10月16日-2
「や…やった……、やって…やった…ぞぉっ!! うおおおお!!!」
思わずガッツポーズを取り、普段なら絶対出ないような変な声が僕の口から溢れた。
…気が緩んだのか、今ごろになってまた身体が震える。訳の分からない、言葉にならない感情が押し寄せ、頭がどうにかなりそうだ。
…僕は怪物を倒した。僕の力だけで。例えようもない高揚感に包まれ、僕は有頂天だった。
先生の仇、そして絵依子を傷つけた怪物、化物を僕は倒したのだ。昨日絵依子があれだけ苦戦した怪物を、僕はたったのバット2発で倒してのけたのだ。
「どんなもんだーーーー!! 見たか!! あっはっはっ!!!」
誰に聞かせる訳でもないのに、次から次に声と笑いがこみ上げてくるのを、僕は止められなかった。
…その時だった。
ぞわり、とまた、身体が震えた。ぞくり、ぞくりと背中に悪寒も走る。
「……な……っ…?」
あわててさっきヤツがいた場所を振り返ると、全身がしゅわしゅわと溶け、今まさに消滅していってる最中だった。でも。
闇に溶けつつある黒いもやのような雲のようなそれが、風に吹かれるようにして……いや、吸い込まれるように教室の隅の方へ流れて行くのが……見えた。
「………ッッ?!」
…薄暗い教室の、そのまた影になっている暗い教室の隅から、ぬらり、となお暗い何かが姿を見せた。
「ふシュ・・・しゅ・・・・・・やハりオマえ・・・オもシろイナ・・・・」
…さっき倒したヤツとそっくりの怪物が…そこにいた。薄気味の悪い笑い声のような音が聞こえてくると、その声に僕は……直感した。
…違った。さっきのヤツは、昨日のあいつじゃなかったんだ。
こいつら怪物の声は気持ち悪い上に聞き取りにくい。だから僕は解らなかった。間違えてしまった。今目の前にいるヤツが本当の……昨日のヤツだ。
微妙に違うにしても、そんな差なんて普通は気づかないだろう。だから僕はさっきのヤツが昨日の怪物だと思い込んでしまったのだ。
「……っく、で、でも……!」
そうだ、でも同じことだ。僕のカウンター戦法はもともとヤツを想定したものだ。
だから通じる。通じるはずだ。もう一回やればいいだけだ。
僕は再び腕に力を込め、汗で粘ついたバットの握りをギュッと強くする。
「…何匹いたって同じだ。ほら、かかってこいよ! バケモン!」
僕は狼狽を悟らせまいと、今度のヤツにも挑発した。乗ってこい…乗ってこい…!
「ヴろぉオオおォーーーーーーっッ!!!」
「………っっ!!」
吠えるやいなや、怪物が真っ直ぐにこっちに突進してきた。案の定というか学習能力がないというか、さっきのヤツとまるで同じだ。
だけど僕にとっては好都合だ。このままカウンターを……
「…え…、な……、は…速……っ?!」
…圧倒的なスピードでヤツが迫ってきた。さっきのヤツの2倍…いや3倍……?!
気づけばすぐ側の、息がかかりそうなほど近くにヤツがもういた。…僕はまだバットを動かしてすらいない。なんなんだ、これは。
ブウゥ・・・・・・ッン!!!
そして……ヤツが……腕を振り下ろした!
・・・ガッ・・・ギィぃーーーーーーーーーーンンっッ!!!!
「ぐ…はぁぁっッ!!!」
とっさのバットでのガードが間に合ってくれた。でも、直撃してもいないヤツの攻撃で僕は吹っ飛び、情けなく地面に転がされてしまった。
あわてて見ると、ヤツの爪をもろに受けたバットは……ぐにゃりと変形してしまっていた。
…なんなんだ…こいつ……!
さっきの奴とはパワーもスピードも…比べ物にならない!!!
…こいつが昨日のヤツだということは…絵依子は…こんな奴と戦ってたっていうのか……。
昨日、傍から見ていた分にはこれほどのスピードには見えなかった。でも実際に戦ってみれば違うというのか。
傍から見るのと自分がやるのでは、こんなにも違うのか……。
「あ……あぁ……あ………」
「ぐククッ・・・・・・いッたハズだ・・・すべテ・・・イたダくと・・・」
またヤツがゆっくりと腕を振り上げる。まるで獲物をいたぶる肉食動物のように。
何とか立ち上がったものの、思わず僕は後ずさってしまった。その時、かかとが何かに引っかかり、バランスを崩して僕はまた尻もちをついてしまった。
…それは僕の通学カバンだった。足で踏んづけ、その上に尻もちをついた衝撃でか、床に置いてあった通学カバンから何かが転がり出てきた。
「………!!」
「それ」が見えた瞬間、とっさに僕はそれに手を伸ばした。
それは…絵依子の『オービス』だった。
今朝、やむを得ず僕のカバンにしまい込んでおいたものだ。
「・・・・・・な二・・・そレハ・・・マさか・・・ッ」
僕がオービスを手に掴み取ると、怪物が一瞬、ひるんだような声を上げた。瞬間、どくん、と心臓が一瞬高鳴った。
…そうだ、かつて父さんが使い、そして今、妹である絵依子が使いこなしている物が、兄の僕に使えない理由なんかどこにもない。
そしてこれは…これこそが運命という奴なのかもしれない…。
だからきっと出来る。出来るに決まってる……!
立ち上がり、一度だけ僕は大きく深呼吸し、左腕に『オービス』を取り付ける。そして昨日、絵依子がしたように、僕は右手でレバーのようなものを引きながら……叫んだ。
「…『錬装』ッ……ッ!!!」
「ナ・・・な二・・・ィ・・・ッっ・・・!!!」
…
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
……なにも、何も・・・おきない。
「ぇ……れ…『錬装』っ!!」
頭に焼き付いているあの時の光景……絵依子が変身の時にやっていたはずの手順を、もう一度僕は繰り返した。しかしやっぱり僕にも服にも、何の変化も現れない。
「そ……そんな……どうして……!?」
「・・・るぅぅヴヴヴっっッ・・・ッ・・・ッ・・・」
ぐにゃり、と怪物の表情が歪んだ気がした。それはまるで…僕をあざ笑っているように見えた。
「ヴるるルゥぅゥゥ・・・・・・ナにカトオもエバ・・・おドロカせてクレル・・・・・・」
「ひっ……ッッ!!」
…まさかの事態に、僕の頭の中が真っ白になっていく。でも何度レバーを動かしても、『オービス』はただ無機質な音を立てるだけだった。
ふいに怪物が足を上げ、再び僕にゆっくりと迫ってきた。まるで狩りを楽しむ猛獣のように、静かに僕との距離を縮めてきた…。
「…あ……ぁ…」
喉からは言葉にならない言葉が漏れ、足が…身体が勝手にガクガクと震えだす…!
「わ・・・あああああああッッッ!!!!!!」
……とっさに僕は開けっ放しの扉を抜け、美術室を飛び出して廊下に転げ出た。残された手段はもうこれしかなかった。なりふりなんて構っていられない。とにかく逃げるしか!
「ぐっグッっ・・・ニゲらレルと・・・・・・おモッてルノカ・・・・・? バかメ・・・!!」
気持ち悪い声を後ろから浴びながら、僕は必死に廊下を走った。その時、僕の目にさらに恐ろしいものが映った。
美術室の隣の教室、その扉の隙間から……、昨日あいつが現れた時のように、じくじくと黒い影が染み出している。
まさか…、今、僕を襲おうとしている怪物は……一匹だけじゃない……?!
「う……わああああああっ!!!」
いまだかつてない恐怖に駆られ、僕は一目散に廊下を駆け抜け、階段を転げ落ちるように下る。
その時。
「…お兄ちゃんッッ!!! やっぱり…っ!!」
1階と2階の階段の踊り場まで駆け下りた時、何故かそこに…はぁはぁと激しく息を切らせた絵依子が現れた。
「は…話は後! とにかく逃げるぞっ!」
とっさに僕は絵依子の手を掴んで駆け出そうとした。でも、僕のその手を振り払って、絵依子が叫んだ。
「わたしはあいつを倒す! わたしのオービスは?!」
…昨日と同じように、まるでいつもと違う顔を見せる絵依子に、思わず僕は…気圧されてしまった。
そして、そう言われて初めて、僕は『オービス』を手にしていない事に気がついた。
…落としたとすれば美術室に違いない。それを告げると、先に家に帰れ、とだけ言い残して、絵依子は階段を駆け上がっていった。
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「はぁ…はぁ……は……っ…はぁぁぁぁ……」
なんとか校舎の外にまでたどり着いた僕は、怪物たちが追いかけてきていない事に、安堵のため息とともに胸をなでおろした。
でも、少し冷静になったことで、今のこの状況が昨日よりも…もっと深刻である事に、今さらに僕は思い至ってしまった…!
「…そうだ……今日はあいつ一匹だけじゃないんだ……! 昨日、一匹だけでもあんなに苦戦してたのに…!」
・・・ギィぃ・・・…ッ
ふいに屋上の方から、重苦しい扉の開く音がした。続けて…何か金属をぶつけ合うような音…!
…戦いの舞台は屋上に移ったらしい……!
「…まずい! 戻らなきゃ……! 絵依子が……!!」
あわてて今来た道を引き返そうとした瞬間……僕は愕然とした。まるで地面に根を下ろしたように足が…、僕の足が……ぴくりとも動かない!
僕の意思を……身体が全く受け付けてくれない!
「…ちょ、はは…は…、う、ウソだろ? ど、どうしちゃったんだよ…?」
そんな風な言葉が口をついて出たけれど、それこそウソだ。
…この身体は、心よりも正直に反応している。行けば…どんな恐ろしいことになるかも分からないという恐怖に怯えている。
…そう僕は……頭が理解するより早く直感した……。
……キィ……ッッ…ン…
クァ……ッッ…ン…ッ…
そうしてる間にも、音は絶え間なく響いていた。
ここでは風に乗ってかすかに聞こえる程度の音のはずなのに、僕にはそれがまるで……耳をつんざく様にさえ感じられる。
……でも行かなくちゃいけない。行って、僕は絵依子に伝えなくちゃならない事があるんだ。
だから……僕はーーーーーーー!!
「く………ッッ……!!」
かろうじて動く上半身を大きく振って、どさり、と僕は地面に自分を叩きつけるようにして倒れこんだ。
そうだ、足が動かないなら腕で進めばいい。這ってでも…絵依子の元に僕は行く!
僕は腕にありったけの力を込め、地面を引っかきながら、いま来た道を引き返し始めた。
……ゆっくりと。でも確実に。
「はぁ…はぁ…絵依子……待ってろ……っ!!」
ばくばくと破裂しそうな心臓を抱えながら僕は階段を這って登っていた。でも、ようやく2階まで上りきった時、耳に……かすかな絵依子の悲鳴が飛び込んできた!
「絵依子………っ!!!」
瞬間、それまでぴくりとも動かなかった僕の足に、急に力が……戻った!!
ここまで来て、ついに僕のカラダも根負けしたのか、やっと僕に自由を返してくれたらしい。
すぐさま立ち上がり、僕は全速力で屋上を目指した。絵依子が……妹がいる、あの場所へ…!!!
「絵依子ーーーーーっっ!!!!」
…勢い込んで屋上に躍り出た僕の目に飛び込んできたものは…絶望そのものの光景だった。
そこには…力なく宙を舞う絵依子の姿があった。昨日と同じままだと絵依子は思っているんだろう。手も足も、何も「変化」していない。…それをあざ笑うかのように、取り巻く二匹の怪物たちの姿もあった。
あの角度と勢いのままなら、間違いなく落下点は屋上じゃない。下のグラウンドだ…!
4階建ての校舎の屋上から落ちれば、いくら『ヨロイ』があってもただでは済まないだろう。打ち所が悪ければ大怪我か……最悪の場合は……死……っ。
…なのに、フェンスを超えて落下していく絵依子の全身からは、もうどうしようもない、という諦めすら滲んでいるように……見えた。
「ダメだっ! 諦めるな絵依子ーーーっ!! カードを引け! 引くんだ!!!」
とっさにフェンスに張り付き、必死に、力の限り僕は叫んだ。その声に一瞬だけこっちを向いた絵依子が、かすかに首を振ったように見えた。
それでも僕は叫ぶ。いや、叫ぶしか出来ない。これこそが僕が伝えなければいけなかった事なんだ!!
「いいから引けーーっっ!!! 引いてくれ……絵依子ーーっっ!!!」
でも、いくら声を涸らして叫び続けても、僕の言葉は空しく屋上に響くだけだった。
そしてそのまま絵依子の身体が…真っ直ぐにグラウンドに吸い込まれていく…!!
「うわあああーーーーーーーッッ!!!!」




