第12話 天下泰平の帳簿、うつけ姫が誓う永遠
第12話、最終話・完結です!
炎なき天正十年六月二日の本能寺。
天下平定を祝う大茶会で、信長が放った爆弾宣言から戦国史上最大の修羅場が開幕します!
天正十年六月二日。
京の都には、初夏の爽やかな青空がどこまでも広がっていた。
かつて無数の血が流れるはずだった運命の朝、本能寺の境内を包んでいたのは、立ち上る黒煙でも矢叫びでもなく、涼やかな松風と、釜から漂う芳しい茶の香りだった。
白砂が敷き詰められた庭園を臨む本堂の大広間には、緋毛氈が敷き詰められ、金屏風が朝陽を浴びて燦然と輝いている。
「本日、毛利家との講和条約が正式に締結された! さらに奥州の伊達、薩摩の島津も我が織田家に恭順の意を示した!」
上座に凛と立つ織田信長が、朱色の小袖を翻して声高らかに宣言した。
「百年にわたる戦国乱世は、ここに終わりを告げた! 日の本は、余の手によって一つに束ねられたのだ!」
広間を埋め尽くした諸将から、地鳴りのような勝鬨と万雷の拍手が沸き起こった。
刀を交えることなく、経済と兵站、そして人心を束ねる物流の力によって成し遂げられた天下統一。
だが、信長は扇を掲げて歓声を制すると、琥珀色の瞳を悪戯っぽく細めた。
「そして――天下人たる余には、もう一つ、宣布すべき重大な決定がある」
広間が静まり返る。
信長はつかつかと階段を降りると、列席していた黒川聡の前に立ち、その手首をぐいと掴み上げた。
「え……信長様?」
戸惑う聡を強引に引き連れ、信長は天下の主座へと登り詰める。そして、紅潮した顔をわずかに上気させながら、諸将へ向けて高らかに言い放った。
「余の生涯唯一の伴侶――夫となる男を発表する! 我が半身にして、天下泰平の礎を築いた天才軍師、黒川聡だ! 異論は一切認めぬ!」
しんと、本能寺の空気が凍りついた。
聡の脳裏に、現代の激務すら生温いと感じるほどの警報音が鳴り響いた。
『ちょ、ちょっと待て! 天下の諸将の前で何を言い出すんだこのうつけ姫は……!?』
「待ったぁぁぁぁぁっ!」
静寂を切り裂き、最初に怒声を上げたのは狸耳の毛皮フードを被った徳川家康だった。
小柄な体を跳ねさせ、広間の中央へと飛び出してくる。
「納得いかん! 納得いかんのじゃ吉法師ちゃん! 聡殿は三方ヶ原で我が三河を救ってくれた命の恩人! 徳川の婿殿として迎えると、家臣一同で疾うに決めておるのじゃ!」
「ほほほ、何を子供のような駄々をこねておじゃるか」
優雅に扇を揺らしながら歩み出てきたのは、極彩色の十二単を纏った駿河の美姫・今川義元だった。艶やかな黒髪を揺らし、妖艶な笑みを浮かべる。
「聡殿との間には、あの桶狭間の昔に結んだ東海道通商同盟があるでおじゃる。その付帯条項の裏書には、『聡殿の身柄は駿河今川家が終生預かるべし』と墨痕鮮やかに認めてあるでおじゃるよ」
「そ、そんな密約、私は聞いておりません!」
銀髪を揺らし、丸眼鏡の位置を直しながら立ち上がったのは明智光秀だった。手には分厚い業務日誌を抱えている。
「聡様の補佐官は、この十兵衛です! 聡様の心身の健康を管理し、日々の帳簿整理を共にしてきたのは私です! 公私の境なく生涯をお支えする権利は、私にこそございます!」
「ぬぅぅぅっ! 何を小賢しい理屈を並べ立てておるか!」
ドシンと床を揺らして前に進み出たのは、金髪の三つ編みを背負った巨躯の豪傑少女・柴田勝家だった。大槍の柄を握りしめ、顔を真っ赤に染めている。
「軍師殿を泥水の中から救い上げ、背負って陣へ連れ帰ったのは余だ! 軍師殿の安全を守り抜けるのは、余の武勇をおいて他にない! 余が……余が嫁御寮に貰う!」
「ふふ、皆様方、主客転倒でおじゃるな」
広間の奥から煙管をくゆらせて現れたのは、正室の濃姫――帰蝶だった。妖艶な笑みを浮かべ、冷たい瞳で信長を見つめる。
「妾という正室を差し置いて、勝手に夫を娶るとは吉法師も随分と偉くなったものじゃ。ソウの差配する美濃の経済網は、すでに妾の掌の中。ソウを囲い込むのは、この妾でおじゃるよ」
「き、貴様ら……! 天下の主である余の命令に背く気か!」
信長が刀の柄に手をかけて怒鳴れば、家康は狸耳を逆立てて威嚇し、義元は優雅に扇で受け流し、光秀は帳簿を盾に抗弁し、勝家は大槍を構えて割り込む。
さらに、襖の隙間からは尾張や美濃の女武者たちが「我らも軍師殿をお慕いしております!」と黄色い声を上げて押し寄せてくる始末だ。
本能寺の大広間は、戦国史上最大の「愛重修羅場」と化していた。
「あ、あの……皆さん、落ち着いてください……!」
冷や汗を滝のように流す聡の声など、百戦錬磨の乙女たちの耳には届いていなかった。
◇◇◇
大騒動が一段落し、諸将が別室の宴会場へ引き取ったのは、夕暮れ時のことだった。
朱色に染まる本能寺の庭園を望む縁側に、聡は一人、心地よい疲労感を覚えながら腰を下ろしていた。
その膝の上には、彼が数年をかけて編纂した一冊の分厚い革張りの台帳――『日本総覧兵站簿』が開かれている。
そこには、全国六十六国の田畑の収穫高、街道の宿場町ごとに整備された米蔵と馬の配備数、撤廃された関所の位置、そして各地に設置された野戦病院の衛生基準が、整然たる複式簿記と数値で記されていた。
「ふぅ……合戦の指揮より、よっぽど命の危険を感じたよ」
聡が苦笑を漏らすと、背後から衣擦れの音とともに軽い足音が近づいてきた。
「……ソウ」
現れたのは、豪奢な小袖を脱ぎ、質素な白い小袖を身に纏った信長だった。
天下人の威圧感はそこになく、夕陽に照らされたその表情は、どこか儚げで、年相応の愛らしい少女そのものだった。
信長は聡の隣に腰を下ろし、そっと肩を寄せてきた。
「驚かせてすまなんだな。……だが、余の言ったことに、嘘偽りはないぞ」
「信長様……」
「尾張のうつけと呼ばれ、誰も信じられず、孤独に怯えていた余を、お前は泥の中から救い出してくれた」
信長は膝の上の帳簿に指先を滑らせた。
「飢えをなくし、病を退け、人が人を殺さずとも富が巡る仕組みをお前が作ってくれた。お前がいなければ、余はただ血を流し、人を殺し、最後には誰かに裏切られて炎の中で死んでいたはずだ」
信長の琥珀色の瞳から、一筋の涙が零れ落ち、聡の手の甲に温かく落ちた。
「余はお前が欲しい。天下など、お前が隣にいてくれねば何の価値もない。……余のそばに、ずっといてくれるか?」
天下の覇王が、震える声で差し出した小さな手。
聡はその華奢な手を、両手で優しく包み込んだ。
現代の商社で過労に倒れ、数字の奴隷として生きていたかつての自分。
だがこの乱世で、彼が学んできた知識は、多くの命を救い、少女たちの笑顔を守り、新しい時代を切り拓く力となった。
「ええ、もちろんですよ、信長様」
聡は微笑み、夕陽に染まる京の街並みを見渡した。
「私はあなたの兵站軍師です。誰も飢えず、誰も理不尽に命を落とさない泰平の世のために――生涯をかけて、あなたの隣で帳簿をつけ続けます」
「……うむ!」
信長は顔を綻ばせ、満面の笑顔で聡の胸に飛び込んできた。
その温もりを抱きしめながら、聡は静かに帳簿を閉じた。
刀と血塗られた乱世の帳簿は、ここに閉じられた。
そしていま、愛と数字で紡がれる、天下泰平の新しい物語が始まろうとしていた。
【あとがき・完結御礼】
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
武力ではなく兵站と帳簿、そして優しさで戦国を救った聡と、不器用で愛の重い美少女武将たちの物語は、ここでひとまず大団円を迎えます。
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【全12話 完結】ご愛読誠にありがとうございました!
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