10月28日-1
-10/28-
キーンコーン・・・カーンコーン・・・・・・
「きーりつ! 礼!」
今日もいつもの一日が終り、カバンを持って教室を出ようとした僕は、急に担任の内山田先生に呼び止められた。
「渡城。前川先生の退院が決まったそうだ。学校に復帰されるのはもう少し先だそうだが」
「……え…ぇっ??!!」
先生が……前川先生が…退院!?
思っても見なかった突然の朗報に、つい僕は自分でもビックリするような大声を出してしまったものの、すぐに帰宅ラッシュのざわついた教室の音にかき消されていった。
「せ、先生! それ、本当ですか!?」
「うむ。前川先生からお前宛ての手紙を預かっている。今から職員室に取りに来るように。以上だ」
先生にくっつくようにして職員室に駆け込んだ僕は、差し出された封筒を大急ぎでその場で開けた。
手紙の文面は短かいものだった。何度か僕がお見舞いに行ったものの、面会謝絶で会えなかったことや、それに対して謝ってくれていることなどが綴られていた。
ただ、字が微妙に震えていたりして、まだまだ完全に回復されてる訳じゃないことがうかがえる。
だけれど…そんなことなんかどうでもいいと思えるほど、僕は嬉しかった。
先生からの手紙を受け取り、家への帰り道を歩く僕の心は、久しぶりに晴れやかなものだった。
…すべてが良い方向に転がりつつある。
なんの根拠もないけれど、ふとそんな予感めいた思いが僕の心に芽生えた。そしてその思いが、今日もここへ僕の足を運ばせた。
ピンポーン…。
「…はぁい。どちらさん?」
「ぁ、こ、こんにちは。渡城ですけど…」
また一瞬噛みそうになってしまったものの、今度は予想してたので普通に応答できた。
今日もインターホンから聞こえてきたのはおばさんの声だった。
「あらあらまぁまぁ! 今日も来てくれたの? ありがとうねぇ瞬くん!」
がちゃりと玄関を開けて現れたのは、やっぱりおばさんだった。
「あ、たびたびすみません。綾…どうなのかなと思って」
「いいのいいの! そんなの気にしなくて!! まぁ立ち話もなんだし、お入んなさいよ」
「あ…はい。じゃあちょっとだけ…」
いちおうコンビニで買ってきたスイーツ的なお見舞いの品をおばさんに渡して、僕はまた加賀谷家にお邪魔したのだった。
「それで…その、あれからどうなんですか? 綾の具合は」
「えぇ。もうだいぶ良くなってきたみたいでね。学校の方もそろそろ戻れそうよ」
「え…! そ、そうなんですか! そっか…綾、元気になったんだ……良かった…」
またコーヒーを頂きながら、おそるおそる尋ねた綾の容態について、おばさんが嬉しそうに笑う。こちらも予想外というか、望外の嬉しい知らせだ。
…先ほどの予感は間違いじゃなかったらしい。きっと絵依子もこれを聞いたら大喜びだろう。
「ごめんなさいねぇ。ずいぶん心配かけちゃって…。そうだ! お詫びに今度からは5分早く起こしに行かせるわ!」
「い、いや、それは勘弁してください。今までどおりで良いですって!」
「あーら、遠慮なんかいらないわよ! 何ならもっと早く…布団の中まで起こしに行かせた方がいいかしら? おほっほっほっほっ!!」
「……?? あはは…はは……」
どこか怪しい色を滲ませたおばさんの爆笑に、僕もつい釣られて笑ってしまった。ともかく、たいしたことが無かったみたいでよかったよかった…。
「マぁマー。おなか減ったー。何か作ってー」
などと安堵していると、突然女の子の声がダイニングに飛び込んできた。
…ものっすごい緊張感のない声が。
…からり、とふすまが開くやいなや、ぼりぼりとパジャマの下に手を突っ込んで、お腹をかきながら女の子が現れた。
あまりのズボラさに一瞬誰だか僕は分からなかった。でも、よくよく見れば……それは…まさかの綾だった。…普段見慣れた、キチッとした姿とは全く正反対の。
…あっけに取られていると、のそのそとだるそうにこっちに向かってきた綾とふいに目が合った。
「………ぇ…?」
「……よ、よぅ」
「…………」
「し、心配してたけど、割と元気そうで何より…」
「ちょっと綾! 瞬くんが来てるのに何て格好! もうあんたって子は…」
「……き……」
目が合った瞬間、かちんと固まったような綾の口が、ようやくかすかに動いた。
「き…?」
「…きぃゃぁぁああああああああああああああああああああ!!!!!!」
ばたばたばたばたばたばたばた!!!!!!
……団地全体に響き渡りそうな絶叫を轟かせ、寝起きとは思えないスピードで、綾は自分の部屋に逆戻りしていった。
「…あはは。確かにあれならもう大丈夫かも」
「ごめんなさいねぇ……。せっかく来てくれたのに、お見苦しいとこ見せちゃって…」
「そ、そんなことないですよ。ちょっと意外でしたけど…。…でも、綾ってもしかして…家じゃいつもあんな感じなんですか?」
「そうねぇ……。ここだけの話、ああ見えてあの子、けっこう……」
「…マ…お母さんっ!!! 余計なこと言わないで!!!!!!!!」
ふすまの向こうで、ちゃっかり僕らの会話に聞き耳を立てていたらしい綾の横槍が、ものすごい勢いで飛んできた。あまりのその必死っぷりに、思わず僕はおばさんと顔を見合わせて大笑いしたのだった。
「…それじゃ綾が元気になってるのも分かったし、そろそろ帰りますね。コーヒーごちそうさまでした」
「あら、もう帰っちゃうの? 久しぶりに晩ご飯食べて帰りなさいよ」
「でも…今日は家で母さんが用意してくれてるし…また今度頂きます」
せっかくのお誘いではあるものの、僕はやんわりとおばさんの申し出を断ってから立ち上がり、綾の部屋のふすまを軽くノックした。
「…綾。僕そろそろ帰るから。もう大丈夫っぽいけど、無理はするなよ。お大事にな」
「う…ん…。瞬くん…、あ、あのね。その…さっきのは…たまたまっていうか…あの…その……」
「分かってるって。いつもいつも気を張ってたら疲れちゃうもんな。気にするなよ」
「……うん。あ、あの、お、お見舞い…ありがとう」
「うん。じゃあね」
まったく意外すぎる一面が見れたものの、そんなことはまるで気にならないほど、元気になった綾の姿が僕には嬉しかった。
そんな風に綾とふすま越しのやり取りを少しして、僕は加賀谷家の玄関に向かったのだった。
「お邪魔しました。それじゃまた…」
玄関で靴を履き終え、ドアノブに手をかけた瞬間、突然目の前の扉が…がちゃりと開いた。
「…おゃ、瞬くんか。久しぶりだねぇ! 元気だったかい?」
「あ、おじさん、ご無沙汰してました。綾の具合、だいぶ良くなったみたいですね」
久しぶりに見たおじさんは相変わらずのようだった。でも、こんな時間におじさんが帰ってくるなんて、昔の記憶ではほとんどなかったことだ。
「そうかそうか。見舞いに来てくれたのか。まったく心配ばかり掛けおってなぁ…。これに懲りずに娘のこと、これからもよろしく頼むよ」
「あはは…それはこっちのセリフです。綾が迎えに来てくれないから、ここ最近はいろいろと大変でしたし」
「いやいや…、そう言ってくれるとあれも嬉しいだろう。しかし他人の目がないと、あれはなかなかでなぁ…」
やれやれ、といった風情で、綾のあれやこれやにおじさんが不満を並べ立てる。でも、口ではいろいろ言ってても、やっぱり誰よりも綾のことが心配なんだろうというのが分かる。
……もしも父さんが生きていたら、絵依子が怪我や病気をした時、やっぱりこんな風になったのかもな…。
おじさんも夕食を一緒にと言ってくれたけど、家で母さんと絵依子が待っている。せっかくの申し出だけれど、どうにか固辞して僕はようやく加賀谷家を後にした。




