11月1日-1
-11/01-
チチチ……
チュン…チュン…
「~~~~! ~~~………! ……・・・!!」
「……んん………」
……何やらやたらと騒がしい。いつもの鳥達に混じって聞こえてきた喧しい声に、安らかなる眠りの世界から僕は、強制的に「現実」に引き戻された。
…目は覚めてしまったものの、正直まだ寝足りない。とりあえず僕は目を閉じ、引き続き惰眠をむさぼることにした。
「・・・・・・! ・・・・・・! ・・・・・・ゃーーん!!」
「………むにゃ…」
「・・・よ! お兄ちゃ~~ん! あっさですよ~~!!」
「…ぐぅ…ぐぅ…」
「お兄ちゃんってば! もう朝だよ! 起きろぉ~~~~~~っっ!!」
「…すや…すや……」
「もぉ!! いい加減にしないと……うりゃっ!」
いい感じにまどろんでいた僕の上に、突然なにかがどさりと降って来た。
面倒なのでそれも無視して、さらに頭まで布団を引っ被った瞬間、身体になにか…ひんやり冷たいものが触れた。
「そ~~れ、こ~ちょこちょこちょ~~! ほらほら、早く起きないと……」
…がばあっ!!
「あーっもう!! 朝っぱらから何してるんだよっ!」
思わず布団を跳ねのけた僕が見たものは…、にこにこ満面の笑みを浮かべながら、手をわきわきさせている絵依子の姿だった…。
「えへへ。やっと起きたー♪」
「お、起きた、じゃないっ! っていうか、や、止めろって! うひゃ…っ!」
「…もしかしてお兄ちゃん、忘れてる?」
「………わ、忘れてるって……何を……? …っあwせdrftgyふじ!!」
「もぉ! やっぱり! 今日は文化祭だよ!!」
「…あ………」
……言われてみれば確かに今日は文化祭の日だ。すっかり忘れてた…。
「この間約束したじゃん!! 文化祭はいっしょに回るって! なのにいつまでもぐーぐー寝てるんだもん。罰だよ! ビバルディだよ!」
「そそ…それを言うなら…ペナルティ…っあzsxdcfvgbhんj!!」
・
・
・
「はぁ……はぁ……はぁ………」
「どぉ? ばっちり目、さめた?」
……どうにか絵依子のくすぐり地獄から解放された僕はメガネをかけ、今の時間を知ってさらに驚いた。というか………呆れた。
「…おまえさ、今日が何曜日か知ってる?」
「当たり前じゃん。今日は日曜だよ? それが何か?」
「今日は確かに文化祭だけど、自由登校ってことなんだけど」
「そうだっけ? で、何?」
「 そ れ で 何 で 7 時 な ん か に 起 こ す ん だ よ ! ! 」
貴重な休日の惰眠タイムを邪魔され、思わず大声で怒鳴りつけてやったのに、当の絵依子に悪びれた様子は全くない。それどころか、さっきからずっとヘンにニタニタ笑ってさえいる。
…いったい何なんだ……?
「えっへっへ。だって…楽しみで早く目が覚めちゃったんだもん。まぁいいからいいから♪」
などと言いながら、なぜか朝っぱらからいつものゴスロリ服の絵依子が、仕方なく起き上がった僕をぐいぐいとダイニングに押していく。まったく何なんだ、これは……。
「……え………?」
……無理やり連れてこられたダイニングの光景、いや、そのテーブルの上を、僕は思わず二度見した。驚いた事にテーブルの上には、いつものもやしと卵の炒めものとご飯という、朝食の準備がばっちりと整っていた。
「…これ……って………」
「ふふふ~ん。おかずは冷蔵庫に入ってたのをチンしただけだけど、これ! このお味噌汁はわたしが作ったんだよ?」
言いながら絵依子が得意げに鍋から味噌汁を注ぎ、ほかほかと湯気の立ったお椀を僕の前に差し出してきた。もしや………まだ僕は夢を見てるのだろうか。
まさか…こいつが料理だって……?
思わず僕はお椀を持つ絵依子の手に目をやってしまった。
案の定、その余りに不器用すぎる指には、絆創膏がいくつも……って、
………あれ?
「な、何? さっきからじろじろ手なんか見て…」
「…いや、おまえのことだから、間違いなく指がバンソーコーでぐるぐる
巻きになってるって思ったんだけど…」
…見たところ、絵依子の手はキレイなままだった。お茶を淹れるのもマトモにできない絵依子なのに……これはいったい…?
「もぉ! わたしそこまで不器用じゃないよ!! お兄ちゃん、わたしのこと
バカにしてる!!」
口を尖らせて絵依子が抗議の声を上げる。…でも、その時僕は、あるもう一つのことに気がついた。
…いや…、…気がついてしまった…。
「おまえ…、それ……」
絵依子の服の袖から、ぽたぽたと雫が落ちている。しかも、ネギの切れっ端やら豆腐のくずまでが、袖にぺったり張り付いている。
「まさか…おまえ…」
「な、何のことかなぁ~? そ、そんなことより、早く早く! 冷めないうちに食べてよ! ささ! さささ!!」
……このうろたえっぷり。間違いない…、またこんなことにオービスを使って変身したんだな…。
道理で朝っぱらからいつものゴスロリを着てる訳だ。そりゃあの状態だったら、たかが包丁ごときで怪我なんかしないよな…。
ふと流しに目を向けると案の定、刃こぼれどころか、明らかに刃の欠けまくった包丁が哀れな姿をまな板の上にさらしていた…。
「…ふぅ。ごちそうさま」
「どういたしまして! ねね、どうだった? ……おいしかった?」
「…意外にまぁまぁってとこかな」
「えへへ…やったぁ……って、意外にってどーーーいう意味?! もぉ!!」
ぷんすか怒りながら、絵依子も自分の朝ごはんをかき込んでいく。つい口ではああ言ったものの、絵依子の作ってくれた味噌汁は……本当はかなりおいしかった。
ただそれを認めるのも何となくシャクなので、いつものように絵依子の頭をわしわしとなでてやった。
またそうやって誤魔化す…といいながらも、絵依子の表情がはにかんだような笑顔になっていく。こんな時間に叩き起こされた怒りは、もうすっかり僕の中から消え失せてしまっていた。
代わりになんとも言えない幸せな気持ちが、胸いっぱいに広がっていくのを感じるのだった。
食事の後、僕たちはかつて有り得ないぐらいにのんびりと着替え、登校の準備をした。時間はまだ8時にもなっていない。
「さてと…どうする? もう出ちゃうか? 今からだと早く着きすぎちゃうけど」
「う~ん。あんまり早く着いても困るしね…どうしよ?」
「…? 困るって?」
「ぇ、な、何でもないよ?」
「………?」
「あ、そうだ! きょ、今日はさ、あーやの復帰一日目なんでしょ?」
「あぁ…そういえばそうだったな。しかし復帰早々に文化祭っていうのも大変だよなぁ…」
「でしょ? だからさ、今日ぐらいはわたしたちが迎えに行ってあげるのはどう? きっと喜んでくれるんじゃないかな!?」
「……ほう…」
僕たちの方から綾を迎えに行くなんてのは、確かに今まで一度もなかったことだ。考えたこともなかったことだけど、なるほど面白いかもしれない。
…その提案、乗った!!
綾の家はここの向かいの棟にある。いつも8時15分にやってくる事を考えると、今から出れば全然余裕だ。さっそく僕たちは家を後にし、綾の住む23号棟に向かった。
ピンポーン……
『はぁい。どちらさまですか?』
「あ、おはよう、綾。瞬弥だけど……」
・・・どんがらがっしゃーん!!!
…な…何事!?
インターホン越しに挨拶した瞬間、何かをひっくり返したような、けたたましい音が中から聞こえてきた。もしや…何か事故でも!?
とっさにドアノブに手を掛けた瞬間。
「瞬くん! ダメ! 開けないで!!」
ドアの向こうから…何かものすごく切羽詰った声が僕を制止した。
「あ……綾? なんか…すごい音がしたけど…」
「いいから待ってて! すぐに出るから!!」
……もはやインターホン越しですらなく、ドア越しにそんなやり取りをした後、僕は絵依子と思わず顔を見合わせてしまっていた。
仕方なく二人して玄関の前で突っ立ったまま待っていると、5分ほどしてから、ようやく綾が現れた。
「お、お待たせ…はぁはぁ……」
現れた綾は、まるで以前と変わらない様子だった。
ただ一点……なぜかメガネをかけていることを除いて。
…予想外の綾の姿に、心の中で密かに首をかしげながら、とりあえず僕たちは学校に向かうべく歩き始めたのだった。
以前のように並んで歩きながら、じろじろと絵依子が綾の顔を眺めている。鼻の上にちょこん、と乗ったメガネは真面目そうなデザインで、いかにも綾らしい。
…でも、僕は何となくこのメガネに見覚えがあった。
「…あーやって目、そんなに悪かったっけ?」
「う……うん。いつもは…コンタクトだったけど、しばらくしてなかったら、急に着けたら痛くって…」
「考えてみれば中学まではずっとメガネだったもんな。それって昔のやつか?」
「うん…、だからちょっと度が合ってないの。裸眼よりは全然いいんだけど…」
……なるほど。さっきの物音は合ってないメガネのせいで、何かにぶつかったとかその辺か。
「…でもさ、そういえばなんでまたコンタクトなんかに変えたんだ?」
コンタクトは手入れとか扱いがいろいろ不便だし、だいいち目に物を入れるなんて怖すぎる。正直言ってコンタクトなんかする人の気が知れないと思うのだけど、綾はまたごにょごにょとよく聞き取れないぐらいのボリュームで「あの、その…」を繰り返して、いまいち要領を得ない。
ふと見ればまた絵依子があきれたような目つきで僕を見ている。相変わらず訳が分からない…。
「おや、綾ちゃん。もう身体の方はいいのかい?」
「あ…おはようございます。おかげさまでもうすっかり。ご心配をお掛けしました…」
団地の敷地を抜けかけた辺りで、偶然出会った金田のおじさんと朝の挨拶などを交わす。
綾ちゃんが一緒と言うことは、今日は補習とかじゃなさそうだね、などとからかわれてしまい、僕と絵依子がご近所からどういう目で見られているかを知って、朝からちょっと切ない気持ちになってしまった…。
「ふふふっ。でも本当は瞬くん、私なんかよりよっぽど頭が良いんですよ?」
「ほぉ? そうは思えんが…綾ちゃんが言うなら、もしかしたらそうなのかも知れんねぇ」
「はい。ぼーっとしてるように見えるから、みんな気がついてないだけなんです。ふふふっ…」
くすくす笑いながらも、そんな風にフォローを入れてくれている綾の背中からは相変わらず後光が差して見える。思わず僕は心の中で手を合わせ、拝んでいた。ありがたや、ありがたや…。
…ただ、もし逆に綾を敵に回したりしたら、団地内での僕らの評判は、きっと想像するのも恐ろしいものになるだろう…。
そんな日がやって来ないことを祈りつつ、僕たちは金田さんと別れて、再び学校へ歩き出した。