仮面を被ったダンディー
オオカミっぽい魔物、グラスハウンドの群れとの戦闘。
僕の初戦闘でもあるそれは、結局の所ミューさんが全てを片づける形で終わった。
「それ、さっさと拭いた方がいいわよ」
僕に渡してくれた分とは別に、予備のナイフを持っていたらしい。ナイフで念入りにグラスハウンドにトドメを刺したミューさんが、僕の顔を見てそう言った。
そういえばそうだった、と僕はポケットティッシュを何枚か引っ張り出して、右頬のあたりにべっとりと付いた返り血を拭き取った。
火刑の時に焦げていてもおかしくなかった筈なのに、運よく綺麗に残ってくれていたポケットティッシュ。地球から運良く持ち込めた、数少ないものの内のひとつ。頬をごしごしと擦った後のそれを見てみれば、赤に若干紫が混じったような色に染まっている。
魔物と言えど、血が鉄っぽい匂いがするのは僕達と同じらしい。
ナイフも拭いておいた方が良いかな。
血を吸ったとはいえ何もしないよりはマシだろう、と頬を拭いたばかりのティッシュで、ナイフについた血も拭った。
ミューさんがこっちに歩いてくる。
「その見た目だと、無事じゃあなさそうね。怪我は?」
「……たぶん大丈夫です、どこも痛くないので」
「そう。それなら良いんだけど」
グラスハウンドに乗りかかられた時に爪が引っかかったのだろう、ただでさえ焦げと汚れで酷いことになっていた学ランが、切り傷だらけで最早ボロボロだ。なんならその下に着ているシャツまでもが数か所破れかかっていて、素肌が露出しかかっている。
乗りかかられたときの痛み方からして、絶対に傷が入ったと思ったのだが。見た感じではどこにも傷が残っていない。
まあ運よく僕の身体にまでは爪が届かなかったのだろう。ラッキー。
……ミューさんと出会った日、彼女に街中引きずり回されたときにも思ったことだが。
本当にそれだけなのか?
「すみません、結局ミューさんに頼ってしまいました」
「気にしなくていいわ。貴方のことだからどーせ腰でも抜かすと思ってたけど、思ってたより根性あるじゃない。初めてにしては上出来よ」
「ありがとうございます」
「……それと。今回は貴方の言った通りになるかもしれないわね」
ほらあそこ、と彼女が視線で示した先には、さっきまでグラスハウンドから逃げていた馬車が、ここから少し離れた所で止まっていて。馬車から降りた御者さんが、こちらに向かって走っている所だった。
そういえば馬車を助けるために戦ったんだったっけ。
……見捨てようと主張する彼女を説得しようと、その場の勢いで適当に言ったことだったのだが。僕の言葉の通りに事態は動いてくれたらしい。
「忘れてたって顔してない?」
その通りです。
「結果オーライということで」
「はあ。……そうね、今回は貴方が正しかったみたい。問題はあの人が食糧を分けてくれるか、もしくは私達を荷台に乗せてくれるかどうかだけど」
「……そうだ。貴方の右手のそれ、一応隠しときなさい。見つかったら面倒なことになるかもしれないから」
そういえば勇者の証たる聖印とかいうのが刻まれていたんだった。
とっさに僕は学ランのボタンを全部外して、袖で手の殆どが隠れるようにずらした。ちょっと袖を動かせば見えてしまうとはいえ、何もしないよりはマシだろう。元々ちょっと大きめのサイズだったのが功を奏したね。
そんなことを話していれば、おーい、と御者さんがこちらに呼びかけてきた。すっごい手を振ってる。
馬車で走っているときは遠目なのもあってよく見えなかったが、改めてその姿をよく見てみると……裏地が赤いマントと黒いスーツ、蝶ネクタイにシルクハット。そして目元を隠す白い仮面……
仮面で顔が下半分しか見えないが、パッと見の印象ではお兄さんよりかはおじさん、といった感じだろうか。
全体的な印象として、その見た目は御者さん、というよりも。
「マジシャン?」
「不審者ね」
荷車っぽいものとはいえ個人で馬車を持っている時点で、ある程度はお金を持っている人だとは予想できるのだが。その人はファッションに疎い僕でもそう分かるくらいには、いい値段のしそうな服を着ていた。それがかえってシンプル過ぎる馬車との対比となって、白い仮面と合わせて違和感を生み出しているというかなんというか。言葉を選ばなければうさんくさい。
隣のミューさんはというと、完全に怪訝な顔で推定マジシャンのおじさんを見ている。僕の目には物珍しく見えるだけで、この世界では一般的な服装……という訳ではないらしい。
「ありがとう、本当に助かったよ!」
僕達に散々な思われようなのを知らぬまま、推定マジシャンのおじさんは僕達の前で帽子を脱いで、いい笑顔で感謝の言葉を口にした。
栗色の髪の人のいいおじさんって感じだ。やっぱり目元を隠す白い仮面がすんごい気になるけど。
「お気になさらず。おじさまも大変でしたね」
「ははは……隣村までなら、と護衛をつけないで出てしまったけれど。間違った選択だったよ。」
「昔ならともかく、今はね……ここ数年で魔物の数もやたら増えましたからね」
ミューさんはさっきの怪訝な顔を跡形もなく消して、なんでもない世間話をするように、フラットな声音で話している。器用なものだ。
「ああ、そこの君は傷だらけじゃないか。私のせいで申し訳ない、すまないね。治療なら今すぐにでもできるから、せめてものお礼にやらせてはくれないかい」
「……あ、大丈夫ですよ。服はこんなですけど、僕自身はこう見えて無傷なので」
「そうなのかい?それなら良いのだけれど……」
「私の方も特には。お気持ちだけいただいておきますね」
「強いんだね、君たちは。私としては何かお礼をしたいのだけれど、どうしたものかな」
うーん、とおじさんが顎に手を当てて考える素振りを見せている。
動作や言葉選びに妙に演技がかっているように見えるのは、第一印象からくるただの邪推だろうか、それとも。まあそれはそれとして。
食料をねだるチャンスだ!
「それなら、少し食料を分けてもらえませんか。僕達の手持ちの食料が無くなってしまって、どうしてもお腹がすいてしまって」
「ああ、それならもちろん問題無いよ!」
「本当ですか!」
「確かパンと干し肉があるはず……とりあえず、荷台から出してくるからね」
パンと干し肉!
内心でガッツポーズ。心なしかミューさんも、いつもより表情が和らいでいるように見える。
もうすぐ何かまともなものが食べられる、となると急にからっぽの胃が主張し始めた。本来ならミューさん提案の生の雑草食べ比べディナー会が開催されるところだったのだ、たんぱく質が食べられるとなれば、頑張って魔物と戦った甲斐があるというものだ。
その場で待つのも落ち着かず、疲れた足もなんのそのでおじさんの後をついて行き。馬車の中に入っていったおじさんを見送っては、近くで適当に時間を潰す。
待っている間の暇つぶしとして馬の顔を遠目に眺めてみる。
あれだけ爆走した後の割には、そんなに疲れているようには見えない。もちろん素人の僕には分からないだけで、本当は疲れきって大人しいだけなのかもしれないが。
そうやってじっと見ていると、こちらに気付いたらしい馬と目が合った。かわいい。
そうして馬を見たり、考え事をするなりで暇を潰すこと体感3分くらい。
……物を探すだけの割には妙に時間かかってないか?
「……思ってたより時間かかるわね」
ミューさんも同じことを思っていたらしい。彼女がそう呟いた次の瞬間、おじさんが馬車からひょいと顔を出した。
なんかこう言いにくいことを抱えている人みたいな顔をしていませんか。
どうしたんですか。
「……あー、その。本当に申し訳ないのだけれど。干し肉を今切らしているのを忘れていてね」
「ちょっと待っていてもらえるなら、パンと雑草料理なら用意できるのだけど。それでも良いかな……?」
…………
やっぱり全部が全部思い通りとはいかないらしい。




