飛び立ったのは 7
一方のセリカはと言えば。
見知らぬ誰かに手を引かれて、不気味な森の中に迷い込む……訳でもなく、
夜道をふらふらと歩いていたら見知らぬ不気味な人物と出会う……訳でもなく。
ただ大人しく炊き出しの為に料理をして料理の腕前を発揮し、出来立てで美味しそうな湯気をたてる料理を村人に配り、自分もはふはふと美味しそうにご飯を食べている途中だった。
まくまくと美味しそうに料理を頬張る、そのなんとも気の抜ける光景にゼノファーは脱力しつつ、
「……うん、まぁ問題を起こすよりはいいか」
「なんか酷いこと考えてるでしょ、ゼノファー」
いやまぁ、考えてはいたけどさ、などと正直に言えるはずも無く、セリカの横に座るゼノファー。彼に気づいた村の娘が彼にも料理を渡そうとするが、ゼノファーはそれをやんわりと断った。
「なんで食べないの?」
「食べている余裕がないというか……。この後すぐに、隣町に数人の村人を移動させる事が決まったんだ。少し大変だけど、この後また隣町まで飛んで欲しい」
「ふぅん……。まぁ、いいよ」
簡単な相槌に、ぱちくりと数度瞬きするゼノファー。
「……なんか、今日のセリカは珍しいね」
「は?」
「いや、なんだろう。うん、大人しい」
なんのトラブルも起こしてはいないし、喧嘩もしていない。いや、別にいつもそうだという訳ではないのだが、そう、言葉に威力がなく、妙に大人しいのだ。
「そう?いつもと同じだけど……、しいて言うなら、前々から食べたかった料理を作れて満足してる」
ああ、食欲が満たされているからかとゼノファーは心の中で呟いた。それが音として口から出れば、こちらがどうなるかは安易に想像が付く。
だが、セリカが前々から食べたかった料理とは何だろうという好奇心がふつふつと湧いてきた。
「なにを作ったの?」
「パエリア。シチューも作ったけど、それは食べ終えちゃった」
「ぱえりあ?」
「あ、もしかしてこっちの世界にはない?お米と野菜、お肉、魚介類を一緒に炊き込む料理。流石に魚介類は難しかったけど、でも美味しく作れたよ。みんなにも評判だった!」
よっぽど嬉しかったのか、ホクホク顔のセリカ。その嬉しそうな彼女の顔を見て、自然とゼノファーも笑顔になる。
「そんなに食べたかったの?その料理」
「この料理がって言うか、お米料理が食べたかったの。ここら辺はパンが主食じゃん?前の世界でも滅多にお米は食べられなかったから、ここで食べれるだなんて思わなかった。あ、一口食べてみる?」
良いことを思い付いたとばかりに、一口分が乗せられたスプーンがゼノファーの口元に持っていかれる。勿論、それはセリカが今さっきまで使っていたスプーンだ。ゼノファーもそれを目の前で見ていたから知っている。
ゼノファーはビキリと身体を硬直させた。
「どうしたの?」
「え、いや、その、」
「もしかして、お米は嫌い?」
そういう問題じゃあなく。
『間接キス』やら『食べさせあいっこ』などという単語がゼノファーの頭の中で浮かんでは消えていく。気にしすぎではと思うのだが、それでも妙に意識してしまうゼノファーだった。
「……い、いただきます」
それでもぎこちない動きで差し出されたスプーンを口に入れる。危うい動きを見せながら、なんとかぐもぐとご飯を咀嚼した。
顔に熱が集まるのが分かる。頬が赤くなっていないかが一番心配だった。
「……美味しい」
「でしょ!お米料理も捨てたもんじゃないでしょ?」
いや、そうじゃなくて。
お米料理が美味しいと言いたいんじゃなく、セリカが作ったご飯が美味しいと言いたいわけで。
ああ俺、何が言いたいんだっけ?
思考がちぐはぐになりつつ、若干の気恥ずかしさを感じながらもゼノファーは差し出されたパエリアを飲み込んだ。
セリカと言えば、そんなゼノファーのぎこちない動きに気づいた様子もなくご飯をパクついている。あまりにも平然と食べている姿を見て、『間接キス』とか『食べさせあいっこ』などと色々考えている自分がなんだか幼く感じて余計に恥ずかしくなるゼノファーである。
「……まぁ、後20分後には出発する準備を整えたいって思っているから、ご飯を食べ終えたら今日最初に降りた場所に来て欲しい」
「え、そうなの?もう食べ終えるから、ちょっと待って」
急ぎつつ、かつ下品にならない程度の早さでセリカはご飯を食べ進め、あっという間に持っていた皿は空になった。
「じゃあ、行こうか」
立ち上がったゼノファーは、その空になった食器をさりげなく持ち、空いた手をセリカに伸ばす。
『……食器くらい自分で持つのに』とゼノファーの優しさに少しひねくれた言葉で返しつつ、セリカもその手を握る。
難なく繋がれる二人の手。ゼノファーはその手をじっと見下ろした。
小さくて柔らかいセリカの手の甲を一度だけ軽くなぞり、少しだけ強く握りしめる。
「……ゼノファー?」
「……うん、よし、じゃあ行こうか」
満足したかのようにゼノファーは頷き、二人は歩きだした。
開けたその場所には、もう既にリストに乗っている村人全員が集まっていた。
ギルバートの姿もあり、彼は自身の使い魔の手綱を握っている。そしてその横には気球などでよく見られる、大きなバスケットが置いてあった。
「まさかとは思うんだけどさ、あれに人を乗せて……」
「セリカがそれを掴んで飛ぶ」
「危なくない!?」
思わず声を荒げるセリカだが、周りは至って冷静だった。
「お前が離さなきゃいい話だろ。風の防御魔法もかけるし。そうっすよね」
「うん。セリカが落とさなきゃ」
「責任重大だなおいっ!」
そうは叫んでも周りの意見は変わらない。
仕方なしに、セリカは龍化した。月の光と魔法石に照らされて淡い色の鱗が輝き、より一層神秘的な雰囲気を醸し出す。
バスケットに村人たちが乗り始める。手を貸さないと動けない人はゼノファーとギルバートが手伝い、なんとか全員が乗ることが出来た。
『もうギルバートの仕事ないね』
「……俺は援助だよ。障害物が無いかとか、魔法石で空を照らしたり、万が一獣に襲われた時の為にいるんだよ。それくらい分かれバーカ」
『ば……!?バカって言った方がバカなんですー!!』
「てめぇの方がバカだろ!バーカバーカ!!」
「……二人とも、喧嘩はしないでくれないかな……?」
ずっとギルバートが作業の間中ピリピリしていたのは知っていた。それがセリカに関係している事も、彼の真新しい頬の傷に関係があることも。
だが、墓場までその秘密を持っていくと誓ったゼノファーはフォローの仕方が分からずただ二人を宥める事しか出来ない。
村人を隣町まで移動させるだけなんだけど、上手く行くかなぁとゼノファーの心に一抹の不安が過った。
ギルバートではなく、穏和なアルフさんだったら良かったのにとは流石に言えない。
『てか、獣くらい私一人でなんとかなるしぃ!あれでしょ、飛行機とかでたまにある、バードなんちゃらみたいのを防ぐだけでしょ!』
「バード……?何言ってんのか全然分かんねぇけど、肉食で夜行性の動物に襲われる事は少なくねぇから護衛役として俺がいるんだ。お前が暴れたらバスケットに乗る人たちどうすんだよ」
『グッ……!』
「ほらバカだろバーカ」
『うぜー!!』
うがーっとセリカが空に向かって吠える。ドラゴンという厳つい見た目であるのに、なんとも可愛らしく見える仕草だ。
「あの、突然お願いしてしまってすみません」
おずおずと、二人の喧嘩を遮るように、バスケットに乗っていた女性が言った。そのお腹は大きく膨らんでおり、手は常にその場所を触っている。
『全然気にしてなんかないよ!全部ギルバートが悪いだけだから!』
「てめっ!」
「で、でも、なるべく早く出て欲しいんです……。必ず、この子は産んであげたいから……」
切なげな表情をして、お腹を撫でる妊婦。他の人たちも心配そうにセリカを見上げる。
「安心して下さい。もう出発しますから。速度はあまり出さず、出来るだけ揺らさないよう気を付けすが、身体を冷やさないよう暖かい格好をして下さいね」
「はい……、ありがとうございます」
『ゼノファーおっとな~。ギルバートかっこわる~』
「おいそれてめぇも入るかなら」
グチグチと二人して言いながらも、ギルバートは自身のペガサスのような使い魔に跨がり、セリカは身体を低くさせる。ゼノファーがセリカの背に乗った事を確認して、彼女の大きな身体は宙に浮いた。
『ちょっと我慢してね』
一言言葉をかけながら、バスケットの取っ手部分を掴む。揺らさないよう気を付けながら、慎重に空に飛び立った。
『……まさか、この身体でこんなことするなんてなぁ』
勇者である自分がこうやって人を乗っけて移動手段として使われている所を見たら、前の仲間たちはなんと言うだろうかと遠くを見つめる。
まるで先導するかのように前を飛ぶギルバートとその使い魔を追って、セリカは翼を大きく動かした。
「問題はなさそうだね……」
飛んでいても不備が無さそうな事に、ゼノファーはホッと一息ついた。
村人から何か要望は聞こえては来ないし、前を飛んでくれているギルバートが持つ魔法石のおかげで辺りもよく見える。それに、今日は丁度満月だった。魔法石が無くても何とか見える位には周囲が明るい。
「セリカ。このままギルバートたちに着いていけば町に付くから、進路は心配しなくていいよ」
『……うん』
「セリカ?」
覇気の無い声。心配になるも、ゼノファーが今いる場所からはセリカの顔は見えない。
「どうかした?お腹痛い?」
『……そうじゃなくて、なんか、やっぱ変だ』
「変?」
ゼノファーは思わず辺りを見回す。眼下には相変わらず森が広がり、変わった様子は無い。前を飛んでいるギルバートとその使い魔にも、変わった様子は見られない。ギルバートが乗る使い魔の、純白の翼が大きく動く。
「変って、何が?」
『……村にいたときから、違和感を感じてた。こう、肌がざわざわする感覚。それに村人の動き』
「動き?」
視界に変化は無い。深い藍色の空に散りばめられた星が瞬く。
『完全にグループが二分されてた。男の人たちに、みんな怯えを見せてた。それに、男の人たちのあの目と雰囲気』
「目?」
『久しぶりだったから少し分からなかったけど、あれは、もしかしたら【殺意】の……』
刹那。
眼下の暗く鬱蒼とした森から、一筋の光が迸った。
雷のような、白い炎のようなその光線は、避ける間もなくギルバートの使い魔の右翼を思い切り貫いた。




