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死に水  作者: 月影 朔
第四章:抗えぬ恐怖

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第二十二話:絡みつく呪い

 病院の白い待合室は、ひどく冷たく感じられた。


 夜明け前の空気は、どこか青みがかっていて、救急処置室の向こうから聞こえる機械の電子音だけが、不気味に響いていた。


 恵と健太は、それぞれ硬い椅子に座り、ただ無言で時間だけが過ぎていくのを待っていた。


 恵の心は、不安と疲労で千々に乱れていた。

暁さんがどうなってしまうのか。

そして、暁が倒れた今、健太の呪いは一体どうなるのか。


 健太は、恵の隣で、相変わらず荒い呼吸を続けていた。

彼の身体は、まだ微かに震え続けている。


 喉の渇きは一向に治まる気配がなく、時折、乾いた咳を漏らしていた。

彼の腕に広がる青い水痕は、待合室の薄明かりの中でも、はっきりとその存在を主張していた。


 それは、水子が、まだ彼に憑いているという、何よりの証拠だった。


 どれほどの時間が経っただろうか。

長い、永遠とも思えるような沈黙が破られたのは、朝の光が窓から差し込み始めた頃だった。


 救急処置室のドアが開き、疲れ切った様子の医師が顔を出した。


 恵と健太は、弾かれたように立ち上がった。


「先生! 

暁さんの容態は!?」

恵が、縋るような声で尋ねた。


 医師は、困惑したような表情で首を傾げた。


「うーん……、

正直なところ、何が原因でこんな状態になったのか、全く分かりません」


 医師の言葉に、恵は絶望した。

医療の専門家でも、暁さんの容態の原因が分からないというのだ。


 それはつまり、一般的な治療法が通用しないということではないのか。


「外傷は全くありません。

内臓にも異常は見られず、脳波も生命維持に必要な最低限の活動はしています。

ただ……」


 医師は言葉を区切ると、困惑を深めた表情で続けた。


「ただ、異常なほどに水分を欲しているようでして……

点滴をしてもすぐに吸収されてしまう。

身体も異常なほど冷たくなってきています。

全身の毛細血管が……

まるで何かに圧迫されているかのように、青黒くなっている部分も確認できます。

まるで、身体の水分が抜けていっているような……。

こんな症例は、これまで見たことがありません」


 医師の説明を聞きながら、恵の全身から血の気が引いていくのが分かった。


 それは、まさに「死に水」の呪いと同じ死の兆候ではないか。

異常な喉の渇き。

身体に浮かび上がる青い水痕。


 医師は、毛細血管と言ったが、それは健太の腕に浮かび上がった青い水痕と酷似している。

そして、口元から溢れ出る不気味な水の泡。


 それはまだ確認されていないが、この症状の進行速度を考えれば、時間の問題だろう。


 水子は、暁さんの命も、健太と同じように蝕もうとしているのだ。

彼女が、水子の呪いを一身に受け止めてしまった結果なのだろうか。


 恵の隣で、健太の身体が大きく震えた。

彼もまた、医師の説明から、暁に自分と同じ呪いがかけられていることを悟ったのだ。


「そんな……暁さんが……」

健太の声は、絞り出すような、か細い囁きだった。


 彼の目に宿る絶望が、さらに深まっていく。

自分を助けようとして、暁までがこんな目に遭うなんて。


 医師は、眉間にしわを寄せながら、恵と健太に言った。


「正直、今の医学では、これ以上の診断も治療も難しい。

何か進展があれば、すぐに連絡しますから、お二人は一旦、ご自宅に戻って休んでください」


 医師の言葉は、まるで彼らを追い出すかのようだった。

しかし、恵は反論する気力もなかった。


 病院にいても、自分たちにできることは何もない。


 待合室を後にし、病院の廊下を歩く恵と健太の足取りは、ひどく重かった。

夜が明け、外は明るくなっていたが、二人の心には、深い絶望の闇が広がっていた。


 病院を出て、朝日が照らす街並みを見たとき、恵は、昨日まで見ていた世界とは全く異なる、異質な場所にいるような感覚に陥った。


 全てが現実とは思えない。あの恐ろしい夜の出来事が、まるで悪夢のようだった。

しかし、隣を歩く健太の青ざめた顔と、その腕に刻まれた青い水痕が、全てが現実であることを突きつけていた。


 そして、病院に残された暁さんの姿が、恵の心に重くのしかかっていた。


「恵……」

 健太が、力なく恵の名前を呼んだ。


「俺のせいで……暁さんまで……」


 彼の声は、自己嫌悪に満ちていた。

自らの無力さを嘆き、自分を責める健太の姿は、恵の心をさらに締め付けた。


 健太の苦しみが、恵にも痛いほど伝わってきた。


「健太のせいじゃないわ……」


 恵は、絞り出すような声で言った。

だが、その言葉には、何の力もなかった。


 二人は、重い足取りで最寄り駅へと向かった。

途中で立ち寄ったコンビニで、恵は健太のためにペットボトルの水を買った。


 健太は、それを一気に飲み干したが、喉の渇きが癒える様子はなかった。


 駅に着き、二人はそれぞれの家へと向かうために別れることになった。


 健太は、その場に立ち尽くしたまま、恵の背中を見送った。

彼の目には、未来に対する、深い絶望と諦めが宿っているようだった。


 恵もまた、後ろを振り返ることなく、人混みの中に消えていった。


 彼女の心の中には、健太を救うという、もはや霞みがかったような希望と、底知れない不安だけが残されていた。


 除霊師の犠牲は、彼らに、水子の呪いがどれほど強力で、抗いがたいものなのかを、まざまざと知らしめる結果となったのだった。

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