11月10日-1
-11/10-
「友達です。今日手伝ってくれたのは、あたしの友達なんです。ふふふっ…」
「……っ!…」
僕の背中越しに、廊下の様子を伺っていた真都の喉が……小さく鳴ったのが
かすかに聞こえた。
「…ほら。かなえさんはああ言ってるよ?」
「…ふ、ふん……。…ホンマに訳わからんわ。こんなんは…ただの成り行きや。
勘違いするんやないで」
などと言い放ち、ぷいっと立ち上がって真都は自分の席に戻っていった。
でも、立ち上がった時の真都の表情は、その言葉とはまったくの正反対
だったのを僕は見逃さなかった。
「…まったく…素直じゃないなぁ」
「…なんか言うたか? そ、そもそもこんなんなったんはアンタのせいなんや!
朧露のウチが…なんでこんな…。ホンマに……どないやっちゅーねん…」
「それじゃお疲れ様でしたー! 失礼しまーーす!」
そうしているうちに、がたんと扉を閉まる音と、編集さんの声が聞こえた。
来た時はまるで今にも死にそうだったのに、意気揚々と引き上げていったらしい。
…なんとも現金な人だ。
少ししてかなえさんも仕事部屋に戻ってきた。その表情はまるで、何というか
こう…、一仕事を終えた漢の顔だった。
いや、男じゃないけど。
「ふぅーーっ!! みんなもお疲れ様! ホントに助かったわ! ありがとね!」
「はいはーい! お茶入りましたよーーー!!」
絵依子の淹れてくれたお茶を飲みながら、ようやく僕たちは一息つき、どこか
心地いい疲労感と達成感に包まれていた。
思わぬアクシデントだったものの、それでも無駄な事はただの一つも無かった。
そう僕は思う。
そして少々遠回りだったけど、ようやく本題に入れる時が来たのだ。
「ホントにねー、みんなのおかげよ! ……って、瞬弥クン、どうかした?
急に難しい顔しちゃって」
ふいにかなえさんが怪訝そうな声を上げた。それで真都たちも思い出した
らしい。急に真剣な表情をしだした僕たちを、かなえさんが「え? え?」と、
ぽかんとしたように見つめている。
「…かなえさん……。さっき担当の人が言ってたこと、覚えてます? 今月は
原稿を落としてる人が多いって話を」
「んん? そう言えばそんな事言ってたわね。それが…どうかしたの?」
意が掴めない、という様子のかなえさんに、僕はさっそく本題を切り出した。
それにますますかなえさんが訳が分からない、と言わんばかりに小首をかしげる。
「…休載が多いのは、かなえさんの雑誌だけじゃないんです。週刊誌もそうなん
です。週ジャンもヤンガマも」
「そうなの? へぇ…珍しい事もあるもんねぇ…」
「あの…はっきり言うと、これはただ事じゃないと僕は思うんです。ただの偶然
なんかじゃなくて、あいつ…「作 和夫」の仕業だと思うんです…!」
「………!」
「…和夫は『メディウム』を使って、人からエネルギーを吸い取っていた。でも
それを僕らやかなえさんに邪魔されて、狙うのを一般人から絵のプロに変えたん
じゃないかと思ったんです。それで…もしかしたらかなえさんもあいつの餌食に
なったんじゃないかって思って、ここに来たんです…」
「……ぇ…!!…」
かなえさんの目が大きく開かれ、息を呑む声が聞こえた。
そして少しの間の後。
「…あは、…あはは…あははは! な、なにそれ!? お、おっかしい!!
あははははは…!」
「………は……?」
…静まり返った部屋に…突然かなえさんの爆笑が轟いた。苦しそうにお腹を
押さえ、足をばたつかせながらゲラゲラと大笑いしている。
その、まったく予想外のリアクションに、一瞬…僕は唖然としてしまった。
でも。
「な…何笑ってるんですか!! …みんな…、みんなかなえさんのことを心配
してたんですよ!」
あまりに理不尽な態度に、思わず僕は我を忘れて立ち上がり、怒りをぶつけた。
何が…何がそんなにおかしいって言うんだ…!!
「あはは……。ご、ごめんごめん……。そ、そういう意味じゃないのよ。くくく…
ひひひ…」
いまだ苦しそうにお腹を抱えたまま、かなえさんがようやく身体を起こして僕に
向き直った。
「……ふぅ…。あ…あのね。瞬弥クン。あたしもあいつもソキエタスの会士
だけど、会士はあたしたちだけじゃないのよ。日本だけでもね、会士は1000人
近くはいるらしいわ」
「…? それがどういう……」
「特に漫画家やイラストレーターには結構多いの。もっとも、誰がそうなのか
まではあたしも知らない。全部を把握してるのは幹部の人間だけだけどね。
それがどう言う事か判る?」
「え…い、いえ…判りません……」
いきなり脈絡のないことを口にし始めたかなえさんに、少し僕はイラつき
ながら答えた。ふぅ、と呆れたようなため息をついて、かなえさんが先を続ける。
「…確かにキミの言う通り、ただ『ヴィレス』を集めるのなら、普通の人よりは
あたしたちみたいな同業者を狙う方が効率はいいでしょうね。でも……」
「……でも……?」
「…あたしたち同業者を狙うってことは、その相手が会士って可能性も高くなる
のよ。そんな事してタダで済むと思う? 言っとくけど、あいつ程度の力の持ち
主なんて珍しくはないのよ? 下手すればもっと上の実力者に返り討ちね」
「え、えぇぇ!? そ…そうなんですか…!?」
…漫画家やイラストレーターの中に会士が大勢いる、という話にも驚いた
けれど、絵依子を圧倒し、あれだけ人間離れした力を振るっていた和夫が、会士
の世界では普通ぐらいだというかなえさんの言葉に、僕は声を失った。
……どんな世界でも、上には上がいるということか…。
「…心配してくれたのは嬉しいけど、だいたいカス夫ごときに、このあたしが
やられる訳ないじゃない。もしここに来てたら、あいつの方が再起不能になってた
わよ」
自信に満ちた表情でかなえさんが薄く笑う。普通にやり合っても勝つ、絶対の
自信がかなえさんにはあるのだろう。
確かに真都をして「化物」と言わせるほどなのだから、今はこんな風に見えて
いても、かなえさんは相当強い…ということなのか。
それにしても……カス夫って。
…相変わらず和夫を毛嫌いしてるなぁ、かなえさん…。
「だからこそ、あいつはメディウムに一般人を狙わせてたの。それが今になって、
急にそんな大それた事をしでかすようになった、なんて有り得ないわよ」
「…え? そ…それじゃ…つまり……」
「…っていうか、そもそもで言うとね、雑誌の締切って、君らが考えてるより
ずっと早いの。今日発売の週刊誌でも、実際は2週間前ぐらいなの。あたしに
やられて、あいつが大人しくなったのって、ちょうどその頃でしょ?」
…今日が9日ということは、2週間前は10月の27とか28日のあたりか。
確かに……かなえさんの言うとおりだ。
「…最近になって急に漫画家を襲いだしたのなら、今週に休載が多いのはヘンよ。
かといって以前から襲ってたのなら、あんなタイミングでキミやえーこちゃんを
殺そうなんてするのもヘンでしょ?」
「…………」
「ね? だからきっとただの偶然よ。まったく瞬弥クンは心配性なんだから。
ふふふっ!」
かなえさんの愉快そうな笑い声に、なんだかホッと気が抜けたようなビックリ
したような…。とにかく僕はかなえさんの説明に、ようやく胸につかえていた
ものが取れたように感じた。
「そうですか……。はは…、なんか…安心しました。そっか…偶然なのか……。
良かった…」
「って言うかミャオっち。それぐらいあなた判ってたんでしょ? なんでその事、
瞬弥クンに教えてあげなかったの?」
「え!? し、知ってたのか? 真都!!」
ホッとしたのもつかの間、思ってもみなかった言葉に…僕は唖然として
しまった。
「…まぁ薄々はな。せやけど、あん時の瞬ヤンはウチがなに言うても、聞く耳
持ってへんかったやろうからな」
ふぅ、と大げさにため息をついて見せてから…真都が苦笑を浮かべた。
確かにあの時の僕は…ちょっと頭に血が上ってた。それのせいで真都を引っ
ぱたいたりもした訳で…。
「ご、ごめん…! ぼ、僕……なんて言って謝ったらいいか…。とにかく
ごめん!!」
「まったく…それもこれも、せっかくあたしが名前まで教えてあげたのに、
いまだにあいつを捕まえてないからでしょ? 他のお寺の人に、もうちょっと
真面目に仕事しなさいって言っといてよ。ミャオっち」
「…ウチらかて遊んでる訳やないですよ。でも、ホンマにここんとこ、全然
動きがのぅなってて…それにアイツ一人だけにかまけてもおれませんのや。
……なんやまた、ちょこちょこ妙な動きをしとるヤツが出てきとるみたいですし」
…最後の言葉の一瞬だけ、真都の表情…目が、鋭く真剣なものに変わった。
それはかなえさんに「何か知ってるんじゃないのか」と問うているかのよう
だった。
「…ふぅん。そうなの? あたしはここしばらく、ずっとカンヅメだったから
知らないけど」
まるで…剣の切っ先のような真都の視線を、首をかしげながらかなえさんが
涼しげに受け流す。
なのに、ほんのわずかに…あの時のような…、僕たち4人が初めて出会った夜に
戻ったような…、息苦しさを覚えるほど、固くどろりとした空気が……部屋に
満ちていく。
その時。




