3-6
屋敷に戻ると、丁度、ゾロゾロと他の花嫁候補達が談話室から出て来るところだった。イザベラを先頭に、それぞれの部屋に戻るところらしい。
「あら、雪路」
イザベラは雪路を振り向いて首を傾げる。
「随分遅かったわね」
「あ、ええと、仕事で遅くなって……。お風呂の鉱石、鍵が掛かってたから、銭湯に行ってて……」
まさかイザベラが御執心の相手の家にいたとも言えず、咄嗟にそう言った。
「え?鍵なら私が持ってるのに、なんで言わないの?」
ほんの少し、イザベラは気に入らなそうに声を低くする。
「え、鍵って、イザベラが持ってたの!?」
ここで貴方の機嫌を取るのが面倒だったから、なんて顔に出したら、それこそ面倒な事になるので、知らなかったとばかり雪路は首を傾げて残念そうな顔をする。
「えええ、知ってたらイザベラにお願いしたのにぃ……!」
「あら、知らなかったの?なんだ、ふふ、それなら次からは頼って頂戴」
当たり障りなく、それでイザベラは納得したらしい。おやすみと通り過ぎ掛けて、雪路も問題なく終わったとホッとしかけるが。
「……え?」
ピタリ、と、イザベラは歩を止めて、振り向いた。
「雪路、それ、何!?」
ガバリと、突如掴み掛からん勢いで戻って来て、引ったくったのは、黒い帽子。
(あ、しまった)
さぁ、と、雪路は血の気が引いた気がした。
イザベラに引ったくられたのは、アントワーヌの帽子だった。コート掛けから外して本人に差し出すつもりが、その瞬間に誠が来てしまった為、どさくさで掴んだまま来てしまった物。
道の途中で気付いたのだけれど、戻っても誠がいるだろうし、明日返せば良いかとそのまま持って来ていたのだった。
「雪路、これ、アントワーヌ様のじゃないの!?」
見る間に表情を険しくしたイザベラが甲高く叫び、何だ何だと他の花嫁候補も視線を向けて来る。
「どうして、アンタなんかが持ってるの!?説明しなさいよ!」
どん、と、肩を押され、おっとと一歩足を引く。
「あ、うん、ええとね」
ここで焦ってはだめだ、と、慌てて脳をフル回転。
「銭湯の帰り道で、バッタリして……」
「それで何で帽子を頂けるの!?」
「いや、頂いたわけじゃなく……」
突き刺さる視線はイザベラのものだけではない。アチコチから嫉妬交じりの敵意が篭った視線を感じ、さすがに嫌な汗が出た。
(アントワーヌさん、やっぱり人気者だなぁ……)
タジタジとしつつ、雪路はイザベラに向かってぎこちなく笑う。
「あの、こんな遅くに出歩くなって、怒られてしまって……。その時に、警官さんが来て、アントワーヌさんに」
「様を付けなさいよ!アンタなんかが、気安くあの人を呼ばないで!」
「ご、ゴメンナサイ。……ええと、アントワーヌ様が、警官とお話されてる時に風が吹きまして」
そこでそんなに食って掛かってくるのか、と、驚きつつ、素直に言い直して嘘八百を続ける雪路。
「ヒラ、と、飛んで落ちた帽子を拾い上げたら……何か急ぎの事態があったみたいで、もういなかったの」
ちょっと苦しいか、いや、信じてくれ、と雪路はさも本当なんですとばかり、殊勝な顔でイザベラを見詰める。
「急ぎの何かがあったんでしょうね。帽子にも構わないくらい。その時にはもう私なんて眼中になかっただろうし」
「当然よ。アンタなんかが、あの人の視線に止まるわけないじゃない。あの人は忙しいの」
ふん、と、不機嫌に吐き捨てるものの、実際に忙しい人だからか、雪路の作り話自体は概ね認めたらしかった。
「それで生意気にも持って帰って来るなんて、不遜にもほどがあるわよ」
「ええとだって、ほら、イザベラならアントワーヌ様にお渡し出来るかと思って……?」
もうこれしかないな、と、雪路は仕方なく、出来れば切りたく無かったカードを切った。
「ほら、イザベラはあの方の補佐で、お気に入りだって聞いたから。私、来たばかりで、あの方の居場所とかも検討がつかないし……。明日、それ、イザベラから届けてくれないかな、って」
本当なら責任を持って自分で返すのが筋だろうが、彼なら察して許してくれるだろうと、心中で祈る。
「……ええと、だめだった?」
「……良いわよ」
少しの間を置いて、イザベラは頷いた。
「……そういうことなら、仕方ないわ。今回は特別よ。私が届けてあげる」
新参者で状況が分かっていない風を装い、ついでに中々盛大に持ち上げたのが功を奏したようだ。
不機嫌そうではあるものの、今にも噛み付かんばかりだった視線は、だいぶ和らいだ。
「次からは気を付けるのよ。貴方なんかがあの方に近付くのは、無礼な事なんだから」
「うん。本当に、私、緊張しちゃって……」
神妙に頷くと、イザベラは溜息を吐いてようやく雪路から視線を外す。
「貴方が悪い子じゃないのは知ってるわ。まだここの常識が無いだけよね。怒鳴ってごめんね」
こちらを見もせずに思い出したようにそれらしく言うので、ううん、と軽く首を左右に振った。
「ううん。色々教えてくれてありがとうね」
ようやく丸く収まるよ、と雪路は内心で呻いて顔で笑った。周囲の視線からも敵意は消えて、やらかした新人がボスに許された、という空気が漂っている。
「さ、今日はもう寝ましょ」
裁判閉廷の声をイザベラが上げたことで、ようやくと、雪路は今度こそ自室に向けて歩き出せたのだった。




