空虚な男
――――境界の森――――
カエデ王国の外門を出て数分歩いた時、それは目の前に現れた。
濃い緑と陰に覆われた陰鬱な森。
そこに入った瞬間、空気が変わった。
肌にまとわりつくような妖気。
重く、湿った圧力が肺の奥に沈み込んでくる。
「……妖怪がいない」
俺が呟く。
普段なら、視界に入るだけで数体は確認できる下妖クラスの気配すら、ここには一切存在しない。
「威圧されているのでしょうね」
レイラさんが静かに分析する。
「この領域は明確に“格”が違います。弱い存在は近づくことすらできない」
つまり――ここは既に、神の縄張りだ。
俺たちは自然と陣形を組む。
最前列に俺と麗華。
中央にナミダさんを据え、その両脇をレビアとリナ。
後方はミレ、茜、レイラさんで固める。
完全防備。
それでも、安心感はない。
(特妖領域……肌が粟立つ)
足場の土がやけに重い。
一歩踏み出すたびに、見えない何かに監視されている感覚がつきまとう。
「……大丈夫、なのにゃ」
後方でミレが小さく呟く。
その隣で、茜が軽く肩をぶつけた。
「大丈夫。あたしたち、強くなったでしょ?」
「……うん、頑張るのにゃ」
小さく笑い合う二人。
だが、その声はどこか硬い。
進むごとに、妖気は濃くなる。
そして――
森の奥に、ぼんやりとした灯りが見えた。
「……あれ」
麗華が指を差す。
複数の松明。
ゆらゆらと揺れる炎に照らされているのは――
白装束の男たち。
顔は布で覆われ、表情は見えない。
だが、その立ち姿は異様に静かだった。
「始まってるな……儀式」
俺は小さく呟く。
全員が頷き、気配を殺す。
足音すら消し、木々の影を縫うように移動。
やがて――
儀式の中心へと辿り着く。
祭壇。
その前に立つ、一人の男。
「____」
低い声で、何かを唱えている。
(巻物……教典か)
その声は、意味を持つ言葉のはずなのに――どこか“空虚”だった。
まるで録音された音声を再生しているかのような、不自然さ。
そして。
――ピタリ。
突然、詠唱が止まった。
完全な静止。
呼吸も、気配も、何もかもが“切断”されたように消える。
「……?」
違和感が背筋を走る。
次の瞬間。
「どうやら……不届き者が紛れ込んでいるようですね?」
ギギギ……と。
朽ちた歯車のような音を立てて――男の首が回る。
身体は正面のまま。
首だけが、真後ろを向いた。
「ひっ……!」
「なにあれ……」
麗華と茜が息を呑む。
それも無理はない。
人間の可動域を完全に逸脱した動き。
それでいて――“壊れていない”。
「少なくとも……人ではないな」
俺は低く言う。
男の顔は、青白い。
血の気が一切なく、蝋人形のように無機質。
だが、口だけが動く。
「生贄が足りない……と、神は仰っております」
感情のない声。
そこに宿るのは、ただの“伝達”。
「飢える神への贄……あなた達を足しとしましょうか」
視線が、こちらを正確に捉える。
隠れているはずの位置を、完全に。
「喜びなさい。光栄なことなのですよ?」
拒否という概念が存在しない声。
その瞬間。
男が手をかざした。
[『削除妖術』抹消]
――ズン。
音もなく。
俺たちが身を隠していた大木が、“消えた”。
倒れたわけでも、砕けたわけでもない。
最初から存在しなかったかのように。
「……は?」
「え、ちょ……何それ!?」
麗華が叫ぶ。
だが、理解は一瞬で済ませる。
「散開!」
俺の声と同時に、全員が動く。
包囲するように、円を描いて広がる。
武器を抜き、間合いを取る。
各々が完全な戦闘態勢に入る。
狙いはひとつ。目の前の男の無力化。
「ほう……」
男がゆっくりと視線を巡らせる。
「神への贄となることを――拒むと?」
空気が、張り詰める。
次の瞬間。
戦いが始まる。




