予兆の把握
陽が傾き、赤錆色の大地に影が長く伸びる頃。
俺たちは共同戦線を結んだ仲間たちと共に、玲が“上妖”を目撃したという岩場へと足を運んでいた。
乾いた風が岩の隙間を抜け、砂粒が喉を刺す。
視界に広がるのは、焼け焦げたような大地――まるで、この土地そのものが過去の戦禍を記憶しているかのようだった。
柳一が立ち止まり、短く息を整える。
「まずは偵察だ。感づかれたら終わりだ。……行くのは三人」
即座に、玲が一歩前へ出た。
迷いはない。声にも、震えは一切含まれていなかった。
「直接見たのは、この中で私だけ。状況確認と照合は私がやる。――私が行かなきゃ意味がないわ」
傾いた陽が軍服の肩章に反射し、彼女の瞳を琥珀色に染める。
その立ち姿は、ただ整っているという次元を越えていた。
恐怖を理解した上で、それを制御して立っている者の“凛”。
ミレは、思わずその背を見つめていた。
(……この人、怖くないわけじゃないのにゃ。
それでも前に出る……かっこいいのにゃ)
小さく拳を握る。
その仕草には、幼さと同時に、確かな変化が宿っていた。
「他に行く者は?」 柳一の問いに、ミレが一歩踏み出す。
「はい! 私に行かせてくださいにゃ!」
小柄な体から放たれた声は、意外なほど芯があり、空気を震わせた。
「相手は上妖だぞ」 野助が目を見開く。
一瞬、ミレの耳が伏せられる。
だが、すぐに顔を上げた。
「……ちょっぴり怖いけど、それでも。
みんなの役に立ちたいのにゃ!」
柳一は数秒だけ彼女を見つめ、やがて静かに頷いた。
「分かった。だが、無理はするな。異変を感じたら即撤退だ」 「分かりましたのにゃ!」
俺も迷わず名乗り出る。
「残りは俺が行く。戦闘要員がいなきゃ話にならんだろ」 「……心強いわ」
短く作戦を確認し、三人は岩場へと踏み込んだ。
――――
谷間に入った瞬間、空気が変わった。
陽炎が揺れる岩の隙間に、黒焦げた小穴が無数に口を開けている。
焼けた石の匂い。焦土の残り香。
「……これは」 「火鼠の巣にゃね」
ミレの即答に、玲が補足する。
「下妖の中では珍しい、完全耐火個体。単体なら脅威じゃないけど……」 「群れれば、火を喰う焔になる」 俺が続けると、玲は小さく頷いた。
その瞬間だった。
――空気が、張り詰めた。
「……この感覚」 俺が呟く。 「岩熊の時に近い……いや、それ以上だ」
「全員、臨戦態勢!」 玲の声が鋭く響く。
「はいにゃ……!」
ミレが短剣を構える。
その刹那、岩陰が“動いた”。
ぬるり、と。
姿を現したのは、異形だった。
額の中央に肥大化した単眼。
上半身は人、下半身は獣。
岩と肉が混ざり合ったような皮膚。
「……嘘」
玲の喉から、微かな声が漏れる。
「『上妖』……山童
……こんな場所にいるはずがない……!」
その瞬間、山童が嗤った。
「ぐげげげげげげッ!」
次の瞬間、地鳴り。
巨腕が振り下ろされ、岩ごと火鼠の群れが薙ぎ払われる。
――数十匹。
火の粉が舞い、燃えた尾が空を裂いて散った。
「……そんな」 玲の声が、わずかに揺れる。
「火鼠の群れを……一撃で……」
ミレの瞳が、はっきりと“格の違い”を理解する色に染まった。
地面が抉れ、岩が悲鳴を上げる。
それでも、俺は一歩も退かなかった。
「――撤退だ」
二人の肩に手を置き、低く告げる。
「情報は十分。これ以上は不要だ」
俺なら、今ここであれを倒せる。
だが――倒してはいけない。
(上妖が、縄張りを外れている……
つまり、他も動いている可能性が高い)
ここで山童を斬れば、連鎖的に“何か”が目覚める。
街全体が、敵対存在に認識される。
「……今倒せば、街ごと潰れる」
山童は、まだこちらを正確に捉えていない。
なら――動くな。
三人は呼吸を殺し、後退する。
だが、その時。
「……っ」
玲が喉を押さえ、膝をついた。
「玲さん!?」 ミレが駆け寄る。
彼女の首に、白い“何か”が絡みついていた。
布のようで、蛇のようで――霧のような存在。
「玲、動くな!」
俺は大剣を抜き、躊躇なく一閃。
熱気が霊気を裂き、白い帯が霧散する。
「はっ……!」 玲が息を吸い、即座に立て直す。
「……油断したわ。ありがとう」 「いい。今は退く」
その瞬間、山童の単眼がこちらを捉えた。
赤い光が地を舐め、岩肌が波打つ。
「行くぞ!」
俺の一撃が地を砕き、風圧が煙幕を作る。
玲が指示を飛ばし、ミレが跳ぶ。
三人は、岩場を離脱した。
――――
遠くで、赤い稲妻が岩場を貫く。
中心で、山童が天を仰ぎ、低く唸った。
“上妖”は、確かにこの地に根を下ろした。
火の匂いを背負い、俺たちは夜の街へ戻る。
誰も言葉を発しない。
戦いは、まだ始まったばかりだ。




