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予兆の把握


 陽が傾き始める頃、俺たちは共同戦線を結んだ仲間たちと共に、玲が“上妖”を見たという岩場へ向かっていた。

 風は乾いており、岩の間を抜けるたびに砂が喉を刺す。赤錆びた大地が、まるで焼け焦げた記憶のように広がっている。


 柳一が小さく息を整えた。

「まずは偵察だ。感づかれたら終わりだ、三人で行く」


 玲は、即座に前に出た。声には一切の怯えがなかった。

 

「直接見たのは、この中で私だけ。……私が行かなきゃ意味がないでしょう?」


 陽光が軍服の肩章に反射し、彼女の瞳の奥を琥珀色に染めていた。

 毅然とした立ち姿は、ただ美しいだけではない。恐怖さえも美学に変えるほどの“凛”を帯びていた。


 ミレはその背を見つめ、ぽつりと呟く。

(この人……かっこいいのにゃ。私も、ああなりたいのにゃ……)


 小さく拳を握りしめたその姿は、幼さを残しながらも確かな成長を孕んでいた。


「それじゃ、他に行く者は?」

 柳一の問いに、ミレが一歩踏み出した。

 

「はい! 私に行かせてくださいにゃ!」


 その声は小柄な体からは想像もできないほど真っ直ぐで、空気を震わせた。

「いいのか? 相手は上妖だぞ」

 

 野助が驚くと、ミレは一瞬だけ耳を伏せたが、すぐに顔を上げた。

 

「ちょっぴり怖いけど……みんなの役に立ちたいのにゃ!」


 その言葉に、柳一は静かに頷いた。

 

「分かった。だが、絶対に無理はするな」

「分かりましたのにゃ!」


 俺も、迷いなく名乗り出た。

 

「残りの枠は俺が行こう。戦闘担当が必要だろう」

「心強い限りだ」


 柳一の声は低く、それでいて確かな信頼を宿す。


 簡易な作戦を確認し、三人は火鼠の巣が点在する岩場へと足を進める。

 

――――


――――――――


――――火鼠の岩場――――


 陽炎が揺らぐ岩の谷間に、黒焦げた小穴が無数に開いていた。

 焼けた石の匂いと焦土の残り香が鼻を突く。


「……これは、何かの巣か?」

「火鼠の巣にゃね」


 ミレの言葉に、玲が頷く。

「下妖クラスでは唯一、完全な“耐火”の特性を持つ。初心者が調子に乗って焼こうとして、返り討ちに遭うって話もあるわ」


「だが、こいつらは群れるタイプだったな」

「ええ、単体ならただの小動物よ。でも――群れれば、火を喰う焔になる」


 玲の双眸が岩の影を鋭くなぞる。その瞬間、空気がぴんと張り詰めた。


「……この感覚、岩熊の時に似ているな」

「臨戦態勢!」

 玲の声が響く。

 

「はいにゃ……!」

 ミレが咄嗟に短剣を構える。


 空気の密度が変わる。重く、冷たい圧。

 岩陰がひとつ、ぬるりと動いた。


 姿を現したのは――額の中央に、異様に肥大化した“ひとつ目”を持つ存在。上半身は人、下は獣のようにねじれ、肌には岩のような硬質が混じる。


「な……馬鹿な」

 玲が息を呑む。

 

 その名を、彼女は震える声で告げた。

「『上妖』……山童(やまわろ)。こんな所にいるなんてありえない……」


 ミレが小さく震えた。

「上妖って……そんなに強いのにゃ?」

 

「あぁ。あれは格下の火鼠とは比較にならん」


 山童と呼ばれた妖怪の妖気を感じ取る。岩熊と同等かそれ以上か……。


 山童が、口を裂きながら奇怪な笑い声を漏らす。

「ぐげげげげげッ!」


 次の瞬間、地鳴りのような衝撃が走った。山童の両腕が岩を砕き、数十匹の火鼠を一息に薙ぎ払う。

 火の粉が舞い、燃えた尾が空を裂いて弧を描く。


「う、嘘でしょ……!」

 玲の声が震える。

 

「火鼠の群れが、あんなにあっさり……」

 ミレの瞳が絶望の色を帯びる。


 山童の一撃で地面が抉れ、空気そのものが悲鳴を上げる。それでも俺は、一歩も退かずに二人を見やった。


「――撤退するぞ。情報は十分に得た」

 玲とミレの肩に手を置き、静かに頷く。


 もし俺が突撃したら、あの山童という妖怪はほぼ確実にこの場で屠れただろう。

 けれど、それをしなかったのは……。


(アイツがここに居るということは……。ほかの連中も出てきている可能性はある)


 山童がテリトリーから出ているということは、他の上妖も暴れている可能性がある。

 もし奴らが刺激されたらホップタウンの勢力だけじゃ押し返すのは到底厳しい。


「あれを今、無闇に倒せば……街ごと崩れるかもしれん」

 

 山童はまだ俺たちに気づいていない。

 いまは、動くな。


 三人は呼吸を殺し、砂を踏み締めながら後退する。

 風が止み、沈黙だけが広がったその時――


「が……ぇ……」


 玲が突然、喉を押さえて膝をついた。

 

「玲さん!? どうしたのにゃ!」

 ミレが慌てて駆け寄る。


 見ると、玲の首に白い布のようなものが巻きつき、蛇のようにうねりながら締め上げていた。

 

 いや、それは“布”ではない――。


 岩陰に潜んでいた“別の何か”が、玲を狙っていた。

 透き通るほど白いそれは、まるで夜明けの靄が具現化したような妖気を放っている。


「玲、動くな!」

 俺は大剣を抜き、風を裂くように一閃を放った。 

 瞬間、熱気が霊気を弾き、白い帯が切り裂かれる。


 玲が咳き込み、空気を吸い込んだ。

「はぁ……っ、すまない……少し油断したわ」

「無事ならいい。……退くぞ!」


 山童が気づいた。ひとつ目がこちらを向き、赤い光が閃く。その光が地を照らした瞬間、岩肌が音を立てて波打った。


 地面が生き物のようにうねり、火の粉が乱舞する。

 だが俺たちは迷わない。

 玲が息を整え、ミレが跳ねるように前転。俺がその背を守るように一撃を地へ放つ。


 炸裂した風圧が煙幕を作り出し、その間に三人は岩場を離脱した。


――――


――――――――

 

 遠く、赤い稲妻が岩場を貫く。

 その中心で、山童がゆっくりと天を仰ぎ、低く唸り声を上げていた。


 “上妖”――その存在が、確かにこの地に根を下ろした。


 そして俺たちは、火の匂いを背負いながら夜の街へと戻る。

 誰も口を開かないまま、ただ胸の鼓動だけが生の証のように響いていた。


 戦いの幕は、まだ上がったばかりだった。

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