10月28日-5
しぶきを撒きながら迫った白蛇を、絵依子はとっさに横に飛んで何とかかわした。でも、外れた白蛇がくるりと反転し、今度は後ろから迫る!
「くっ……!」
それも何とか絵依子は避け切った。しかも、いつの間にか錬装していた背中の羽で、蛇の頭に当たる部分を見事に切り飛ばした!
「ハハッハァ!! 少しは判ってきたじゃねぇか!! だがな……ッ!!」
切り落とされた部分がべちゃりと落ち、元のただの水に戻って地面にシミを作った。
が、切り落とされた部分が…瞬時に再生した!
水は消火栓から後から後からいくらでも湧いてくる。それのせいか…!
「くそっ! つ、強すぎる……! やっぱりこのままじゃ……!」
男が「最大最強」と言っていた技に、絵依子は思いのほか善戦…というか食い下がっていた。だけど、このままでは結局、絵依子がやられてしまうのは時間の問題だろう…。
「…安心し。あの子がやられたら、ウチがきっちりあいつをカタぁハメたるさかい。仇は…ウチが取ったる」
さっきから一言も発しないまま、戦いをただ静かに見つめていただけの真都がようやく口を開いた。でも、聞こえてきた言葉に僕は耳を疑ってしまった。
「か…仇だなんて…バカなこと言うなっ!! だったら今すぐあいつをやっつけてくれよ! 妹を…絵依子を助けてくれよっ!!」
「…そ…それは……」
思わず食って掛かってしまった僕の言葉に、真都がまた言い淀み、口を閉ざす。
こいつら…こいつらっ……!!
「クククッ!! 『ハイドラ・グレガーレ・バイツ』!!」
次から次へと襲い掛かる白蛇から、絵依子がとっさに翼を羽ばたかせ、空中へと避難した。
だが、男がまた何かを叫び、それを受けて腕から伸びる蛇がぶるっと身を振るわせたと思った次の瞬間、水柱が……数え切れないほどに分裂した!
一匹だけだった白蛇がたちまち10匹、いや、それ以上に増え、まるで牙をむいた蛇の群れと化した水柱が…我先にと絵依子に襲い掛かった…!
柱を利用して逃れようと、右へ左へ絵依子が空中を駆け回るものの、そんな障害物などまったくお構いなしに、削り打ち砕きながら、四方八方から男の放った水蛇が迫る。これでは…天井や柱に動きを制限させられる絵依子の方が逆に不利だ。
「し…まった……!」
絵依子の口から、恐怖とも困惑ともつかない色の声が漏れた。その足に…一匹の蛇が絡みついている!
「クキキッ…! つ・か・ま・え・たーーーーッッ!!」
動きを止められた絵依子に一斉に無数の蛇たちが襲い掛かり、身体に巻きついていく。そしてそのまま…絵依子が地面に引きずり下ろされた!
ズシャアァッッ!!
「ぐっ…あああっ……!!」
叩きつけられた絵依子の声が……悲鳴が僕を突き刺す…!
「…もういいッッ! あんたたちになんか…頼まないッ! 僕が助けるッ!」
………もう、いや…とっくに限界だった。
吐き捨てるように言い放ってから、僕は真都の手にしている棒…錫杖を引ったくった。
「え!? あ! なっ…!!」
真都の驚いたような声が聞こえたような気がした。
「ま、待たんかい! アンタが行ってもどうにもならへん! アホ! 止めるんや!!!」
そして僕を制止しようとする真都の声が聞こえた気がした。そんなことは言われなくたって分かってる!
でもだからって…このまま絵依子を見殺しになんか……出来るか!
「くそ…しゃあない……っ! って、あ、アンタら! は、離さんかい!!」
「い、いけません! ヤツらの同士討ちは我々としても望むところ! お忘れですか!!」
「せ…せやかて…、離せ! 離さんかい!! 瞬ヤンはソキエタスやない! 関係ないんや!!」
「クククッ…手こずらせてくれやがって…。だ~が…これで終りだ…!」
ぐりっ、と男が、地面に横たわったまま、身動き一つできなくなった絵依子の身体を踏みつけた。
「……ッッ!!!!」
思わず口から絶叫がもれそうになったのを、僕はすんでのところで歯を食いしばり、押さえつけた。ここで叫んでしまったら全てが水の泡になってしまう。今…ヤツに気づかれる訳には…いかない!
「…おぅ、そうだ。ついでにお前からも頂いちまおう。今まで邪魔してくれた分を…利息付きでな!!」
ぶつぶつと何事かをつぶやきながら、男が倒れたままの絵依子の頭に手をかけた。
ぼう、とその手が淡く光を放ち、何かが男に流れ込んでいくのが見える。
いや、正確に言えば見えた訳じゃない。でも、そうだと「判った」。
「…っ! こ…こりゃすげぇ! とんだ拾い物だぜ! こ…この力は……!!」
……絵依子から奪っているらしい「何か」に男は夢中のようだ。
チャンスは今しかない! やれる…やれるはずだ!
あの怪物に…ナイフを突き立てた時と同じに!
全速力で男の背後に迫りながら、僕は真都の錫杖を確認するように強く強く握り直した。金属バット以上にずっしりとした鉄の塊そのものの冷ややかな感触は、心強さと同時にかすかな恐れをも僕にもたらせる。
こんな物騒な物で殴りつければ、普通の人間なら間違いなく即死だ。
でもあいつは……普通じゃあない。それに万が一死んだって…構いはしない!
……この手で絵依子を守れるのなら!!
「うりゃああああああ!!!!」
「っ……!!??」
男のすぐ真後ろにまでたどり着いた僕は、大きく振りかざした錫杖を、渾身の力で男の後頭部に振り下ろした!
…一瞬、真っ赤に砕けたザクロが頭に浮かんだ。
だから思わずその瞬間…僕はヤツから目をそらしてしまった。
ガギャアァアアアッッ!!!
凄まじい衝撃と音に、振り下ろした錫杖が間違いなく男を捉えたことを僕は確信した。手応えは充分だ。まるで巨大な岩を殴りつけたような、痛みと痺れが腕に走る。
…でも、恐る恐る向けた僕の目に飛び込んできたのは……右腕で錫杖を受け止めたまま、ビクともしていない男の姿だった。
「あ…あぁ……?!」
「…ガキが…。そういやお前もコイツといっしょに邪魔してくれてたんだっけな。いいぜ…、仲良くあの世に送ってやる…!」
ドガッ!!!
…男の手に錫杖を掴まれた瞬間、僕は……たぶん吹っ飛ばされた。何メートルもあった距離をワープでもしたように、一瞬で僕は後ろの壁に叩きつけられた!
「っが…!! げ…げほっ! ぐ…あ…ぁあ…っ!」
衝撃で息が止まり、呼吸そのものが「壊された」。吐くことも……吸うことも出来ない…!
「さぁて…てめぇをブッ殺したら、次はあのメスガキを干からびるまで吸い尽くしてやる。その後はいよいよそこのクソ坊主どもを血祭りだ…! ククク…キキキキキキキキッッ!!!」
狂人のような声を上げながら近づいてきた男が、今や役立たずとなった僕の喉をねじり上げる。
「………っっ……ぅ…ぇ……っ!」
男の手はぞっとするほど冷たく、まるでそこから凍っていくかのような錯覚さえ覚えるのに、ミシミシと嫌な音を立てて締め上げられ、狭まっていく喉の奥からは、熱く生臭い、鉄の味に似た匂いが込み上がってくる。
朦朧となりかけた僕の脳裏に…さっきの男の言葉が繰り返される。僕を殺す、と言った男の言葉が。
……どうして?
…何で僕が殺されなきゃいけないんだ!
「ひゅ…ぅ…あ…ぁ…ぐ……っぉっ…!」
僕は必死に怒りと抗議の言葉を男に叩きつけた。でも、男の手によって潰されかかっている僕の喉は、何一つ意思を外に伝えることなど出来ないまま、ただおかしな音をたてるだけだった。
…あまりに絶望的な力の違い。今さらながらにそれを思い知らされた僕は、自分でも驚くほど…あっさりと抵抗する気力すら…失った。
男の氷のような手は、異様な現実感を伴いながら僕の首に絡みついていた。すぐそこにある、ぽっかりと口を開けた「死」という現実に。
このままこいつが力を込めれば、ただの人間である僕の首なんか、きっと割り箸を折るよりも簡単にへし折れるだろう。そう…僕は確信した。
「キキキっキッキッ…! じゃあな、ガキ! すーーぐお友達も大勢いっしょに送ってやるから安心して死にな! キヒャヒャヒャヒャ!!!」
…すぐ目の前にいるはずの男の声が…どこか遠くからのようにおぼろげに聞こえた。その時、ふいに僕の頭に、僕自身の絶望とは違う、黒い闇のような色が浮かんできた。
幻覚…? いや、僕の喉を締め上げている男の手から…伝わってきてる…!?
ドス黒く広がる…得体の知れないイメージが僕の中に入り込んでくる。黒く濁った闇…、そう表現するしかないものが、僕の心をずぶずぶと塗り潰していく。
怒り、憎しみ、そして……これは絶望の…色?
誰の……?
この男の……?
……もはや誰のものかも分からない絶望が、僕の心をいっぱいに染め上げていく。でも、もうそんなことはどうでもよかった。
少しづつ……意識が薄れていくのをかろうじて自覚したまま…僕は「終わり」がもうすぐそこなのだと理解した。
…ここまで…か…。
全身の感覚がほとんど麻痺し、歪んだ僕の視界に、地面に横たわった絵依子の姿がおぼろげに映った。
頼りない兄貴でごめんな…。絵依子…。
でも、僕が死ねば…もしかしたら今度こそ真都たちが何とかしてくれるかもしれない…。
真都…絵依子のこと…頼む……。
・・・ズビュゥッッ!!