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死に水  作者: 月影 朔
第四章:抗えぬ恐怖

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第二十四話:悲劇の女

 恵と健太は、それぞれに情報を漁り続けていた。


 暁が命を落とし、もはや誰にも頼れないと悟った二人の心には、絶望と焦燥が渦巻いていた。

健太の死の期限は刻一刻と迫り、恵の腹に宿る蓮の命も、水子の呪いの脅威に晒されている。


 これは、自分たちの「最後の足掻き」だった。


 恵は自宅で、パソコンの画面に食い入るように見つめ続けていた。

インターネットの海には、膨大な情報が溢れている。


 しかし、廃れた神社の手水舎にまつわる具体的な呪いや、水子にまつわる詳細な伝承は、ごく一部の怪談サイトや、個人が運営するような地方の歴史ブログに散見される程度で、信頼性の高い情報はほとんど見つからない。


 しかし、彼女は諦めなかった。

手がかりになりそうなものは、どんな些細なことでも見落とすまいと、必死に目を凝らした。


 指先は、キーボードを叩き続けるうちに、ひどく冷たくなっていた。


 一方、健太は、図書館の郷土資料室に籠もり続けていた。


 彼の体調は、もはや限界に達していた。

喉の渇きは異常なほどで、水を飲んでもすぐに身体から抜けていくような感覚に襲われる。


 身体には青い水痕がさらに広がり、特に腕や首筋には、はっきりとその形が浮かび上がっていた。

頭痛は鉛のように重く、思考は常に霧がかかったようにぼんやりとしていた。


 それでも彼は、蓮と恵、そして自分を救おうとして命を落とした暁さんのために、必死にページをめくり続けた。


 古びた紙の匂いが、彼の呼吸器を刺激し、乾いた咳を誘発する。


 「手水の儀……。

ただの清めの儀式のはずなのに……」


 恵は、何度目かになるため息をついた。


 手帳に記された手順は、ごく一般的なものばかりだ。

そこに、呪いを生み出すような特異な点は見当たらない。

何か、根本的に見落としていることがあるはずだ。


 図書館の健太も、同じ壁にぶつかっていた。

地方の信仰に関する書物、神社の由緒に関する記述、古新聞のスクラップ……。


 どれも、この廃れた神社が、かつては小さな村の鎮守の森として崇められていたこと、そして、ある時期から急激に参拝者が減り、荒廃の一途を辿ったことまでは分かる。


 しかし、その「なぜ」の部分が、どこにも記されていない。


 「何が、この神社を……

手水舎を……

こんな場所に変えたんだ……?」


 健太は、朦朧とする意識の中で、古い新聞記事の束の中から、ある見出しに目が留まった。


 それは、数十年前に報じられた、小さな記事だった。

地方紙の片隅に、埋もれるようにして掲載されていたその記事は、見出しも小さく、当時の世間にはさほど大きな影響を与えなかったことを物語っていた。


 『水守村の悲劇 娘の病気癒えず、母が神社で自死』

 

 健太の心臓が、大きく跳ねた。

水守村とは、まさにこの神社があった場所の、当時の地名だった。

娘の病気……。

自分たちと同じではないか。


 震える指で、その記事を広げた。

記事は、淡々と事件の概要を報じていた。


 「当時水守村に住む水野光子(享年30)が、自身の娘の不治の病に絶望し、村の鎮守の森にある手水舎で命を絶った。

娘は数日前、病のため息を引き取ったばかりであり、水野は娘の病気の治癒を願うため、毎日手水舎で『手水の儀』を行い、神に祈りを捧げていたという。

近隣住民の話では、水野は娘の死後、憔悴しきっており、精神的に不安定な状態だった模様……」


 健太の目に、涙が滲んだ。

まるで、自分たちの未来を見ているかのようだった。


 蓮の病が治らず、恵が絶望し、そして……。

想像するだけで、身体の奥底から冷たい恐怖が這い上がってきた。


 彼は、さらにその記事を読み進めた。


 「……水野は、手水舎の水を『命の水』と信じ、娘の病気が治ると、まるで呪文のように唱えていたという。

しかし、その願いは叶わず、むしろ水野の精神は崩壊していった。

警察は、事件性はないと断定。

村の古老は、『神社の手水舎には、古くから水の神が宿ると言われていたが、こんな形になってとても残念だ』と話している……」


 健太の脳裏に、あの水子の姿が鮮明に浮かび上がった。


 濡れた黒髪。

青白い肌。

そして、底知れない怨嗟を湛えた、虚ろな漆黒の瞳。


 「水野光子……。

みずの、みつこ……」


 彼は、無意識のうちに、その名前を呟いていた。

そして、その名前が、ある言葉に酷似していることに気づいた。


 「水子……」


 健太は、すぐに恵に連絡を取った。

彼の声は、興奮と、わずかな希望に震えていた。


 「恵! 

見つけた! 

あの神社の……! 

『水野光子』っていう女だ! 

昔、俺たちと同じように、子供の病気で手水舎で儀式をしてて、子供が死んだ後、自殺したんだ!」


 恵は、健太からの電話を受け、彼の言葉に耳を疑った。


 「水野光子……? 

そんな……」


 恵もまた、その名前と「水子」という言葉が、あまりにも似通っていることに気づいた。

そして、瞬時に一つの仮説が、彼女の脳裏に閃いた。


 「水野光子の怨念が……

水子に……?」


 恵は、自身のパソコンで、すぐに「水野光子」という名前を検索した。

すると、健太が見つけた新聞記事だけでなく、いくつかの地方の歴史サイトや、心霊スポットを紹介するブログに、彼女に関する記述が散見された。


 それらの記事には、水野光子がどれほど娘の病気の治癒に執念を燃やし、手水舎の水を信仰していたかが記されていた。

しかし、その信仰は叶わず、娘を失った悲しみと絶望が、彼女を自死へと追いやったという。


 そして、その記事の多くには、奇妙な共通の記述があった。


 「水野光子の死後、その神社の手水舎では、夜な夜な子供の泣き声が聞こえるようになったという。

また、手水舎の水が、時折、生臭い匂いを放つようになり、触れた者を体調不良に陥らせることがあった……」


 恵は、鳥肌が立った。

水子の幻覚、生臭い水の匂い、そして「死に水」の呪い。全てが、水野光子の物語と繋がっている。


 「水子」という存在は、特定の個人ではない。それは、水野光子の、娘を救えなかった絶望と、歪んだ祈りが具現化した、怨念の塊なのではないか。


 恵の仮説は、恐怖と同時に、微かな希望を抱かせた。

もしそうであれば、水野光子の怨念を鎮めることができれば、この呪いを解くことができるかもしれない。


 「健太! 

分かったわ! 

水子は、水野光子の怨念なのよ、きっと!」


 恵は、興奮して健太に告げた。

彼女の声は、震えていたが、その中に確かな光が宿っていた。


 健太もまた、恵の言葉に、一筋の光明を見出した。

彼の視界は、水子の幻覚によって歪み、その姿が常に目の前をちらついている。

喉の渇きは悪化の一途を辿り、身体は限界に近づいていたが、この新たな情報が、彼に生きる気力を与えていた。


 「もし、そうなら……

どうすれば……」


 健太の声は、まだ掠れていたが、その中に希望が宿っているのが分かった。


 二人は、水野光子に関するさらなる情報を求めて、再び調査に没頭した。

彼女の生前の足跡、家族構成、葬儀が行われた場所……。

全ての情報が、水野光子の怨念を鎮めるための、唯一の手がかりとなるのだ。


 しかし、残された時間は、本当にわずかだった。

健太の身体は、急速に水子の呪いに蝕まれ、彼の意識は、現実と幻覚の狭間を彷徨い始めていた。


 水子の嗤い声が、彼の耳元で、より鮮明に響き渡る。


 これは、絶望の淵に差した、最後の光だった。

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