11月1日-幕間-
-11/01-
「……これは……いったい…。どうなっているんだ。こんなことが……」
モニターに映し出されている数字と、すぐ横の簡易なベッドに横たわる少女を交互に見やりながら、白衣をまとった初老の男…『吉多 英彦』は言葉を失っていた。
歳の頃は10代前半だろうか。上に見てもせいぜい14,5歳、下に見れば小学校の高学年と思える少女の身体のあちこちからケーブルが繋がれているのが見て取れる。特に頭部には大量とも言えるほどのケーブルが伸びており、部屋の隅に設置されている大型の冷蔵庫ほどのサイズの機械に繋がっていた。
「…あ……ぐっ……」
ベッドの上の少女が、かすかに呻いた。それと同時にモニターの数字が大きく変動した。
「………っ!」
一瞬、少女を見るべきか、画面に集中するべきかを吉多は迷った。
「え、エリナさんっ! もっと鎮静剤をっ!」
「…はい。先生」
ベッドの側にいた女性が、多くのケーブルのうちの一本から繋がっている点滴のバルブを操作する。少しして薬の効果が現れ始めたのか、少女の呼吸がだんだんと穏やかになっていくのを見て、吉多は胸をなでおろした。
少女を見る男の表情は複雑なものだった。ベッドに横たわる少女の姿は、彼にとって憐憫の情を禁じ得ないものだった。
こんな少女がなぜ、と。
・・・がちゃり
「…こんな夜更けに、いったい何なのかね、これは」
少女の容態が落ち着きを取り戻した頃、「雄々神 獅子遠」がこの場所…横浜にある、とあるビルの地下にある研究室を訪れた。疲れと眠気に襲われかけていた吉多は一瞬、何が起きたのか判らないまま立ち上がった。
「きょ、局長? どうしてここに…?」
「私がお呼びしました」
かすかな笑みを浮かべて、エリナと呼ばれた女性が代わって答える。意味が分からない、という表情で吉多がエリナを見やる。
「で…、これはどういうことなんだ? 先生」
「あ、に…2時間ほど前に、エリナさんがこの子を運び込んだのですが、その…どう言えばいいのか…」
先生、と呼ばれた吉多の不明瞭な応答に、獅子遠がちらりとベッドを一瞥する。
「……この少女は…? 見たところ会士のようだが…」
「……先生?」
「あ……いや……しかし……」
エリナに説明を促されたものの、男の口は重かった。うつむいたまま伏し目がちに、助けを求めるようにエリナを見る。
「…つい1時間ほど前に、偶然この少女を『保護』しました。全身を強打し、意識不明の重体でしたので、取り急ぎここへ運び込んだのです」
「それで? それと私を呼び出したことと、どう関係があるのかな…」
口の重い吉多に代わって、エリナがいきさつを説明したが、まだまるで状況が飲み込めない獅子遠が少し苛ついた声を返す。
「お気づきになりませんか? この少女は今、意識を失っているのです」
そこまで言われて獅子遠は、あっ、と小さく声を上げた。
「そうです。通常、会士は意識を失うと『錬装』も解除されます。しかしこの少女は……」
「…ほう。興味深いが…どういうこと…なのかな?」
「理由はいまのところ不明です。いえ、この少女の場合…すべてが不明なのです」
「……全てが不明…とはどういうことなのかね」
「先ほど、この少女の身元を確認しようと、ここのデータバンクにアクセスしたのですが、該当する人物は一人もおりませんでした」
続くエリナの説明に、獅子遠が怪訝そうな表情を浮かべる。しかし、言われてみてベッドの上の少女によく目を向けると、確かにその「顔」に見覚えはなかった。
曲がりなりにも、日本におけるソキエタスのトップである自分が知らない会士となると、答えは一つしかない。
「…では、海外の者…か…? 」
外国からやってきた会士が何らかのトラブルに巻き込まれた。あるいは朧露の僧兵に不覚を取ったということも考えられる。数年に一度ぐらいはそういう事例もこれまでにあるのだ。
しかし、エリナはそれも否定した。
「念のため世界中の支局にもアクセスしましたが、同様です。つまりこの少女は未登録…もしくは過去に登録を抹消されたものと思われます」
「…ますます解せないな。それがどうして錬装しているのだ。未登録にせよ、抹消されたにせよ、ならオービスをどうやって手に入れたと…?」
「判りません。ですが…この少女はもうひとつ、驚くべき点があるのです。……先生? ここからは先生にお願いしますわ」
「う……ぅ……」
エリナから引き継ぎを求められた吉多は、苦悶に満ちた表情のまま、ようやく観念してか、眼鏡を机に置き、目頭を押さえながら立ち上がった。
「…会士の世界改変の力…、それを古来よりヴィレスと呼称しているのはご承知のとおりですが、それを数値化するにあたって、我々はそれを『トランス・インカーネーション・スケール』と呼んでおります」
「…知っているが、それが……?」
「このトランス・インカー……」
「先生。それでは長すぎますわ。略して『ティンカースケール』で良いのでは?」
「え……あ……うぅ…」
「ふむ、そうだな。で、『ティンカースケール』がどうしたのかね」
2対1で押し切られ、渋々といった風情で吉多が先を続けた。
「あぅ…、は、はい。…このティンカースケールは大きければ大きいほど、世界への干渉のレベルが上がります。会士の錬装といった小規模な世界への干渉にとどまらず、この世界そのものへの干渉、改変すら可能に……」
「…前置きはいい。早く本題を言ってくれないか、先生」
「……今、このティンカースケールにおける国内の最強は、蓮次さんを除けば「高橋 かなえ」嬢です。数値にしておよそ1600ほどです」
「ふむ、以前に身体検査と称して計測したな。その時のデータかね」
「そうです。1年ほど前のデータですので、今はまた変動しているかもしれませんが…」
いったん言葉を切り、吉多が大きく息をついた。
「…ですが、かなえ嬢の1600という数値に対して、この子のティンカースケールは……5000以上なのです」
「ご……、な……なんだとっ……?!」
にわかには信じがたい事を告げられ、一瞬絶句した後、獅子遠が目を剥く。5000という数値は、それだけ異常なものなのだ。
ごく一般的な会士で500から1000程度、獅子遠自身も1000を少し超える辺りなのである。
『ティンカースケール』の大小には、年齢も性別も関係ないということは獅子遠も十分承知していることではあるが、それでもなお、信じがたい数値であった。
「しかも、このように傷つき、意識不明の状態で、です。正常な状態に戻れば、いったいどれほどの力になるのか……」
そこまでを言って、吉多の目がベッドの上の少女に向けられた。傷ついた少女へと向ける眼差しは、先程と同じくその身を案じる、憐れみに満ちた温かいものだった。
…ただ、その目の奥には、もう一つ別の小さな光が揺らめいていた。
かすかな……狂気めいた光が。
誰も、いや彼自身でさえ、今はそれに気づいてはいない。…たった一人を除いて。
「…今まで多くの会士を見てきましたが、これほどのレベルは私の知る限り、例がありません。推測でしかありませんが、あのソニア・エルンステッドと互角か、あるいはそれ以上ではと……」
わずかに熱を帯びた男の声に、しん、と部屋が……吉多の研究室が静まり返る。絶句したままの獅子遠だったが、それはさらに信じがたい「事実」を突きつけられている事に気づき、愕然とした。
「……い、いや、待て。だとすれば…だとしたらだ、それほどの力のこの娘を…いったい誰が倒したというのだ…?」
獅子遠の疑問ももっともだった。5000以上のティンカースケールを持つこの少女を倒したということは、その「誰か」は少なくとも同等か、それ以上の力の持ち主と考えるべきなのだから。
だが、彼の知る限り、それほどの会士の存在など聞いたこともない。吉多が例に上げた『THE・ART』……まさしく存在そのものが芸術作品のようであることから付けられた異名を持つ『ソニア・エルンステッド』ですら、倒されたこの少女にも及ばないかもしれないと目の前の初老の男に告げられたばかりなのだ。ましてやそれ以上の会士など、獅子遠には皆目見当もつかなかった。
「まさか……本部絡みか…」
「…可能性はあります。ですが、仮にこの子を倒したのがソニア以上の本部の隠し玉だとしても、なぜこの子と戦ったのか……」
「…それを知るためにも、彼女は引き続きここで「保護」するのが最善と考えます。同時に、「実験」にも参加してもらいましょう」
「な……!」
「……ほう」
高く澄んだ女性の声に男たちが振り向いたが、反応は各々正反対だった。一人は目をむき、もう一人は意外そうな、しかし冷静な応答だった。
「え、エリナさんっ! あなたは…あなたは何を言っているんです? こんな…こんな年端もいかない女の子に…、いや、この子は大怪我しているんですよっ?! もし万が一のことがあったら……」
穏やかで大人しそうな風貌からは、意外とも思えるほどの激しい怒りを白衣の男が露わにする。しかし、男の言葉をにこやかに受け流し、涼しい顔でエリナが続ける。
「…えぇ。そうです。だから良いのです。もし何かあっても、会士として登録されていないのなら、最初からいなかったも同じこと…。何の問題もありませんでしょう?」
「な……! あ…あなたは……いったい…何を…」
目の前の、若く美しい女性が発している言葉とは、吉多には信じられなかった。まるで悪魔が乗り移ったかのような、非道で残酷な「提案」に男は言葉を失った。こんな時間なのに局長を呼び出したのも、このためだったのかと吉多は合点がいった。だが。
「…わたくしのことを酷い女だと思いますか? ですが…本当は先生もそれを望んでいるんじゃありませんか?」
「な…なにを…ばかな……っ」
「これほどの力を持つ会士を実験に使えれば、あと一歩のところまで来ている先生の…いえ、わたくしたちの研究は必ず完成するでしょう」
「…………っ…!」
聞いてはいけない。耳を貸してはいけない。吉多はこれは悪魔の囁きだと感じた。
しかし同時に、どこかこの囁きに抗いきれない自分がいることを、この提案を否定しきれない自分にこそ、彼は動揺し、恐怖した。
そして…何もかも見透かしたようなこの女性…エリナに、男は密かな恐れを抱いた。
…研究者としての業。悪魔はこの女性ではない。自分の中にある、それこそが…悪魔なのだと……吉多は悟った。
「もし本当に…この娘を倒したのが本部から派遣された未知の会士だとしたら、我々にはもう時間がないということになる」
「きょ……局長……」
うなだれ、顔を伏せていた吉多の肩に、ぽん、と手が置かれた。
「辛いだろうが…私からもお願いする。先生、どうか……決断を」
「…い…いや…しかし…」
もうひと押しか、と獅子遠は思った。エリナの提案には最初こそ驚かされたが、この娘をうまく「利用」できれば、現状を打破し、来るべきその時において、最高の結果をもたらしてくれるだろう。
「…もちろん、並行してこの娘の治療は行うし、危険な実験はさせなくてもいい。だから…やってはくれないか、先生」
「…………」
……永い沈黙が続いた。
「……っ…、……さい……」
「……何かね、先生」
「…局長。局長の望む世界、目指す世界を…もう一度言ってください…」
「…いいとも。私の目指す世界。それは誰もが平等に、誰一人虐げられることのない、苦しみのない完璧な調和の世界だ」
「…………」
「その実現には先生、あなたの力が必要なのだ」
「…解りました。この子で研究を…続けましょう」
永い永い沈黙が研究室を支配したあと、吉多が意を決したように顔を上げた。
思えば最初からこうなる予兆はあったのだ。そしてエリナが言ったように、こうなることを心の奥では望んでいたことも。大げさに驚いて見せ、怒ったのも、悟られまいとしていただけなのだと、彼は己の心を振り返った。
しかし、己の中にある悪魔に負けたのだとは吉多は思わなかった。
何のことはない。最初から自分こそが悪魔だったのだ…と。
「…結構。それではエリナ、まずは万全の体制でこの娘の治療に当たってくれ。意識の回復が最優先だ」
「承知しました。ただ……」
「……ただ?」
「この少女、とか娘では少々やりづらいですわ。とりあえず…マリオン、と呼ぶことにします。よろしいですか?」
「マリオン……? 別に構わんが…、先生はどうかね」
「…可愛らしい…女の子らしい名前ですね。私は…賛成です」
「……ふむ……」
根っからの理系である吉多には通じなかったようだったが、マリオンとはつまり、操り人形の『マリオネット』、ということか、と獅子遠は理解した。
悪趣味なネーミングではあるが、そういう毒のあるこの秘書のことを、獅子遠はなぜか気に入っていた。
「ではこれで私は失礼するよ。報告はこれまで以上に密にな」
「承知しました。明日…もう今日ですわね。またご報告に上がります」
深々とお辞儀をするエリナを振り返りもせず、かつかつと足音を響かせながら、獅子遠は吉多の研究室を後にした。
「…それにしても『ティンカー・ベル』に『ピグマリオン』、か。我ながらお伽噺のオンパレードね…」
獅子遠を見送って部屋に戻ったエリナが、小さくぼそり、と呟いた。
「……? なにか…言いましたか? エリナさん」
「いえ、何も。それより…本格的に治療を行うために、外部刺激で錬装衣を解除します。先生は少し外していただけますか?」
「あ……、こ、これは失礼しました! では私は向こうに行ってますので…」
あわててがちゃりと扉を開け、吉多が逃げるようにして部屋を出たのを見て、エリナはふっと笑った。
世俗に疎く、朴訥な、学問にしか頭にない男のことを嘲笑ったのではない。ただエリナは自嘲しただけだった。
「…さぁ。では始めましょうか…、『ナォ』…」




