10月28日-2
「…それじゃ行ってくるわね。火の元と今晩と明日の朝の戸締り、きちんとお願いよ?」
「うん、分かってるって。行ってらっしゃい」
「いってらっしゃーい! 気をつけてね!」
深夜12時を過ぎたころに、いつものように母さんは夜勤へと向かっていった。毎度のことながら病院の仕事…、看護師というのは本当に大変でりっぱな仕事だと思う。
お医者さんの手伝いやサポートをして、病気やケガに苦しむ人に寄り添い、助けているという母さんが、僕にはちょっぴり誇らしくさえある。
「さーてと。ちょっと遅いけど、そろそろ僕たちも出かけるか!」
「…あれれ、珍しくやる気じゃん。どーしちゃったの?」
さも意外そうな絵依子の言葉と表情に、僕は少しだけ苦笑いしながら立ち上がった。
「……前川先生も退院が決まったし、さっきもいったけど綾ももうすぐ復帰できるみたいだし、けっこう最近はいいことが多いだろ? ついでに僕のバイトも決まったしさ」
「……? どーいうこと?」
意がつかめない、という風に、絵依子が小首をかしげる。
「だからさ、これももしかしたら、僕らが…いや、絵依子が頑張ってる成果かも知れないって思わないか?」
「…………??」
「…僕らが頑張れば頑張るほど、誰かのためになってるんじゃないかって思わないか? そう思うとさ、もっとがんばろうって気になるんだ」
「…あ、そっか…そうだよね! うん。わたしもすごいけど、お兄ちゃんもすごいもん。ね、渡城コーチ!」
絵依子の頭をなでてやりながら、僕は静かに自分の思いを明かした。
…前川先生が復活したということは、もしかしたら怪物を倒せば、襲われた人は元に戻るのかもしれない。だとしたら、僕たちがヤツらを倒せば倒すほど、たくさんの人の笑顔を取り戻せることになるんじゃないのか。
…そう、襲われた人、そしてその人の周りの、家族や友人の笑顔と幸せを。
そう思うと、何だか居ても立ってもいられないような、そんな気持ちが…心の奥からわき起こるのだ。
「そっか…そうだね。パパもそんな風に思って戦ってたのかも知れないね…」
「きっとそうだよ。だから大変だろうけど、僕たち二人も力を合わせて、もっとがんばろう!」
「…うん! じゃあちょっと待ってて。そっこー着替えてくる!」
…ぱたぱたと寝室に駆けていく絵依子の背中は、小さいながらも…とても頼もしく見えた。
でも、そんな頼もしい後ろ姿を見送りながら、同時に僕は複雑な思いにも囚われていた。
いくら僕が頑張ろうと思ったところで、結局…怪物を倒せるのは絵依子の力だけなのだ。それはつまり、絵依子の身を危険に晒し続けることに他ならない。
御八…いや、真都に話した時は見栄をはって、奴らの一匹を倒したなんて言ったけれど、あんなのは確かにたまたまでマグレだ。はっきり言って僕などは戦力外もいいとこだ。
あの日、僕の心に生まれた思い…そしてまた心にくすぶりかけた無力感を、僕は必死に意識の奥底に沈み込ませた。
「でも…僕は僕のできることをやるしかない…」
あの日、僕は自分自身に……そう誓ったのだから。
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虫たちの鳴き声を聞きながら、僕たちはまた、いつものように夜道を当てもなくさ迷っていた。
怪物を見つけるには絵依子の感覚だけが頼りだ。そのルートは毎回毎回、気分やフィーリングによって決まるらしい。
そして今日のこいつの気分はと言うと…。
「~~~♪ ~~~♪」
「…またずいぶん機嫌良さそうだな。何か良いことでもあったか?」
「もっちろん! だってお兄ちゃんはやる気になってるし、あーやも元気になったんだもん。嬉しくない訳ナイじゃん。あははっ!」
「…だよな。ほんとに綾が良くなったのは何よりだよ」
綾が学校を休んだ日に見舞いに行った時のことをぼんやりと思い返す。普通では考えられないような衰弱の仕方をしていた綾の姿に、僕は少し…いや、かなり動揺して、絵依子にもひどいことをしてしまった。
結局…綾の衰弱の原因は分からずじまいだ。怪物に襲われたのであれば、やっぱりどこかおかしい気もする。
「ところで絵依子。あの怪物って絵を描く人間や、強い意志を持ってる人を襲うんだったよな?」
「うん。パパの手紙にはそう書いてあったよ。でも今さら何で?」
僕らは10年以上の付き合いな訳で、綾の性格は十二分に知っているつもりだ。これまで綾が何かを強く主張したり、怒ったりしたところなんか見たことがない。
「…よくよく考えてみたら綾は絵は描かないし、そんなに意志も強そうには思えないんだよな。だから怪物に襲われたってのは、やっぱり僕らのカン違いなのかなって」
「さぁ…どうだろ。でもああ見えて、あーやは結構『強い』と思うよ?」
「………え? そ、それって…」
くすくすと小さく笑いながら、絵依子が口にしてきた予想外の言葉に、一瞬僕は声を失った。そんな僕を見ながら、また面白そうに絵依子が笑う。
「それよりさ! もうじき文化祭だよね! あーやもそれまでに復帰できるといいね!」
「…あ、う、うん…そうだな。確かにそういえばもうすぐ文化祭だな…」
なんだかはぐらかされたようにも思ったけれど、とりあえず僕はうなずいた。
「文化祭かぁ…。ねね、お兄ちゃんとこは何やるの?」
「えーと、確か何かの展示をするみたいだ。興味ないからよく知らないけど。おまえのとこは?」
「ふぇ? う、うち? あはは……うちの組も似たようなもんだよ」
「…僕もおまえも帰宅部だし、当日はお互いヒマしてそうだなぁ…」
「うん…。そう…だね。せっかくの文化祭なのにね…」
…たかが文化祭に何を期待してたのか、絵依子の表情が少し暗い。
でも考えてみれば、絵依子にとっては今の学校に入って初めての文化祭なのだ。こいつの性格からして、年に一度のお祭りに期待するなというほうが無理なのかもしれない…。
「……だったらさ、一緒に回るか?」
「え……?」
「…兄貴と回ってもたいして面白くもないかもだけどさ、バイトも決まったから、少しはお金も使えるぞ」
とっさに思いつきで出た僕の言葉に、見る見るうちに絵依子の表情が輝きだした。ころころと鳴く虫の声をバックに、絵依子がくるくると踊るようにはしゃぐ。
「うん! 回ろ回ろ!! やったーーーー超楽しみ!! センセー!!! お小遣いはいくらまでっ!? バナナはおやつに入りますかーー!?」
僕たちは今、この世ならぬ怪物を退治するために出かけているはずなのに、そのことを忘れそうになってしまうぐらい、のどかで…平和な一時だった。
「…まったく、コーチの次は先生か…。だいたい遠足じゃないんだぞ…」
「あはははは! そんなのどうだっていいの! ううぅ~~~~! なんかわたし、ワクワクしてきちゃった! オッス! オラごく…」
だけどその平和は、急に立ち止まった絵依子の声によって…かき消された。
「…いた! ちょっと遠い…。これは…駅前の方…?」
「え、駅前って…ここからだとかなりあるぞ。 どうする?」
「行こう! 大丈夫! 走ったら10分ぐらいだよっ!」
「ちょ……待っ……!」
…僕の返事も待たずに、絵依子が来た道を逆戻りに駆け出していった。はっきり言うと文化系のこの僕に、10分間全力疾走と言うのは正直キツイ。
…が、妹の手前、兄としては泣き言なんか言ってはいられない。仕方なく僕も絵依子の後を追った。
…たっぷり10分以上走らされ、息も絶え絶えになりながら、ようやく僕は立ち止まっている絵依子に追いついた。
「はぁ…はぁ…はぁ…、ど、どうだ…?」
ぜぇぜぇ言いながら尋ねると、絵依子がすっ、と空を指差した。
「あそこ…。ここならもう目で見えるよ。でも…」
「……?」
絵依子の指し示した先に、確かに何か薄っすらと浮かぶモノが見えた。まるで何かを探しているように、くるくるとせわしなく空中を回っている。
「あれ…何してるんだ…?」
「わかんない。とりあえず追っかけよう!」
言うが早いか、また絵依子が走り出した。
ま…まだ走るのか…。か…勘弁してくれ……。
僕らの追跡に気づいているのか、いないのか。ふわふわと空中を飛び続ける怪物…。その姿を目で追いながら絵依子に続く僕は、急に……激しい違和感に囚われた。
「…? え、絵依子! 待て! 何かおかしい!!」
でも、僕のその言葉が聞こえていないのか、絵依子の足は止まらず、なおも走り続ける。
違和感の正体は分からない。でも…必死に追いかけているのにもかかわらず、さっきからヤツとの距離がまったく縮まっていない。
逃げている、というより、まるで僕たちを空から監視しているような…、そんな妄想めいた考えがふと頭によぎる。
何か言い知れぬ不安が…僕の心にどんどんと暗雲のように立ち込めていく。
その時、いきなり目の前を走る絵依子のスピードがぐんと増した。なかなか追いつけない事に焦ったのか、錬装したらしい。
「あいつ…勝手な事を……!」
思わずそんな言葉が口をついて出た瞬間、上空の怪物の動きが突然ぴたりと止まった。
そのままそいつがするすると地上に降りていくのが、僕の目にも薄っすらと見えた。
「…!! くそ…早まるなよ…絵依子! なにか…何か嫌な感じだ…!!」
地面すれすれにまで降りてきた怪物が、ビルとビルの間にある、どこかの入り口らしき穴にふわふわと滑り込んでいった。すかさず絵依子もそこに駆け込んでいったのが見えた。
あわてて僕も飛び込んだその場所は……ビルの地下にある駐車場だった。
そこは20台は楽に停められそうな大きめの駐車場だった。しかし地下に入り、辺りを見渡しても、一足先にここへ降りたはずの怪物の姿が見えない。気配だけは感じているのだろうけど、僕と同じにヤツを見失ったらしい絵依子がしきりにきょろきょろと周りをうかがっている。
その時。
「…よぉーーーーーこそ! まんまとおいで下さって…歓迎するぜ…!!」
どこからか、嫌らしい響きを持った声が聞こえてきた。
…神経質そうな、どこか癇に障る男の声が。
「……!! だ、誰だ!」
その声に思わず辺りを伺うと、奥の方に停めてあった車の陰から…ゆらりと何かが姿を現した。少し離れたこの場所からでも感じられるほどの、異様な…異質な空気をまとって。
「………ッッ!!」
…そいつの側には、さっきまで僕らが追っていた怪物の姿があった。
ということはまさか…あいつが真都が言っていた…怪物たちの親玉だと…?!
でも、ようやく姿を見せたそいつ…、黒っぽい紫色のコートを着込んだその男は…まぎれもなく人間に見える。いったい…どう言うことなんだ!?
「…ったく、てめぇらのおかげで、俺様の予定はメチャクチャだ…! 分別の無ぇガキにはお仕置きが必要だからな……ブッ殺してやるから有難く思え!!! ヒャハハハハ!!!!!!!!!」
いやに甲高い声を辺りに響かせながら、男がすっ、とコートの袖をまくる。そこには信じられない事に…絵依子と同じ『オービス』が…備わっていた。




