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神血の英雄伝  作者: 三坂 恋
第一章 守攻機関
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差し伸べた手

 アイカは、立ち上がった。


 だがその躰には、なお微かに怯えが宿っていた。

 震えは、足元に。冷汗は、背を伝う。

 それでも、その眼差しは、もう決して逸らされることはなかった。


 男たちが動いた。

 三人、その視線が一斉にアイカを捉える。

 一瞬の間。静まり返る林に、鋭い空気が走った。

 いつから、見られていたのか。

 九番の捜索に気を取られ、周囲の警戒を怠っていた。それに今さら気づいても、もはや遅い。


 だが、引くわけにはいかなかった。

 この場を取り逃がせば、自らの明日はない。

 連中は顔をしかめ、互いに目配せを交わす。

 その視線の奥に浮かぶのは、焦燥と打算だ。


「……あれを、連れて帰るか」


 声は低く、濁っていた。

 まるで吐瀉するような、忌々しげな響き。

 そのひとことに、他の二人も沈黙のまま頷いた。


 銀白の髪。蒼の瞳。

 自分たちの地域では、まず見かけぬ異貌。

 市場に出せば、いかほどの価がつくか――想像に難くない。

 八番の代わりとしては、むしろ過分とも言える“逸品”だ。

 年齢は幼く、剣も技も持たぬ身。

 こちらが動けるのは二人。

 子ども相手には十分だ。

 抗うすべなど、在るはずもない。

 彼らの眼には、そう映っていた。


 己が上だと信じて疑わない、愚かで傲慢なまなざし。子ども一人、どうにでもなると――本気で思っている。


 一人の男が、腰に差していたナイフを抜き取った。


 その刃先が、太陽の光を鈍く反射している。


「お嬢ちゃん、おじさんたちと一緒に来てくれるかな。大人しくしてくれれば、痛い思いをしなくて済むからさ」


 男の声には、作り笑いのような軽さがあった。

 だが、その瞳の奥には容赦のない色が灯っていた。 アイカは、黙ったまま立ち尽くしていた。

 手も足も微動だにせず、まるで石のようだった。


 男たちは、その姿を「怯え」と解釈した。

 ナイフにすくんで動けなくなったのだと。

 ニヤついた顔で、ゆっくりと距離を詰めていく。


「ほら、大丈夫。ちょっと来てもらうだけだから――」


 男の手が、アイカの腕に触れかけた――その瞬間。


 ――バチッ。


 乾いた音とともに、空気が弾けた。

 アイカの手が、稲妻のような速さで男の手首を掴んでいた。

 そのまま一歩踏み込み、男の体を引き寄せる。

 瞬間、もう片方の手が男の肘を的確に捉え――


「ッ……ぐあっ!」


 鈍い音が響いた。

 男の腕が不自然な角度に折れ曲がり、そのまま勢いよく地面に倒れ込む。

 顔を歪め、地を這うような呻き声を漏らした。


「この……ッ!」


 怒鳴り声とともに、二人目の男が素手で突進してきた。

 大振りな拳を振りかざし、真正面から叩き潰すつもりだった。


 だが――アイカは一歩も引かない。


 迫りくる男の腕が振り下ろされる瞬間、アイカはその勢いを利用するように、身を沈めて体を半回転させる。

 男の懐に滑り込み、その足を自分の足で払う。


「うっ――!?」


 体勢を崩した男に対し、アイカは素早く一歩踏み込み、肘を的確に男の脇腹へ叩き込んだ。

重心を失った男の体が、横倒しに崩れる。


 残った男は右足を引きずりながら、尻もちをついた。

 驚愕に目を見開き、地面に手をついて後ずさる。


 確かに、アイカには実戦の経験はなかった。

 だが、イヅキの特訓を、レイサと何度も繰り返してきた。


 何十回、何百回と。


 繰り返し見るうちに、体が勝手に動くようになった。

 イヅキの鋭い動きに比べれば、今の男たちの動きは、アイカの目には、ほんの少し遅く見えた。

 アイカに必要だったのは、ほんの小さな勇気。

 本当にそれだけだった。


 怯えきった男は、それでも何とか背を向け、四つん這いのような格好で地を這うように逃げ出す。


(やばっ……)


 咄嗟にアイカは体を反転させ、逃げた男の方へ視線を向けた。

 このまま村に戻られたら、何をされるかわからない。

 警戒心が一気に高まる。


 だが、その時――


「う、うわぁぁぁあああッ!!」


 突然、男の悲鳴が空気を裂いた。

 その声にアイカの心臓が跳ねる。何が起きたのか。 その声とほぼ同時に、村の方角から一人の人影が現れた。 

 太陽に照らされながら現れたのは、アイカもよく知る顔――ユサ・ハリスだった。


「見回り中に騒がしいと思ったら……なんだ、これは」


 ユサは足を止め、辺りを見渡した。


(……これを、アイカがやったのか)


 驚きよりも、納得のほうが先に立つ。

アイカはまだ幼いが、強くなる器は最初から備わっていた。

 それは、ずっと前から分かっていたことだ。


 だが――


 先ほどイヅキと話したときの様子では、アイカは今回の一件で心が折れかけているように思えた。

 しばらくはまともに立ち上がることすら難しいのではないかと。


 けれど今、目の前に広がる光景には、襲撃者の残党を一人で退けたという、明白な「事実」だけが残されている。


 ユサは言葉を飲み込み、静かに考え込んだ。

 その顔に浮かぶのは、感心でも驚愕でもない。

 ただ、複雑な感情の混ざった沈黙だった。


 一方、アイカはユサの存在に目もくれず、倒れた男の背後――隠れていた男の子の方へと静かに歩いていった。


 茂みの中から、男の子が静かに姿を現した。


 アイカは、彼の髪が金髪だと思っていた。実際、その通りだった――ただし、半分だけ。

 残りの半分は、透けるような白。鎖骨まで伸びた髪が光を受け、淡く輝いている。不思議なほど綺麗だった。

 歳は、三歳か、もしかすると二歳にも満たないかもしれない。

 男の子は、震える黄色い瞳でじっとアイカを見つめていた。

 その小さな体には、薄い痣が首や手首に浮かび、あちこちに細かい切り傷が刻まれている。

 それが何より、彼の過ごしてきた時間を物語っていた。


 アイカは、その場に音を立てないよう、ゆっくりと腰を下ろした。


 そして一瞬、迷った。

 どんな言葉をかければいいのか。

 「もう大丈夫」「安心していいよ」

 そんな言葉は、浮かびもしなかった。


 アイカは、そっと男の子に手を差し出す。


「掴んで」


 思いきりの笑顔で。

 どこか頼りなさそうで、それでも不思議と力強さを感じさせる笑顔だった。


 男の子は、ためらいながらも、その手を取った。


 アイカは、彼の小さな手をやさしく包み込む。


(強くなるんだ――)


 今、この子に手を伸ばすことが出来たように。

 アイカは、男の子の小さな手をやさしく包み込む。

神血の英雄伝(イコルのえいゆうでん) 第七話

読んでくださりありがとうございました。

次回も読んでいただけると嬉しいです(՞ . .՞)︎

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