10月28日-4
「………ふぅ…」
地面に手をついて動かなくなった男の姿を見て、僕はこの訳の分からない戦いが終わったことに安堵した。
でも、さっきは思わず歓声を上げてしまったものの、よくよく考えてみれば、「人間」を絵依子が傷つけたという事実は、とても喜べるものじゃない。
怪物ではなく……僕たちと同じ人間を絵依子が傷つけるなんて……!
…だけどあの男は僕たち、いや、絵依子をかなり憎んでいるように見えた。理由は分からないけれど本気で絵依子を殺そうとしていたように思う。
だから……ああしなければきっと……絵依子がやられていた…。
「ーだからこれは正当防衛だー」。
そう思うしか…無い…。僕は自分にそう言い聞かせるしか…なかった。
視線を戻すと勢いあまって空中に飛び上がっていた絵依子が、ふわりと地面に降り立った。すると何を思ったのか…今度は少し後ろへジャンプした。
「…? 絵依子…何する気だ……?」
男は下を向き、もう戦う意思も力もないように、ぐったりと座り込んでいる。
だけど距離をとった絵依子は剣を構え直し、ヤツを真っ直ぐに見据え…地面を大きく蹴っ飛ばした…!
「!! ま、待て、絵依子っ! それ以上はっ…!」
あいつはもう戦意を失ってる! そんな相手に……人間相手にとどめを刺すつもりだっていうのか!?
いくらなんでも…やり過ぎだ!!!
「やめろっっ!! 止まれっっっ!! 絵依子ーーーッッ!!」
「っ……!!」
……ギャリリリィィッッ!!
僕の言葉が届いたのか、絵依子の足が床を削り、つんのめりながら急ブレーキをかけた。あわてたようにこっちに向き直り、何か言いたそうな表情を浮かべたものの、僕は力いっぱいに首を振る。
その時…、かちゃり、と小さな音が聞こえた。
カッ……ズゴァアアアッッ!!!
一瞬、何かが光ったと思った次の瞬間、絵依子の後ろの壁が…まるで爆弾が炸裂したように、粉々に…吹き飛んだ……!!
「な……何……?」
あわてて振り向き、吹き飛んだ壁の向かい側……ちょうど男が座り込んでいた場所を僕は見た。
そこには…。
「クックックッ……外したか……。あのまま突っ込んできてくれてりゃ、確実にブチ当てれたのによォ…」
…ぶつぶつと何事かをつぶやきながら、力尽きたはずの男が…ゆらりと立ち上がってきた……。
見れば男の右腕から、あの細い剣が消えている。ということは……、まさかさっきのあれは…あの「剣」を……撃ち出したのか!?
こいつはそんな…そんなことまで出来るのか…?!
…立ち上がった男は、まったくダメージなどないように見えた。着ているコートが変化した錬装衣に、わずかに亀裂が走っている程度だ。
「…あいつ…さっきのを狙って、やられたフリをしてたのか…!」
完璧に直撃したように見えたのに、あの程度の傷しかつけられないなんて、やっぱりこいつは強い。でも強さ以上に、この男のやり口に僕はゾッとした。
普通に戦ってもこいつはおそらく絵依子よりも強い。なのにこんなだまし討ちみたいな手まで使う男の戦い方に、嫌悪感と……恐怖を僕は覚えた。
「…………っ……」
絵依子も僕と同じように感じているんだろう。ちらりと後ろの惨状を見たとたん、絶句して青ざめている。
…僕の言葉で絵依子を留まらせられたのは、結果としては良かった。急停止したことで体制が崩れ、そのおかげで男の狙いから外れたんだろう。
でも鉄筋コンクリートの壁を粉々に砕くあの威力…。
まともに食らったら、いくら錬装しているとはいえ、下手をしたら……いや、普通に…
「………死…」
…絶望的な言葉が喉から漏れそうになった瞬間、僕は必死にそれを飲み込んだ。冗談じゃ…ない!!
そんな…そんなことは…! 絶対に…させるわけにはいかない!
でも…だったらどうすればいい…?
力も経験も、これまでの戦いを見る限り、おそらくは本物の会士であるあいつの方が圧倒的に上だ。どう考えたって、まともに戦って勝てる相手じゃない。
…なら……逃げるか…?
いや、あの男が絵依子を、僕たちをそう簡単に逃がしてくれるとはとうてい思えない。スピードだってあの男のほうがたぶん上なのだ。
だったら…あいつのスキを突く…?
でもどうやって…?
あいつのスキを突いたり、気を引くものなんか…ここには何もない!
「くそ…くそ…くそっ!!! どうしたらいいんだ! 何かないのか…!!」
…考えても考えても、ろくなアイディアが思いつかない。
…あるいはここに誰かが現れれば、あの男も戦いを続ける訳にはいかなくなるかもしれない。もはやそんな他力本願なものしか僕は思い浮かばなかった。
でも…今はもうそれにすがるしか…ない…!
「誰か……誰か来てくれ……っ! 頼むっ……!」
両手を合わせ、そんな虫のいい願望を口にした瞬間、唐突に…僕はあることに気がついた。
…思い返してみれば、今までの怪物との戦いでだって、他人が通りがかったりしたことなど、一度もなかったように思う。
確かになるべく人気のないところで戦うようにはしてたけれど、戦いの場にこれまで人の気配どころか車が通りがかったことすらない。
だいたい、いくら深夜といってもここは駐車場だ。なのにまるっきり誰も様子を見に来ないどころか、一人も車を取りに来る人が現れないなんて…明らかに変だ。さっきからあれだけ派手にドンパチしているにもかかわらず、だ。
今の轟音だって、外に聞こえていないはずがないのに。
これは…いったい……?
じゃりっ…。
「……!!」
ふいに浮かび上がってきた「謎」に思考を囚われかけた時、急に背後に誰かの気配を感じた。ついに…ついに来たか?!
「……ふん。さすがに今日は苦戦しとるみたいやな、絵依子ちゃん…」
「………!?」
聞こえてきた声にとっさに振り向いた僕の後ろにいたのは、車の持ち主でも駐車場の管理人でもなく、いつものようにお坊さんを引き連れた真都だった…。
「ま……真都…?」
「…誰か来て戦いがウヤムヤになる…いうんを期待しとるんやったらムダや。誰も来ぇへんで」
「ど……どういうことだよ……。そ、そんなことより…っ!」
「アンタ、今までおかしいと思ったこと無いんか? 今までいっぺんでも、普通の人間を見たことあるんか? あの子が戦っとる時に」
「え………」
「錬装した会士は「位相」がズレるんや。早い話が、今ここで起きとる事は普通の人間には見えへんのや」
「な……、い、いやっ! 今はそんな話はどうでもいいっ! だったら……真都っ! 絵依子をっ! 絵依子を助けてくれっ! 頼むっ!!」
真都の言っていることはよく理解できなかったけれど、逆にこれは幸運かもしれない。絵依子が苦戦した怪物を、いとも簡単に倒してのけた真都なら、あの男にだって勝てるかもしれない……!
とっさにそう思った僕はあわてて真都に駆け寄り、たぶん今のこのピンチをしのげる唯一の可能性を持った女の子に、必死に頭を下げて頼み込んだ。
ちらりと一瞬だけ僕を見た後、真都の視線が男と絵依子の二人に戻った。僕も追いかけるようにして「戦場」へと視線を移す。
戦いは相変わらず男のペースで、絵依子は何とか倒されずに逃げ惑うのがやっとという有様だった。
「ま…まずい…! 早く…早くなんとかしないと…!」
「………」
でも、真都の口からはいつまで経っても僕の望む言葉が発せられることはなく、固く一直線に閉ざされたままだった。
「…!? 真都…どうしてだよっ! 前は助けてくれたじゃないかっ! このままじゃ絵依子が……!! 真都ぉっ!!」
…僕の必死の懇願を無視するように、とうとう真都がぷいと僕から顔をそむけた。
…何も、何も言わずに。
「ま……、まこ…」
「いい加減にしろ、坊主。我々はこの戦いに関与は出来んのだ。評議会…ソキエタスの会士同士の戦いにはな」
真都の後ろにいたお坊さんが、突然僕たちの間に割って入るように口を挟んできた。
その偉そうな態度と口調に、カッと頭が沸騰しかけてしまう。
「ぼ…坊主はそっちだろ! 人がっ! 僕の妹が…殺されかけてるんだぞッ! それを坊さんが見過ごすのかよっっ!!」
「悪いが我々は彼奴らを、会士を人間とは見なしていない。よって助ける道理は無い」
「な…! ふ、ふざけるなっ!! 絵依子が…絵依子が人間じゃないだとっ!!」
「…そうだ。この世の理を自在に捻じ曲げ、意のままに世界を描き換えるあの者たちを見て、それでもまだお主は彼奴等を人間と思えるというのか?」
「…! そ…それ…は………」
坊さんの問いかけに、僕は言葉に詰まってしまった。でも、それとこれとは話が違う。
たとえ何であろうとも、絵依子は僕の大事な存在、かけがえのない家族だ。そのことに…変わりなどあるはずがない。
…人間じゃないぐらい何だ。
僕にとってそんなことは…たいした問題じゃない!
「ククク…! いーい感じにギャラリーが増えてきたじゃねぇか! ノッてきたぜェェェ!!」
一際高く吼えたヤツがまた新しいカードを引き、すぐさま少し離れた場所にジャンプした…と思った瞬間、着地と同時に何かをいきなり蹴り壊した!
たちまちそこから大量の水が溢れ出した。どばどばととてつもない勢いで噴出する水が辺り一面をあっという間に水浸しにしていき、見る見るうちに地面に大きな水たまりを作っていく。
…あれは…火事の時、放水に使う消火栓か!?
やがて薄く笑いながら、まき散らされる水に男の手がゆっくりと触れた。
「見せてやるぜ…俺様の! 最大最強の技を! 『ハイドラ・バイツ』!!」
「………!!??」
何事かを叫んだのが聞こえたと同時に、あふれる水が男の右腕にまるで絡みつくように覆っていく。
次の瞬間、辺りにまき散らされるだけだった水が、突然時間が止まったように、かちんと動きが止まった。
「な………っ」
「シャァアアアアッッ! 食らいなッッ!!」
石造りのように固まっていた水が、男の声に急に命を吹き込まれたように、今度はしぶきを上げて激しくのたうち始めた。
男が大きく腕を振ると、それに従って水柱が生き物のように自在に空中を駆け巡る。その姿は…まるで蛇だ。
水で形作られた……巨大な…白い蛇……!!




