10月28日-9
「…ヴィレス…については何となく分かりました。じゃあ次は…」
「なんでもいいわよ~。ばっちこーいよ! おほっほっほっほっ!」
追加のお酒を片手に、かなえさんが上機嫌に笑う。だいぶ出来上がってきてるみたいだけど…大丈夫なのかな、この人……。
「…じゃあ、さっきの男のこと…なんですけど。あいつはいったい…?」
完璧にぬるくなり切ったウーロン茶を一口含んで、すっかりからからになった喉を潤しながら僕は答えた。
ちなみに絵依子はというと、僕たちの会話の内容になんかまるで興味なさそうに、さっきからひたすら黙々とサイコロステーキを頬張っている。
…いい気なもんだよ全く…。
「…そうね、さっきあたしが言ったお絵描き派っていうのは、正式には『新世評議会』、通称『ソキエタス』って言うの。で、あたしもさっきの男も、そこの一員って訳。まぁ、あたしは幽霊部員みたいなもんなんだけどね」
「…それってつまり、あの男とかなえさんは…仲間ってことですか…?」
ゴンッッ…!
少しだけ乱暴な音を立てて、真っ赤なグラスがテーブルに置かれた。
そう大きな音でもなかったけれど、それには何か…恐ろしい色が含まれているように聞こえた。
「は? 仲間? 冗談! あんなのと一緒にしないでくれる? …二度と言ったら…承知しないからね…!」
明らかな怒気をはらんだ口調で、かなえさんが一気にまくしたてた。
…今までの雰囲気とは真逆の……あまりの迫力に、肌が一瞬ぞわりと総毛立つ。
「す…すいません!! で、でも…あの……」
「……あいつの名前は「作 和夫」。あたしたちの間でもちょっとは有名。もちろん悪い意味でよ。キミらが倒してたっていう怪物…ホントは『メディウム』っていうんだけど…ちょっと待って」
とっさに謝ろうとした僕の言葉をさえぎって、かなえさんがテーブルの上の紙ナプキンを一枚広げた。そこにさらさらと、どこからか取り出したペンで何かを描き込んでいる。
少しして、ナプキンに翼を持った不思議な生き物が描き出された。
それをかなえさんが自分の前に広げ、目を閉じて何事かをつぶやいた瞬間…、ナプキンから抜け出るように、ぼんやりとした不思議な物体が空中に現れた。
「……!! こ、これって…」
「そ。これが『メディウム』よ。あたしたち会士が、ヴィレスによって描いたものを『具現化』したものよ」
「でも……これは……」
…かなえさんが作り出した『メディウム』は、確かに気配や雰囲気は今まで遭遇してきた「怪物」にどこか似ている。目の前にいるのに、どこかおぼろげというか、実在感がないというか。
でも同じ『メディウム』といっても、これまで見てきたヤツらとは受ける印象がまるで違う。今までのヤツらからは邪悪というか、禍々しさだけが感じられたのに、目の前にぷかぷか浮かんでいるこれからは、そんなのはまったく感じられない。
「…そうか! 僕たちが倒していた『メディウム』は…、あいつが作り出してたヤツだったのか…」
…メディウムは作る人によって印象がこんなにも変わるのかと驚いたけど、だからこそあの「怪物」たちの「作者」が誰なのか、すぐにピンときた。
「でも…どうしてですか? なんのためにあいつはメディウムを…?」
「…おそらくだけど、メディウムに他人のヴィレスを奪わせて、自分の力にしようとしてたんだと思うわ。さっきは直接だったけど、キミの妹…絵依子ちゃんからも少し盗ってたでしょ?」
…さっきの戦いの光景を思い返すと、確かにあの男は絵依子から「何か」を奪っていたように見えた。あれはつかんだ絵依子の頭から「何か」を……ヴィレスを奪っていたってことか…。
「なるほど…。それで僕たちがあいつのメディウムを倒していたのを知って、邪魔だと考えて殺そうと……」
「そうね、たぶんそんなところだと思うわ。ま、あいつらしいと言えばらしいけど…、ふん」
あの男……「作 和夫」が、会ったこともないはずの僕たちに、どうしてあれほどの憎しみを持っていたのかが、ようやく理解できた。
でも、だからって本当に人を襲うなんて…あの男はやっぱり普通じゃない。ましてやあいつは絵依子を…僕たちを本気で殺そうとしていたのだ。
「作 和夫」の狂気に満ちた哂い声が、まだ耳の奥にかすかに残っている。今さらながらに僕は和夫に対する怒りと……同時にあの時感じた絶望的な恐怖を思い出し、かすかに…身体が震えた。
「シュンヤ! ナんカくライゾ! ゲンキダせ!」
「……!?」
突然かけられた不思議な声に、伏せていた顔を反射的に上げると、僕の目の前には…さっきかなえさんが作り出したメディウムが…いた。
「ファいトだシュンヤ! キアイいレロー!」
おどけた調子でくるくると飛び回る様は、まるで僕を元気付けようとしてくれているようにさえ見える。その姿に、何か僕は暖かいものを…感じた。
同じ『メディウム』でも、これなら『怪物』というより『妖精』に近い気さえする。
…もっとも、妖精なんか見たことないけど。
「……散…!」
「きゅウぅゥ………ぅ……」
と、ふわふわ浮かんでいたかなえさんのメディウムを、いきなり真都が袋に
包まれたままの錫杖でこつんと小突いた。
かすかな光と声を残して、あっという間に妖精さんは…空気に溶けるように消えていってしまった。
「ちょ、ちょっとー! いきなり何するのよ!!」
「そ…そうだよ! あんなにかわいいのに、何も消すことは…」
「…可愛いとかは関係あらへん。存在そのものがウチらにとっては悪や」
僕とかなえさんは声をそろえて抗議したが、真都は悪びれた様子もなく平然としている。
メディウム……真都らの呼び方だと『式紙』…だっけか。それへの容赦のなさは本当に筋金入りだ。
そういう風にお寺で教えられているからなのか、それとも他に何か理由でもあるんだろうか…。
「と、とにかく…絵依子が今まで戦ったり、僕や先生を襲ったのも、全部和夫のメディウムだったんですね? 要するにあいつが諸悪の元凶だったというか…」
真都への疑問はさておき、とりあえず話の流れを戻そうと、僕はかなえさんの話を自分なりにまとめて言葉に出してみた。でもかなえさんは難しい顔をして、首を振った。
「う~~ん……正直なところ、そうとも言い切れないのよね。会士ならメディウムぐらい誰でも扱えるし、残念ながらあいつ以外にもバカな事に手を染めてるヤツも、ウワサじゃ一人や二人じゃないみたいだし」
「そ……そんな…!」
「それにね、キミはメディウムを怪物って呼んでたけど、中には野生化して、文字通りの「怪物」になってしまってるのもいるの。だから悪いけど、これに関してはあたしにも本当の所は判らないわ」
「や、野生化……? 本物の怪物……?!」
「…なんかの拍子に会士との繋がりが絶たれたら、式紙は普通はそのまま消滅しよるけど、人を襲って意力…あっちの言葉やとヴィレスを補給することを覚えたヤツらはそうなるんや。前にウチが教えたったやろ」
ふいに横から口を挟んできた真都の言葉に…僕は記憶をたどる。言われてみれば、そんな風な話をしてくれたような気もする。ただ…。
「…真都の説明はざっくりすぎて、いまいち分かりにくいんだよ」
「あ、アンタなぁ…。まぁエエわ。この際やからウチからちゃんと教えたる!」
…なぜか真都が妙なやる気を見せている。いちおう、かなえさんの方を見ると、右の手のひらをくいっと上げるジェスチャーをした。
つまり…OKということなのかな?
「…おほん、メディウム…式紙や画霊は生き物とちゃうから、ヴィレス、意力さえあればいつまでも存在してられるんや。人を襲う野良の式紙ぐらいは珍しいもんやないんや」
「……じゃあ、和夫のメディウム以外にも、人を襲うようなヤツらがゴロゴロいるってことなのか? あいつらは倒しても倒しても…キリがないってことなのか…?」
「…アホ。何のためにウチらがおると思ってんねん。これでも最近はだいぶ少のぅなったんやで」
「そ…そうなんだ。あんまりピンとこないけど…」
「式紙の中には野生化して、それこそ何百年も生きるのもおってな、妖怪、物の怪、幽霊とか、伝説なんかに出てくる怪物はその類や」
「え…えぇぇ!?」
「中には会士やない普通の人間が生み出したものもおる。人の噂や怪談から自然発生的に生まれたヤツもな」
「じゃ、じゃあ…カッパとか……雪女とかも…メディウムなのか!?」
「……さすがにウチも雪女と会ぅた事はあらへんけど、カマイタチと口裂け女は前に退治したったで?」
ちょっと自慢げに真都が胸をはり、ふふんと鼻を鳴らした。というか…カマイタチはともかく、口裂け女は妖怪なんだろうか。
「く…口裂け女って都市伝説じゃなかったんだ…」
「うん。元々がどうやったんかは知らんけど、見た感じはそうやったな」
「というと…やっぱりコート着てマスクしてて…とか?」
「そうそう! かなり意力を貯め込んどったみたいで、なかなか手強かったわ」
「へぇ……、あれを倒せるなんて…若いのに結構やるじゃない。ふ~ん……なるほど…」
かなえさんが目を丸くして、感心したようにぼそりとつぶやいた。とりあえず僕に理解できたのは、口裂け女は実在していて、結構強いらしい。以上。
この分だと、もしかしたらターボばあさんとかトイレの花子さんも実在してるのかもしれない。
明日学校で福沢くんたちに教えてあげても…たぶん信じてくれないだろうな…。
「…ああいう連中は人々の記憶や意識に刷り込まれる事で、人から意力を吸収して、存在を強化されて力を得とるんやけど、そういぅんも昔っからウチら朧露が潰してきたんよ」
…そういえば聞いたことがある。信仰されなくなったり、忘れられてしまった神様は力を失ってしまう、と。
妖怪やお化けが時々人前に出てくるのも、忘れられないようにするためということか。
「まぁそういう訳や。心配せんでもここいらのバケモンどもは、じきにウチがまとめてぜーんぶキレイに掃除したるから安心しぃ。くっくっくっ!!」
得意げに言い放ち、ちらり、とかなえさんの方を見た真都が…にやりと笑った。その視線を真正面から受け止めたまま、かなえさんも薄く笑う。
「ふ~~ん。またずいぶんと大きく出たじゃない。『マグヌム』程度にあんまり天狗になってると、そのうちに…痛い目見るハメになるわよぉ……?」
「くくくっ!! ウチが天狗やったら、お宅は何やろ? 砂掛け婆ぁとかその辺ですかねぇ? おぉ怖ぁ!」
ま、また真都とかなえさんの間の空気が不穏に張り詰め……ぐにゃぐにゃと歪んでいく…!!
こ…これはまずい! ヤバい…!!