に、誠は溜息を吐いた。
「……構え直せ」
「はい」
せっかく少し認めて貰ったのに、これではやっぱり嫌われるのではないかと、情けない自分にイライラしている頭の隅がますます卑屈っぽい思考をする。
それを振り払って竹刀を握り直した雪路に、誠は特に打ち込みもせず、姿勢が悪いだの持ち方が悪いだの、基本に戻って型の注意だけをした。
「お前はたぶん、理屈から入るより、叩かれながら理屈を覚える手合だから、最初から俺が打ち合ってやろうと思っていたが」
軍帽を片手で少しずらして、誠はクイッと眉を片方上げた。
「今日は違うな。余計な事を考えて身にならん打ち合いをするくらいなら、何か考えながらでも素振りして体に形を刷り込め」
思ったよりは怒っていない様子に、少しホッとした。
「……ニコロの所はどうだ?」
少し沈黙があってから、ひたすら素振りする雪路に、誠はそう聞く。
「初日から随分な騒動があったと聞いたが」
「……お弁当大量発注事件ですか」
「それだ」
「あれは……ちょっとビックリしましたね」
雪路は苦笑いして答えた。
ただ棒を振るだけでも、形を意識するとそれなりに全身を使うから疲れるのだけれど、それでも、今は何か話せていた方が気が楽だった。
「三倍の量のお弁当、かなり見た目も迫力ありましたし。一日だけで済んで本当に良かった」
「アイツはもう少し落ち着けんものか」
誠はそう言って軍帽を片手で外し、もう片手でクシャクシャと帽子の癖が付いた前髪を掻き乱す。
「俺より長くここにいるというのに……」
その言葉に、雪路はハッとして目を瞬いた。
「……あの、誠さん」
「ああ」
「誠さんは……日本に、帰りたいですか?」
魔女の息子達も、元は地球の人間。そう聞いて、ニコロに帰りたいかと問うた時には、そういえば曖昧になってしまっていたけれど。
雪路と同じ日本から来た誠は、どうなのだろうとふと思った。あるいは何か、魔女の後継者になる以外に、帰る方法を知っていたりはしないのだろうか、と。
しかし。
「……帰りたい、か」
誠は視線を採掘場の隅に向けた。
軍帽を外した横顔は、いつもより少し若く、そして、ほんの少しだけ、弱々しい。
「……あの」
何かまずいことを聞いたかと、不安になった雪路に、ああ、と誠は視線を隅の暗がりに投げたまま答えた。
「……大東亜戦争、日本は、敗けたらしいな」
ポツリと呟かれ、雪路は一瞬、息を詰めた。
「……はい」
恐る恐る頷くと、だろうな、と存外にあっさり誠は呟いた。
「敗けるだろうとは、当時から薄々思っていた。それでも出兵した時点で、例え日本の敗けが決まっていようと、遺す家族の為に死ぬ覚悟は決めていた」
ところがだ、と、その声に苦い笑いが交じる。
「……俺は、もう七十年も、大日本帝国どころか、亜細亜も太平洋もないこの世界で、生きている」
そうして、やれやれと首を振って。
「……そう、七十年だ。この世界の外、当時の知り合いは皆、百歳、九十歳、生きているかもわからん年齢になっている」
そう呟くと、それ以上は何も言わない。ただ軍帽を再度被って、誠はゆっくりと息を吐いた。
悲しむわけでもなく、嘆くわけでもなく、ただいつもの硬質さと透明度を持って瞬いた藤色の目に、雪路は掛けるべき言葉を持たない。
明白な回答があったわけではないし、おそらく、誠自身、明白な答えを持っていないのかもしれない。
ただ、その口から出た言葉には、明白な答えを出せなくなってしまうほどの歳月の重みだけ、痛いほどしっかり滲んでいる。
「……すみません」
「いや」
素振りしながら小さく言った雪路に、誠は珍しくバツが悪そうな表情を浮かべて、小さく首を左右に振った。




