10月16日-3
「ヴるるルるるっっ???!!」
「ごオォォろろロッっ!!??」
絶望に顔を伏せた瞬間、突然、二匹の怪物の……驚いたような声がそろって聞こえた。
「え…絵依子ッッ!!」
……とっさにグラウンドに目を向けると、そこに叩きつけられているはずだった絵依子は、地面とあとほんの数十センチのところで…ふわふわと浮かんでいた。
その背中に……巨大な純白の翼を広げて。
不思議そうにカードと背中の羽を交互に見ながら、とん、と静かに絵依子がグラウンドに降り立つと、やがて…音もなく翼は消えていった。
「ゴおロろロぉぉぉっッっ!!!」
次の瞬間、大きな唸り声を上げた怪物の一匹が、グラウンドの絵依子に向かって猛然と迫った!
すかさず絵依子がオービスに手を掛け、おもむろに引いたもう一枚を目の前にかざし、『見た』……!
「はぁぁぁぁっ…ッっ!」
気合と共に、絵依子のヨロイが……見る見るうちに変化していく!
ぱきぱきと音を立てて、足が鋼鉄の鱗に覆われた竜の脚を思わせるカタチに変わっていくのが、屋上にいる僕からもはっきりと見えた。
そして……!!
ザシュ・・・ゥッッ!!!
「ごぉアアアアッッっ・・・・・・!!!!」
…襲い掛かった怪物は…絵依子の回し蹴り一発で、木っ端微塵に消し飛んだ。
…一撃、たったの一撃。
…あまりの凄まじい光景に……僕は喜ぶよりも先に驚き、そしてわずかに…震えた……。
「う・・・ロぉオ・・・お・・・ッッ?!」
もう一匹の…昨日の怪物が仲間のやられるシーンを見て、明らかに動揺しているのが見て取れた。そして次の瞬間、僕に目もくれず逃げ出した!
「絵依子っ!!」
あわててフェンスに張り付いたまま、僕は下の妹に叫んだ。かすかに頷いたように見えた絵依子が大きく腰を落とす。そして……。
・・・ドンッッッ!!!!
絵依子の身体が、夜の空に大きく舞い上がった。
グラウンドにその巨大な爪痕を残して……!!
・・・ダンッッ!!!
スピードも勢いもそのままに、絵依子がさらに校舎の壁を蹴っ飛ばした。
ぐらりと僕の立つ屋上の床が、いや校舎全体が揺れる。
必死に逃げようとしている怪物に、壁の反動で二段加速した絵依子が、とんでもない速さでぐんぐんと追いついていく…!!
…そして……!!
「ヴぅぅぅゥゥっっッ!!??」
「……はぁっっ!!!」
…勝負はやはりあっけなく着いた。
必死に逃げようとしていた怪物の背中めがけて放たれた、絵依子の飛び蹴りが完璧にヒットした!!
ぱんっ、とどこか滑稽な音を立てて、昨日あれほど絵依子を苦しめた怪物は…夕闇に溶けるように霧散していった。
…凄まじく、あまりに圧倒的な力。これが絵依子の本当の力だったのかと思うと、頼もしくもあり、また、恐ろしささえ感じる。
ぶるっ…、ともう一度だけ身体が震えるのを、僕は抑える事ができなかった…。
・
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・
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「…………」
「………………」
…絵依子が無言で僕を見つめていた。戦いが終り、屋上に戻ってきた絵依子が、変身を解きながら僕をじっと見つめていた。
絵依子の射るような視線を受け止める事が出来ず、顔を伏せていると、やがて……冷ややかな声が聞こえてきた。
「…約束…したよね。学校には来ちゃダメだって」
僕はそれにウンともイヤとも言わなかったはずだ。黙っていたのを勝手にイエスと判断した絵依子が悪い。
……とは、さすがに口には出来なかった。
「…ごめん…」
「そのごめんはどっち? 約束破った事? それともわたしの『オービス』を勝手に持ってった事? ほんっっっと信じらんない! 勝手に人のカバン開けるなんて!!」
「…ごめん……」
だからそう言うしかなかった僕に、じゃり、と絵依子が一歩近づいてきた。
これは……今度こそ顔面パンチだな…。
鉄拳制裁を覚悟し、思わず僕は目を閉じた。でも次の瞬間…ふわりと僕の身体は……暖かいものに包まれた。
「え………?」
「…バカ…お兄ちゃんのバカバカ……!! …家に帰ったらお兄ちゃんはいなくって…オービスも無くなってて…ホントにビックリしたんだから……! ホントにホントに……どうしようかって思ったんだから!」
…思っても見なかった絵依子の態度と言葉に、僕は……しばらく呆気に取られてしまっていた。
背中に回された絵依子の手が、ぎゅっと制服を握り締めた。その手は少し震えているようにも……感じられる。
「…ごめん。それで僕を探しに来てくれたのか…?」
「うん…まさかとは思ったけど…ホントにお兄ちゃんは無茶過ぎだよ…!! 昨日あんな目にあったばっかなのに…怖いとか思わなかったの…?!」
僕はどう答えていいものか、少し迷った。
だから少しの間考えて…嘘偽り無い真実を言った。
「…怖かったよ。でもそれ以上に…僕はもうおまえに危ない事をして欲しくなかったんだ。だからこれからはおまえの代わりに僕が戦おうって思った。それが僕の……僕のやりたいことだったんだ」
顔を僕の胸に埋めたまま、絵依子が小さく、そっか、とだけつぶやいた。
「…教室にバットが落ちてたけど、まさかあんなのであいつらと戦ったの…?」
「うん。それでも一匹はやっつけたんだぞ」
「…うそ…ほんとに?」
「本当だって。まぁ、めっちゃ弱いヤツだったみたいだけど…」
「でもすごいよ。ちょっとだけお兄ちゃんのこと、見直しちゃった」
「………なんだか照れるな」
胸のあたりから聞こえる、くすくすと小さく笑う絵衣子の声に、少し僕はどきり、としてしまった。この心臓の音も聞かれているのかと思うと、ますます気恥ずかしい。
「…でも、なんでわたしのオービスをお兄ちゃんが持って行ってたの…?」
「……それは……」
絵依子の質問に、今度はちくりと胸が痛む。確かにあればっかりはミスだ。やむを得なかったとはいえ、僕が自分のカバンにしまい込んでたばっかりに、絵依子を危険な目に合わせてしまったのだから。
「…さっき使ったカードに絵を描いたのもお兄ちゃんだよね…?」
「……うん」
10枚以上のカードに、一枚一枚違う絵を描くのは正直骨が折れた。押し入れになかば封印してあった画材……コミックマーカーや色鉛筆はなんとか使えたけれど、久しぶりだったのもあって全然手が動いてくれず、家では結局完成させられなかったのだ。
仕方なく僕はオービスごとカバンに入れて学校に行き、最後の一枚を日が沈む直前に、美術室で仕上げたのだった。
僕がもっと上手ければ、手が早ければ、絵を描くのをやめていなければ、こんなことにはなっていなかったかもしれないけれど、今はただ、絵依子に謝るしかなかった。
「本当にごめん。勝手……だったよな」
「でも…なんで? 時間を置けばカードはもとに戻るって言ったのに」
「…時間がなかったんだよ。それにさ……」
…昨日、絵依子と母さんが寝静まってから、僕は今日のこの戦い…あの怪物との決着を企てた。絵依子と先生を苦しめてきたあいつらを、1分1秒だって野放しには出来ない。したくなかった。許せなかった。だから僕は今日、ここに来たのだ。
今にして思えば無謀極まりない。でも本当に倒せる自信はあったつもりだ。
そもそもあいつは「戦い」で僕を殺すことは出来ない。殺せばエネルギーとやらも手に入らないのだから。つまり、戦うにしても向こうは「手加減」しないといけない状況な訳だ。
そしてもう一つ。あいつは僕に「すべて頂く」とは言ったが、たぶん命までは取らないとも思えたからだ。先生がそうだったように。だから最悪でも死ぬまでは行かないと踏んでの勝負だったのだ。
…もっとも、怪物が2匹も3匹もいたり、そいつらの力が僕の想像や見立てよりはるかに強かったのは誤算だった。まぁ今にして思えば誤算というより、僕のプランそのものが穴だらけだったとも言えるけれど…。
ただ、万が一のことも一応は考えていた。もし僕が怪物に返り討ちにあい、死なないまでも先生のようになってしまったら、その時こそ絵依子は僕のために戦ってくれるだろう。本当は戦ってほしくはないけれど、きっとそれは止められない。
でもカードがなければ、昨日と同じように絵依子は力を発揮できないだろう。
…だから僕も託そうと思ったのだ。
絵なんてもう二度と描かないつもりだった。だけど、僕が後に残せるもの、託せるものなんて、やっぱり絵以外は何も思いつかない。
だから僕は…カードを全部、手持ちの画材で、うっすら残っていた絵をなぞり、上書きして描いたのだ。ほとんど判別できないカードには、僕が勝手に想像したものを描いた。
本当のところを言えば、それを実行することにはギリギリまで悩んだ。
なぜならそれは同時に、父さんの『遺作』をこの世から消し去ることでもあるからだ。
このまま時間を置けば、ずっと見たかった父さんの絵をこの目にすることが出来るのだし、それに何より、絵描きとして、自分の絵を上から勝手に違う絵に塗り潰されるなんて誰だってイヤだろう。僕だってイヤだ。
だけれど……、きっと父さんは許してくれる。なぜかあの時は…そう思えた。
そんな風な事をぽつぽつと聞かせるたび、絵依子はうん、うんと僕の胸の中で小さく頷いた。
少しして、ゆっくりと僕の胸から絵依子が離れた。
うつむいたままでその表情がどうなっているのか、僕からは見えない。かろうじて見える口元が、何かを言いたそうに開き、また閉じる。
それを何度か繰り返した後、顔を上げた絵依子の表情は…驚くほど真剣だった。
「…昨日、わたし…言ったよね……? お兄ちゃんにできる事なんてない。だから大人しくしててって」
…それは今日、僕は嫌と言うほど思い知らされた。かかってこいだのビビってるのかだの、あの怪物に切ったタンカを思い出すと冷や汗が出る。
あんなのを誰かに聞かれた上に、後の顛末までも見られていたら、それこそ恥ずかしくて自殺モノだ。
だから絵依子の言いたい事は判ってる。もう金輪際、今度こそ絶対に首を突っ込むなと言うのだろう。ついでに今度こそパンチの一発でも飛んでくるかと、改めて僕は覚悟を決めた。
「あのね…お兄ちゃんの描いたカードの絵、あれを見た時…ものすごい力がわたしから生まれるのを感じたんだ。だから…昨日言った事は取り消すよ」
「……え………!?」
だけど、かけられた言葉は…僕の思っても見なかったものだった。
意表を突かれ、思わずぽかんとしてしまった僕を、面白そうに絵依子が見つめ、微笑む。
「…もうお兄ちゃんは絵を描くのをやめちゃったって言ってたから、無理にとは言わないよ。イヤなら今日描いてくれたカードだけで何とかする」
「………」
「でも、もしイヤじゃないなら………お兄ちゃんは絵で、お兄ちゃんのその力で…これからわたしを助けてくれると嬉しいな…」
「え…そ…それって………」
「…うん。一人で戦うのは…もう止めにする。これからはお兄ちゃんといっしょに戦うよ」
「……っ! 絵依子……っ!」
少し照れたような声に、僕は思わず絵依子を抱きしめていた。
それほど僕は嬉しかった。
絵依子の代わりを務める事は出来なかったけれど、僕にも出来る戦いが見つかったのだ。
そしてそれが、一度は僕が捨てた絵だったことがたまらなく嬉しい。家族のために捨てようとした絵が、こんな形で力になるなんて。
…久しぶりの絵をカードに描いている時、率直に言えば…不謹慎だけど楽しいと思った。やっぱり自分は絵を描くのが好きなのだとわかった。それを僕は家族のためと、必死に心に封じ込めていたのだ。
でも今日、その封印は解かれた。僕は描いていいのだ。そのことがたまらなく嬉しい。
…でも、何より嬉しかったのは、絵依子が僕といっしょに戦うことを…認めてくれた事だった。
「…もぉ…苦しいよ…お兄ちゃん……」
胸の辺りから絵依子のくぐもった声が聞こえてきた。その声でようやく我に帰った僕は、あわてて腕の中の妹を解放した。
「あ…ごめん……つい…」
たぶん僕はまたヘンな顔をしてたんだろう。僕の顔を覗き込むようにして、くすくすと絵依子が笑う。
…その笑顔は、いつも通りの、僕のよく知っている絵依子のものだった。
「じゃあ帰ろ! お兄ちゃん! もう晩ご飯の時間だよっ!」
いきなり僕の手をしっかと握って、絵依子がすたすたと屋上の出入り口に向かって歩き始めた。
…なぜか一瞬どきりとした僕は、それを悟られないようにしっかり握り返し、逆に絵依子を引っ張るようにして追い抜いてやった。
「ちょっ! お兄ちゃん、歩くの早過ぎ~~~!!」
「うるさいうるさい。さっさと出ないと閉じ込められちゃうぞ。…それとも晩ご飯の代わりに、先生のお説教を食いたいか?」
「えぇ~~~っ! それはヤだっ!! 今日はねー、カレーうどんなんだよっ! お母さんが朝言ってた!」
「昨日はカレーだったからな……。また当分はカレー尽くしの毎日かぁ…」
「ねね! 明日は何だろ? カレーラーメンかな~?」
「そう来ると思わせて、もう一回カレーライスだったりするからなぁ。油断できないぞ?」
「あはははっ! 美味しいんだからどっちでもいいよ! ほらほら、急ぐよ! お兄ちゃん!!」
けらけらと笑いながら、急に絵依子が僕を引っ張るようにして走り出した。あわてて僕も駆け出し、出入り口ギリギリで絵依子を抜き返し、華麗なゴールを決めてやった。
「はい、おまえの負けー。今日の皿洗いはおまえな」
「ちょっ! 何それ!! じゃあ次は……先に一階に降りた方が勝ち! 負けた人は…」
「今日のお風呂掃除ってのはどうだ?」
「おっけー! 負けないよぉぉっ! あははははっ!」
笑いあいながら、飛ぶようにして僕たちは階段を駆け降りた。お互いに手をしっかりと握り合いながら。
…そして僕は。
どんな事があろうとも…。
絶対にこの手を離さない事を…心に誓った。
一章終了です。




