10月28日-8
「え…? こ、このス、スプーンをですか?」
「そ。制限時間は1分ね。よーいどん!」
無理やりスプーンを僕に押しつけると、かなえさんは壁の時計で時間を計り始めた。
よ…よく分からないけど…やるしかないのか…!
仕方なく僕は指を柄の部分に当て、目を閉じてスプーンに念を送り始めた。
曲がれ…! 曲がれ…! 曲がれ……!
「ん……んん…んっっ…!」
「後10秒。9…8…7………2…1、はい終了~!」
…かなえさんの終了の声が無情に響いた。
スプーンは…当然1ミリも曲がりはしていなかった。
「なーに? 全然曲がってないじゃない」
「あ…当たり前じゃないですか。だから僕には絵依子やかなえさんみたいな不思議な力なんてないんですよ。さっきもそう言ったじゃないですか…」
ついぼやいてしまうと、呆れたような表情を浮かべたかなえさんが、僕からひょいっとスプーンを取り上げた。
「ふぅ…、ホントにキミって初心者以下ね。いい? 見てなさい」
「行っくわよ~…ふんっ!」
急に真剣な表情に戻ったかなえさんが、僕から取り上げたスプーンを握り締めた。そしておもむろに…
……握り締めたスプーンをテーブルの角に当て、そのまま一気に、力任せにぐいっと押し曲げた…。
「………ぇ…?」
「どう? バッチリ曲がったでしょ!」
「おおお! すごいです、かなえセンセ!!」
「でしょでしょ? ふっふ~ん」
確かに見事に曲がったスプーンを、かなえさんが得意げにひらひらと僕の前に見せびらかすと、絵依子が感嘆の声を上げた。っていうかそれは…
「そ…そんなやり方だったら誰だってできるじゃないですか! それじゃインチキじゃないですか!」
思わず僕はかなえさんに食って掛かってしまった。でもそれをかなえさんは涼しい顔で受け流す。
「んん? だったらどうしてキミはそうしなかったの? あたしは念力で曲げろ、なんて言わなかったけど?」
「……!! そ…それは……」
かなえさんが、ことん、とテーブルに曲がったままのスプーンを置いた。
「キミは…うぅん、たいていの人は何かをする時、思い込みや常識で判断して、それをしようとする。そして出来なかった時、自分の力が足りなかったとしか思わない。思い込みや常識の方を疑ったり、間違ってると思わずにね」
「え……あ、い、いや……、それは……」
「……あたしがこれを曲げろと言って渡した時、キミはとっさに、いわゆる『スプーン曲げ』を連想して、それをした。違う?」
「……っ……!」
……言われてみれば確かにそれはそうかもしれない。でもさっきの状況なら、誰だって普通はそう考えるはずだ。
まさか僕をからかって遊んでるのか……? この人は…。
「さっきキミは言ってたよね? 自分には不思議な力なんか無いって」
「…はい。そうですけど」
「だったらどうして、キミはその不思議な力でスプーンを曲げようなんて思ったの? 自分にそんな力なんて無いって知ってて、そんな曲げ方なんて出来ないって、誰よりもキミ自身が思ってたら曲がる訳ないのは当然じゃない」
……言っている意味はさっぱり分からないが、かなえさんの表情は…真剣そのものだった。
その目が静かに僕を見据えながら、さらに不思議な言葉が紡がれていく。
「…あたしがテーブルを使って曲げたのを見て、キミはインチキだと言ったよね? でも違うの。それはそのやり方なら、自分でも誰でも出来ると思ってるからよ。うぅん、そのやり方なら、キミは出来ると自分を信じられる。だから出来るの。判る?」
「…よく…分かりません…。それだとまるで…信じれば何でも出来る、って言ってるみたいじゃないですか…」
「その通りよ? なんだ、判ってるじゃない♪」
「は…あぁっ……!?」
余りに常識はずれなセリフに、思わず立ち上がった僕の口から素っ頓狂な声が出た。そして今度は僕が椅子を床に転がしてしまった。
「…アンタも落ち着き。まだ話は終わってへん」
つぶやくように小さく口を開いた真都が、僕が床に転がした椅子を戻してくれた。
真都の表情も……真剣だった。さっきまであれほどいがみ合っていたはずのかなえさんの言葉を否定しようとする様子は…微塵も感じられない。
「…ねぇ、キミも絵は描くんでしょ? でも絵って……何だと思う?」
改めて椅子に腰を下ろした僕に、突然かなえさんがまた謎掛けのような言葉を投げかけてきた。
「え? そ…それは…絵は絵じゃ…ないですか…」
まるっきり答えになんかなっていないのは自分でも分かっている。
…でも、他にどう言えと?
「単にリアルであれば良し、と言うなら、今なら写真もCGだってあるわ。でも絵の本質はそこには無いの」
「……?」
「『絵』っていうのは、描き手の主観や意思が込められて初めて成立するのよ。描き手の描く「世界」とは、その人の中で形作られた、もうひとつの世界。絵を描くというのは、つまりは『世界の再構築』なのよ」
ひょい、とかなえさんが曲がったままのスプーンを取り上げる。
「世界もこのスプーンと同じ。キミはこれが金属で出来てて固いってイメージがあるから、普通にやったんじゃ曲がらないと思い込んでる。じゃあここで復習。金属はどうして固いと思う?」
「そ……それは…、固いから固いんじゃない。僕が固いと信じてるから固い、ですか…?」
「そ、ほぼ正解。でもね…」
にっこり笑って、一旦かなえさんが言葉を区切った。
…ここまでの話だって充分に突拍子もない。
続く言葉がいったいどんなものなのか、僕には想像する事すらできなかった。
「でもそれは…キミだけが信じてるからじゃない。今、この世界にいるほとんどの人たちがそう信じてるから、「世界」はこのスプーンと同じに、今のこの形を保っていられるの」
「…………」
「あたしたちの住むこの世界は、人の意思で作られてるの。物質も科学も法則も。すべてが人の意思でね」
「………!? そ…そんな……ムチャクチャな……! 何もかも全部が人の意思…心が作り出してるんなら、実在するものなんか無いって事じゃないですか!! だったら……だったらこの世界は…全部幻だって言うんですか…!?」
「まぁ、そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるわね。でも、キミにはこれが幻に見える?」
かなえさんがまたスプーンを取り上げ、皿で一杯になった目の前のテーブルをコンコンと叩く。
「い…いや、それは……」
「…人の意思が世界を支え、そして支えられた世界の在り様を見て、人の意思はますます強固なものになる。そんな共依存の関係にあるのね。ただの幻なんかじゃないわよ。ね?」
「…なんでそこでウチに振るんですか」
確かに意味が判らず、思わずぽかんとしながら、僕は二人の表情を交互に見比べた。
少しムッとした顔の真都をニヤニヤ笑いながら見るかなえさんは、ちょっと意地悪く…見えた。
「この辺の認識は、あたしたちお絵描き派と漢字派…あ、お寺の人らの事ね。実はそんなに違わないのよね~?」
「…お、お絵描き派…? 漢字派…?」
「そ。言いやすいからあたしはそう呼んでるんだけど」
「…言いたい事は判らんではないですが、その理解は極めて薄っぺらですな。唯識…いや、そもそも御仏の教えと言うんは、そうしたものの執着からの解放、解脱を……」
「はいはい、講釈はまた今度! つまり『ヴィレス』っていうのは、もう判ったと思うけど「意思」の力の事。あたしたち会士の『錬装』や、いろんな力の源なの。ものすごく簡単に言っちゃうと、これが強ければ強いほど、イメージしたことが出来ちゃうワケ」
「・・・・・・・・・・・・・・・はぁ・・・」
……いくらなんでも滅茶苦茶すぎる。
マンガやアニメだって、普通はもっとひねった設定があるっていうのに「信じたら出来る」だなんて、人をバカにするにも程がある…と言いたいところだけど、これまでもさんざん見てきたあり得ない諸々を思うと、この人たちの「力」は確かにあるのだと言わざるを得ない。
正直いって、とうてい納得は出来ない。だけど、そういうものと受け入れるしかないらしい…。
「でもね、この力は誰にだってあるものなのよ? キミにだってあるし、そこの頭の薄いおっちゃんだって持ってる。ホントは特殊でも何でもない力なの。人の意思は…心は力よ。言い古された格言や、ただの精神論なんかじゃないのよ」
「……はぁ…」
…僕の喉から、またため息ともつかない音が漏れた。
「あ、もちろん、だからって何でもかんでも思い通りに出来る訳じゃないわよ? どれだけ強いヴィレスを持って想い描いたとしても、持ってるイメージがあやふやな物なら、この世界中の何億、何十億という人の意思が支える「世界」に干渉なんか出来っこない。あたし達は別に神様って訳じゃないんだからね」
「…! あ…そうか…。『オービス』のカードには、そういう理由があったのか…!」
かなえさんの説明に、頭の中のパズルのピースが、いきなりカチリと音を立ててはまったような気がした。
「…つまり、自分が心の中に作り出したイメージが再構成された「世界」で、それを『信じる』事で服の形が変わったり…「世界」を変えちゃったりできる…という事……ですか? カードに描かれた絵を「見る」のは、ゼロからイメージするよりも手っ取り早くて確実だから…?」
「ほぼご名答! なかなか飲み込みいいわよ?」
「…あ、どうも……」
「ただ、逆も然りよ。イメージする力が確固たるもので、ヴィレスが弱いとやっぱり世界に干渉はできないの。要するに、信じる事がジャスティス! 真実の王者!って事なのよね♪」
にっこり笑いながら、かなえさんがスプーンをまた手に取り、ひらひらとさせた。瞬間、ぐにゃりと曲がったままだったスプーンが…今度は触れてもいない部分から、ぐるぐると捩じれ始めた。
「…………っっ……っ!」
この人たちの超常的な力はこれまで何度となく見てきたし、頭では理解…承知しているつもりではあったものの、改めて目の当たりにすると……やっぱり頭がおかしくなりそうになる…。
「…ウーロン茶おかわりや」
「わたしもサイコロステーキと串カツとバナナプロテインジュース追加! 大盛りで!」
「はいよーーーー! 喜んでっ!!!」
……店長が本気で喜んでるように見えるのは僕の気のせいだろうか。
タダ働きが3日で済めばいいんだけど…。
「んん? なに辛気臭い顔してるの? すいませ~ん! あたしもレッドアイ一追加ねー!」
少しして、ことん、と再びテーブルに置かれたスプーンは……いつの間にか元のきれいな、一片のゆがみもない形に戻っていた。




