猫娘の大演説
俺たちは、上妖の一体──一反木綿を討ち倒し、ホップタウンへ戻ってきた。
だが、関所を越え、街の輪郭が見え始めた瞬間、違和感が胸を刺した。
――音が、違う。
いつもなら聞こえてくるはずの笑い声、商人の呼び込み、酒場の喧騒がない。
代わりに漂っていたのは、押し殺されたざわめきと、怯えを含んだ息遣いだった。
通りでは、人々が空を見上げ、建物の影に身を寄せ、露店の店主たちは商品を放り出して荷をまとめている。
武器を持たぬ市民ですら、棒切れや鍬を手にしていた。
街全体が――「逃げ場のない敵を待つ側」の顔をしていた。
「……何があった」
思わず、低く声が漏れる。
「上妖の存在が、完全に知れ渡ったみたいね」
玲の声は、戦場に立つ指揮官のそれだった。感情を排した、冷たい現実の分析。
「しかも、ただの噂じゃない。
“上妖が複数いる”“街に向かっている”――最悪の形で広まってる」
なるほどな、と俺は理解する。
恐怖は、曖昧な時よりも、具体化した時に最も人を壊す。
「……上妖ってのは、そこまでの存在なのか?」
俺の問いに、玲は一度足を止めた。
「ええ。はっきり言うわ」
彼女は街並みを見渡し、淡々と告げる。
「ホップタウンの防衛戦力じゃ、上妖一体で三割が死ぬ」
「二体来れば、街は機能停止。三体なら――壊滅よ」
重い沈黙。
「上妖は、小規模の領域のボスに相当する存在。
通常は五人以上の熟練パーティで挑むもの。
それが、縄張りを捨てて徘徊している……」
「異常事態、にゃ」
ミレが、いつになく硬い声で言った。
「上妖は“守るもの”があってこそ、あそこまで力を蓄えるのにゃ。
それを捨てて街に来るなんて……」
「誰かが、使っている可能性が高いわ」
玲の言葉が、俺の胸に嫌な形で落ちる。
妖怪を動かす“意志”。
それは、単なる災害じゃない。
冒険者ギルドに入った瞬間、空気がさらに張り詰めた。
集まっているのは、ホップタウンでも指折りの実力者たち。
柳一、野助、見知った顔ばかりだが、誰一人として軽口を叩いていない。
「玲、戻ったか」
「ええ。偵察は完了。確認した上妖は二体。山童と、一反木綿――後者は、宝が討伐済み」
その瞬間、空気が凍りついた。
「……待て」
「一人で、か?」
「上妖を、単独撃破……?」
疑念、驚愕、恐怖。
様々な感情が渦を巻く中、ミレが一歩前に出る。
「本当なのにゃ。ご主人は、私が知ってる中で一番強いのにゃ!」
野助が乾いた笑いを漏らす。
「……はは。冗談だと思いたかったが、顔が本気だな」
だが、柳一は笑わなかった。
「問題はそこじゃない」
低く、現実を突きつける。
「街がパニックに陥っている。
このままだと、敵が来る前に内部から崩れる」
その時だった。
「……私が、行くにゃ」
ミレの声は、小さいが、はっきりしていた。
「噴水広場で、みんなに話すにゃ」
一瞬、誰も言葉を発せなかった。
だが、次の瞬間――
ミレは、もう走り出していた。
噴水広場は、人で溢れていた。
泣き叫ぶ子供、祈る老人、怒鳴り合う大人。
その中心に、ミレは立った。
「聞いて欲しいのにゃ!」
震える声。
だが、逃げなかった。
「上妖が来るのは、本当なのにゃ!
危険なのも、本当なのにゃ!」
悲鳴が上がる。
――だが。
「でも!
この街を、壊させはしないのにゃ!」
ミレは、冒険者たちを指差した。
「ここにいる人たちは、逃げない!
戦う!
そして――」
最後に、俺を見る。
「全部、街の外で終わらせるのにゃ!
琴爪ミレの名にかけて、
ホップタウンの敷居は――
死線だと思わせるのにゃ!!」
一瞬の静寂。
そして、ゆっくりと、空気が変わった。
「……外で、止めてくれるのか?」
「街には、入らせない……?」
恐怖が、覚悟に変わっていく。
「最高だ」
野助が呟く。
「見事ね」
玲が、深く頷いた。
俺は一歩前に出る。
「言った通りだ。
ホップタウンには、指一本触れさせない」
冒険者たちが、武器を掲げる。
「オォォォォ!!!!」
それは、恐怖の悲鳴ではない。
戦う者の、宣誓の咆哮だった。
夜明け前、関所へ向かう俺たちの背後で、
街は初めて“守られている”顔をしていた。
――決戦は、これからだ。




