11-6
そこはやはり、花嫁候補の屋敷だった。
門は開け放たれていて、野次馬が遠巻きに事態を伺い、庭には花嫁候補達と警官が数人、そして、ヘイダルにメルヴィンが立っている。
「雪路!」
野次馬の中から声がして振り向くと、カレンとウェンディが駆け寄って来た。
「二人とも」
ハッと振り向いて、この騒ぎは何、と首を傾げる。
「ボヤよ」
ウェンディが顔を顰めて答えた。
「今朝方、花嫁候補の屋敷の台所から、煙が出たんですって」
「え?」
「幸いというか、水の魔法が使える子達が気付いて、すぐに消えたらしいけど……」
チラリと、そこでカレンが庭に集まる警官達を見て口を開く。
「放火じゃないか、って、花嫁候補達が騒いでるのよ」
「放火?」
そこで、黙っていたアントワーヌが聞き返し、初めて気づいたらしいウェンディとカレンは甲高い悲鳴を上げた。
「あ、アントワーヌ様!?」
「えええ!?」
その悲鳴に、野次馬達も気付いて振り向き、思わぬ大物の登場に、ザワザワと更に騒がしくなる。
「失礼、驚かせた」
「い、いえ!いえ、いえ、そんな……!」
落ち着き払って謝る当人に対して、ウェンディとカレンの方は大慌てで首を左右に振る。
そこで、騒ぎに気付いたヘイダルとメルヴィンがこちらを見た。
「アントワーヌ!?」
メルヴィンがクシャミをして、驚いたように叫ぶ。
「いらっしゃったのですか!」
「通りかかったからな。警官が集まっているようだから、何かあったのかと」
いつも通りに優雅な声音で答え、金の瞳は雪路を見た。
「少し待て」
サラリと髪を撫でて、そのままメルヴィンやヘイダルの方へ歩いて行く。進行方向にあった人混みはパッと、モーセが現れた海の如く開いて、居合わせた工女や花嫁候補からは、微かに熱っぽい歓声じみた溜息が起きて。
「ちょ、ちょっと、何があったの、昨日!?」
「朝帰りよね!?朝帰り!?しかも、送って貰ってるってことよね、今の、この状況?」
パッと詰め寄るカレンとウェンディに、えっと、と雪路は無意味に両手を合わせて視線を泳がせる。
「あ、あのね、その、あの、泊めて、貰ったんだけど……」
「やっぱりお泊り!」
「ねぇねぇ、じゃぁ!?」
「ち、違うの!違うから!あの、その、やましいことは無くてですね……!」
きゃー、と互いの手を取り合って、ドキドキとした顔で嬉しげな悲鳴を上げるカレンとウェンディに、慌てて首を激しく左右に振った。
「あのね、その……」
何もなかった、というわけでもないのだ。あったといえば、とんでもなく大きな変化があったわけで。
(どこから説明すれば良いんだろ……?)
気恥しい反面、聞いて欲しいというか、ドロドロ蕩けそうなものを吐き出したいというか。思わず赤くなってモジモジ煮え切らない様子に、何よ、何よ、と二人は手を取り合ったまま寄って来る。
周りの人混みは、とっくに三人の方から屋敷の方へ視線も注意も移していたけれど、それでも、何となくチラチラと周囲を伺い、雪路は二人を更に手招きして引き寄せる。
三人で抱き合うくらい密着して、ようやくと、小さな声で、一言。
「……好きって、言われた」
一瞬、間が空いた。ピタリと、カレンもウェンディも凍り付いて、それから、ゆっくり、目を瞬いて。
次の瞬間、きゃぁぁ、と高い歓声を上げ、一斉に雪路の肩や腕を掴んで来る。
「ほんと!!?」
「やった、すごい!よかったぁぁ!」
良かった、良かった、と、結局、本当に抱き合うというか、雪路をギュウギュウ押し潰してから、ようやく、少し興奮が冷めた二人は一歩距離を取った。
「まぁ、あれだけわかりやすく〝好き好き〟ってダダ漏らしていた雪路を、家に上げるって時点で、憎からず思ってるんだろうとは思ってたけど……」
ウェンディは腕組みして頷く。
「なんだか、すごい……。だって、子息様の中でも……まさかの、アントワーヌ様だもの……」
「一番、難しそうなところを崩したわねぇ、貴方」
カレンもウンウンと感心したように首を振る。
「そ、そんなに私、好きなのバレバレだった……?」
タジタジして問うと、そりゃね、とウェンディは頷いた。
「全身から〝貴方に恋してます!〟って感じ。本人に聞いてみればいいわよ。バレてましたか、って」
「そ、そんなだった、私?」
本当ならば相当恥ずかしいぞ、と、顔を抑える雪路に、それで実ったなら良いじゃないと、カレンが肩を叩く。
「で、詳細よ、詳細」
どんな過程で、どんな状況で、好きだと言われたのか、と。興味津々の問に、ええと、と再びまごついた時。
「花都 雪路!」
メルヴィンが、鋭く雪路を呼んだ。
「そこにいますね!来なさい!」
振り向くと、花嫁候補の屋敷の庭、いつの間にかそこにいる人々の視線は雪路の方へ向いている。
「……はい?」
キョトンとしてから、人混みを突っ切り、そちらへ向かう。カレンやウェンディもついて来てくれて、さくりと、緑の芝の上に立った。
「これは貴方の物でしょう?」
メルヴィンが指さした先には、金髪の花嫁候補が立っていた。そして、その手の中には、銀の指輪がある。
「たった今、台所に落ちているのが見付かったんですの」
金髪の花嫁候補は、困惑の表情でヘイダルを、メルヴィンを、アントワーヌを見回す。
「花嫁候補の誰にも心当たりがなくて……。メルヴィン様が仰る通りなら、これは……貴方のかしら、雪路?」
「間違いないでしょう。花都 雪路、貴方はこれを〝毒林檎の試練〟の際に使用していたはずです」
メルヴィンが口を開き、眉間に皺を寄せる。
「今朝はどこに?」
ボヤがあった際、屋敷の台所を預かる女中は帰宅していた。屋敷に住む花嫁候補達も全て、互いに誰かが誰かの居場所を把握していたのだ、と。
「火の手が上がるなら、誰かが何かしたはずですし……」
花嫁候補は、頬に手を当て、怯えたように呟く。
「でも、ほら、雪路は……引っ越したはずでしょ?じゃぁ、よりにもよって、今日、どうして指輪が落ちているの?」
「貴方が犯人なんじゃないの!?」
少し離れた位置にいた花嫁候補達が騒ぎ出し、なるほど、と、雪路は思った。
(昨日……、井戸に落とされた時だ……!)
失くしたと思った指輪は、盗られていたのだ。そして、こんな、罠に使われたなんて、と。
「私は」
「雪路なら、午前は俺と一緒にいたが」
口を開こうとしたところで、アントワーヌがサラリと発言した。
ピタリと、騒ぎ出していた花嫁候補達が静まり返る。
「え……?」
目を見開いた花嫁候補に、金の瞳はごく静かに、何の表情も浮かべないまま向けられる。
「その指輪は、俺が渡した物だ。昨日、失くしてしまったと、謝罪されたばかりだった」
紛失場所は北の古井戸だと話す声に、さぁと、一部の花嫁候補の顔色が青ざめた。
「井戸に突き落とされて、その際、失くしたのだろう、と言っていたが」
なぜ、それがここに落ちているのだろうか、と。
誰を責めるわけでも、疑うわけでもなさそうに。ただ淡々と、優雅に話すだけで、しかし、それには妙な迫力がある。
「それは確かか?」
ヘイダルが雪路を振り向き、慌てて、コクンと頷いた。
「はい。昨日、夕方、魔法を当てられて……気付いたら井戸の中で……。指輪も、その時、失くなっていました」
「魔法を当てられたというのは、誰に?」
メルヴィンの問に、一瞬、雪路は迷った。
(……ここまでされて、庇う義理は、ないけど……)
それでも、人を攻撃して井戸に落とすなんて間違いなく犯罪だ。もしもそんな事をしたなんてバレたら、加担した花嫁候補達は、この世界でどんな罰を受けるのか。ほんの少し、気になってしまって。
言葉を迷ったまま、けれど、その沈黙と一瞬の視線の動きが、メルヴィンやヘイダルにも答えを悟らせたのだろう。
「あなた達、まさか雪路に、そんな危ないことまで」
同時に、やはり悟ったカレンの呟きが響く。
ぴくりと、それに花嫁候補は眉を動かす。
「なんですって?それは、私が雪路を突き落として指輪を盗んだとでも言いたいの?」
カレンを見て、予想外の事を言われたように、その目は見開く。
「そんな怖い事を、するわけがないじゃない!?私も、他の子達だって!」
そして、さも言いにくそうに、そろそろと魔女の子息達を見回して。
「……雪路は、お友達だったから……。出来れば、こんな事は言いたくなかったのですが……」
「なんです?」
聞き返すメルヴィンに、ええ、と花嫁候補は俯いて、小さく言った。
「……雪路は、ちょっと目立ちたがり屋だから……。その、あれを失くしたとか、何をされたとか……前から、色々、大きく話を言う癖があるので……。そもそも、落とされた、ってことも……その、自分で目立とうとして、やったんじゃないかと……」
「え」
思わず、雪路は目を見開いた。
「こ、この期に及んで……!?」
こちらが嘘をついていると、そう言うのかと。一瞬でも庇おうとすらしてしまった相手の、信じられない発言に、思わず反論の声も出てこない。
思わず目をパチパチして声を失っていると、ぐしゃり、と、乱暴に芝を踏み付ける音。
「ふざけないでよ!何言ってるのよ、この嘘吐き!」
カレンが、雪路の横まで出て来て叫んでいた。
「どれだけ面の皮が厚いの!?アンタ達が雪路を突き落として、その上、放火犯なんかに仕立て上げようとしたんでしょ!?目立ちたがりはアンタ達が担いで媚び売ってるどっかの誰かさんよ!あんな女王様気取りの子に必死に媚び売っちゃって、こんな犯罪まがいの事までやらされて、アンタ達にはプライドってものがないの!?」
「ひ、ひどい!」
花嫁候補は顔に両手を当てて悲鳴を上げる。
「そんな、私達のこと、カレンはそんな風に思ってたの!?友達だと思ってたのに!」
「どの口で友達ですって……!?」
「カレンは、イザベラに決闘で負けた事を根に持ってるのよ!」
「自分勝手で屋敷に虫を入れて、私達に注意されたの、まだ気に入らないんだ!」
「面の皮が厚い逆恨みはそっちでしょ!」
反論しかけたカレンの声を、花嫁候補達が遮った。
「雪路が嘘吐きなのも本当よ!」
「だって私達、何度も迷惑かけられたもの!」
「私達の誰も、そんな酷い事するわけないじゃない!証拠もないのに、またとんでもない嘘をつくなんて!」
雪路が本当に花嫁候補達に突き落とされた証拠はあるのかと、そう叫ばれては、こちらも客観的に明らかな証拠はない。
わあわあと数に任せて叫び出す花嫁候補達に、カレンは声を飲み、ウェンディと雪路は、思わず怯んで顔を見合わせる。
ヘイダルとメルヴィンすら、どうしたものかと、一瞬、声を飲む間に。
「黙れ」
ピシャリと。
怒鳴るわけでも、叫ぶことすらも、していないのに。ただ優雅なまま、それでも、温度を氷点下まで落とした声に、その場が凍り付いた。
遠巻きに様子を伺う警官や野次馬達すら、息を潜める静寂。
「感情と証言だけで話を進めても埒が明かないだろう」
静かに、声の温度をいつも通りに戻したアントワーヌを、誰もが見ていた。
(こ、こわかった……)
黙れ、の一言は、ひやりと、心臓が凍り付くほどの威力を持っていた。ヘイダルやメルヴィンすら、微かに顔を引き攣らせる中、金の瞳は雪路を見てほんの一瞬だけ、微笑んでくれた。
(あ……)
途端に、凍り付いていた心臓が溶ける。
(お、おこってる、わけじゃ、ないんだ……)
ひとまず、場を収拾したかっただけなのだと悟って、彼は冷静なのだと確信して、すうと気持ちが落ち着いた。
「雪路が誰に突き落とされたのか、その証言すら嘘かは、ひとまずと別の問題としてだ」
アントワーヌは静かに口を開く。
「少なくとも朝のボヤの時には、俺が雪路を見ていた」
ならばと片手で帽子を外し、小さく首を傾げて、花嫁候補達を、警官を、ヘイダルやメルヴィンを見た。
「ならば、放火の犯人ではないだろう。……ああ、俺が共犯だと言うなら、話は別だが」
「ま、まさか」
メルヴィンが有り得ないと首を振る。
「貴方にそんなことをする必要など皆無でしょう」
「それに、そんなことを言い出せば、誰かと一緒にいた事でアリバイが出来ている全員を、共犯の可能性で疑うことになる」
ヘイダルも首を左右に振り、溜息を吐く。
「放火に関しては、貴方の言う通りだ。少なくとも雪路ではない」
「そもそも」
そこで、アントワーヌは再び、声の温度を少し下げた。
「前提として、本当に、これは放火として裁いて良いのか?」
ぴたりと、再び凍り付く人々を、帽子を外して一層鮮やかに煌々とする黄金が、見る。
「犯人を見付けるまではヘイダルの領分だが、裁き、罰を執行するのは俺だ」
警告するように、その声は響いた。
「放火は、この世界の法において最大の重罪と定められている。ならば、ボヤで済んだ未遂であろうとも、俺は一切の慈悲も、憐憫も掛けずに裁く。それを理解した上で、これは単なる火の不始末による事故ではなく、放火として調べるべきだと、犯人を裁けと、お前達は望むか?」
その時、最大の重罪に対する判決を誰もが、無意識に思考した。
沈黙を五秒保ってから、アントワーヌは再び帽子を被り、さて、と口を開く。
「まずは火の不始末として調べろ。うっかりと湯でも沸かした時に火を消し忘れたという可能性もある。この状況で、それを言い出しにくくなっている者があるかもしれない。……俺が裁くほどの犯罪ではないことを望む」
その言葉に、ホッと救われたような空気が、確かに花嫁候補達の中で立った。
「そして、次の問題は、雪路の指輪と、井戸の一件だが」
ふっと、空気が再び緊張する。
何か言おうとする花嫁候補達を視線で黙らせ、アントワーヌは雪路を見た。
「両者共に証言は食い違い、そして、どちらにも証拠はない」
「指輪が帰ってくるなら、私はもう良いです」
雪路は、口を開いた。
「私は、嘘は言っていません。でも、証拠がないのも、事実なので。……それなら私は、指輪が帰ってきただけで、もう、いいです」
これ以上、花嫁候補達と言い争っても仕方ないと思った。結局、アントワーヌやカレンやウェンディや、信じて欲しい人達は、信じてくれているのだから。それなら、もう良い、と。
(ここで、証拠もないのに相手を叱って貰うなんて、贔屓みたいなこと、アントワーヌさんにさせたくないし)
遠慮なく、客観的にどちらもお相子だと切り捨てて下さいと、言外に小さく頷くと。
金の瞳は、雪路にだけ見える角度で少し優しく緩んで、それから再び静かに表情を消す。
「……妥当だな。落とされたと主張した雪路の方が、証拠不足を認めて訴えを取り下げたなら、これはもう俺やヘイダルが犯罪として裁く問題ではない。真実がどうであれ、その時点でこれはただの当人同士の喧嘩になる。ここは両者共に引けと、そう忠告する以上のことはしないでおこう」
その判決に、花嫁候補達は顔を歪めた。そして、数秒を置いてから、不承不承に、金髪の花嫁候補が頷く。
「わかりました」
これでひとまず治まったかと、雪路は無意識に息を吐いた。
ところが、頷いたはずの花嫁候補は、キッと再び視線を尖らせてこちらを見ると。
「ですが、証拠もなく、強盗まがいの泥棒呼ばわりされた挙げ句、プライドがないなんて言われたのには、耐えられません!」
その目が睨んでいたのは、カレンだった。
「カレン、いいわ、そんなに私の事が気に入らないなら、正々堂々、喧嘩してあげる」
再びザワつく輪の中で、花嫁候補はフッと口角を上げる。
「決闘を、してあげるわ」




