悪魔と人
part隆志
俺とキャリバンと、それからヴェルギリだけとなったエントランスホール。俺たちはなにを話すでもなく、ただ、全て終わったのだという実感に身を委ねていた。
張り詰めていた神経が解れるにつれ、麻痺していた感情はその振れ幅のままに胸を打つ。キャリバンが泣きじゃくり始めた。どんなに反発していたとはいえ、それは憎しみからではない。単なる気性と言ってもいい。シコラクスのことだけではない、ミランダやミラーレだって、キャリバンには仲間だった。少なくとも、今まで過ごしてきた中で、最もそれに近い者たちだった。親と、仲間。それを同時に失う悲しみは、俺にしてみても察するに余りある。
俺はキャリバンを抱き寄せる。慰めもささやかにしか出来ない俺だ。キャリバンの望む言葉はない。
ふと、第一魔界に続く断崖の縁、なにか動くのが見え、目を凝らす。断崖の縁に掛かっているのは女の手だ。にゅっと、頭を出すのはシコラクス。目を疑った俺は、思わずに目を擦りそうになる。
シコラクスは「よっこいしょ」の形に口を動かし、断崖をよじ登り、床にしゃんとして立つ。俺を見て、にやりと笑うと、時空の歪みを作ってどこかへ消えた。
――キャリバンには内緒にしておけ。
そう、俺に願って。
気の毒な気がしつつキャリバンを見る。キャリバンは涙を拭うと凛として俺を見た。面持ちからは平生の粗暴さなどは抜け落ちている。覚悟を持った強い瞳だ。
「旦那、これで終わったわけだけどよ、話があるんだ」
「なんだ?」
「俺は、第二魔界に帰らなきゃならねえ。お袋が、シコラクスが、第二魔界の魔王が死んだから、誰かが次代を務めなくちゃな……」
「あ、ああ」
「急にいなくなるんで、旦那には悪いけどよ。ミランダやミラーレのことは、俺が良くやっておく」
「うん」
「第三魔界の魔王もいなくなっちまったからな。そっちも早いとこ魔王を決めねえと、ひどい混乱が起きるだろうから、俺も手伝わねえとな」
「大丈夫か?」
「……わかんねえ。けど、俺、思うんだ。責任から逃げても無駄だって。逃げらんねえから責任なんだ。果たせなかったら潰れるだけだ。だから、大丈夫じゃなくても、やんなくちゃいけねえんだよ、俺は。今までの分も含めて」
「そうか」
キャリバンを離して、俺は腕を少し持ち上げる。体からヴェルギリが腕へと移る。
「ピキー」
「一人で抱え込んでも良いことないぞ、とヴェルギリが言っている」
意外そうな眼差しで、ヴェルギリをキャリバンが見た。反省を滲ませた微笑みは、どこか大人びた風情。
「ピキー」
「あと、ヴぇーたんと呼ぶなって……なんのことだ?」
「それは、俺に関係ねえよ」
ヴェルギリがキャリバンに飛び付いた。
「ヴェルギリのこと、よろしく頼む。それと、他の魔剣とベアトリも。好きにしてくれ」
「旦那?」
「それと、これから大忙しのお前に頼むのもあれだがな、今後は一切、俺に悪魔が近付かないようにしてもらいたい。お前としても、俺の魂が他所の悪魔に取られたりして困るというのも嫌だろう?」
言葉を失うキャリバンだったが、俺の願いの意味に気付いて、はっとする。
「あ、だ、旦那……」
「俺の意志だ。間央隆志は昔も今もこれからも、ずっと人間だからな。瘴気の魔王との関りなんて一切なしだ」
なにか言いかけ、ぐっとなにかを飲み込んだ様子のキャリバンは、それでもやはり、おそるおそるに口を開いた。
「じゃあ、最後に一個、質問させてくれ」
「なんだ」
「旦那はさ、俺のこと、好きか?」
「好きだよ。良き友人として、仲間として」
一瞬の間。そしてキャリバンは大笑いした。腹を抱えて呵々大笑した。目元の涙を拭う。
「いや、すまなかったな、なんでもねえよ」
キャリバンは、笑うのをやめた。お互いの間に、沈黙がよぎる。
もう少しでお別れだ、そう思うと、なにを話してよいやらわからない。なにか相応しい言葉を探そうとして、日常の、なんでもない会話が交わされていく。思い当たる言葉などなかった。
「ところでキャリバン、質問してもいいか?」
「なんだ?」
「お前の父親って誰なんだ?」
「父親?」
「そう。シコラクスの夫」
「いねえよ」
「いない?」
「俺が生まれた時からいねえ。いたって話もありゃしねえ。お袋の瘴気から生まれたとか、そんなんだろ」
「ふーん、そっかー……」
――実はのう、妾、ここにくるまで今ある魂の半分を使っててな、もう四分の一しか魂が残っておらんのじゃ。その所為で元気が足りぬ。
そういえば、シコラクス、あんなことを言っていた。あれはつまり、そういうことだったとすれば、成程な。あいつはまんまとし遂げたわけだ。俺やアントニウスはまたしても、あいつの掌の上で転がったというわけだ。いや、あいつは単に、不測の事態を利用したに過ぎないが、それでもやはり釈然としない。あいつはいつまで経っても女狐だ。
「キャリバン、お前は――」
「え?」
「いや、なんでもない。お前は良心だよ」
「は?」
「よりにもよってな……」
キャリバンのこの先を哀れんで、俺はまたひしとキャリバンを抱き締めた。そうは言っても、きっと退屈しないだろう。寂しさだって、まともに感じることもあるまい。あの女狐の悪戯相手はそういうものだ。過去を振り返って感傷に浸れるくらいになったなら、気持ちの整理もついている。
まあ、はっきりと言ってしまえば、自分で自分に悪戯しているわけで、誰にも迷惑掛かってないのだ。もうなにも言うまい。
そうしてこうして、過ぎていく時間はやはり永遠ではない。地鳴りが起こる。術者の力がなくなって、結界が崩れ始める。早く出ないと、時空の狭間に取り残される。
「……それじゃあな、キャリバン」
「ああ、達者でな。旦那」
「お前も。ヴェルギリもな、元気でやれよ」
「ピキー」
「じゃあな」
本当に、気の利いたことも言えない。一歩歩むのすら惜しく、しかし留まる気持ちもない。この結界はビルのみを覆うもの。正面玄関を脱け出てしまえば、そこはもう元の人間界。悪魔とは、死ぬときまでお別れだ。
玄関を出る直前に、立ち止まる。振り返ろうか迷った末に、俺の背中を押すようにして風が吹く。
泣くこともないか。
俺はそんな言葉を頭に浮かべて、仮初の魔界を後にした。
part悪魔
旦那が結界を脱け出ていく。ちっこいエーリアルが旦那の後ろをついていく。てくてくと、一体だけ。流石の旦那も気付いていまい。なんせあれでは、正真正銘ただの風。瘴気も邪気もなにもない、単なる風なのだから。
「さて、と」
ヴェルギリを見る。相も変わらずヤな見た目だが、慣れないわけにもまいらない。なんてったって、旦那から預かった大事な相棒、そして、俺の味方だ。それに「ピキー」と、多分だが、こいつは俺の友達のつもりでいるのだ。旦那やミランダが、なんでこいつの言葉がわかるのか、てんで不思議でしょうがなかったが、今ちょっとだけそれがわかった。
時空を歪めて、結界内の第四魔界へ。そこにいるのは馬鹿二匹。
「この二振りの刃に、俺の魂を懸けよう! これで、最後だ!」
「くっ、何故だ、何故そこまでする!? これほどの傷を負いながら、これだけの戦力差がありながら、何故!?」
「俺はお前の盟友であり戦友だ。友の過ちを正すことこそ友誼。お前の考えは間違っている。理想は何者かに託すものではない。自らに課すものだ! そのことは前々から感じていた。アユスルオキナでもない、アリゲーリでもない、お前はお前自身、レギオニステラに理想を託すべきなのだ!」
「わ、私自身に……! く、貴様の考えはわかったが、だがやはり、こうまでして食い下がる理由にはなるまい! 貴様の誇り高さは承知のうえだが、なにもこうまですることは……!」
「レギオニステラ、俺は、お前のことが――」
「トニカトゲウ!」
「はいドーン!」
錨で両者をぶっとばす。久々にまともな一撃を入れた気がする。ちょっとすっきり。
弾まない毬みたく地面を転がる馬鹿二匹。タフネスだけは超一流で、ずたぼろながら起き上がる。周囲の傷跡から見るに、かなりの激戦を繰り広げていたのは間違いないが、さっさと決着付けろと言いたい。
「キャリバン、貴様、何故ここに!?」
「もう終わりだよ、馬鹿。地鳴りが聞こえねえのか。決着は付いた。アユスルオキナは死んだ。アントニウスも死んだ。第二魔界の魔王は俺で、第三魔界はお前らのどっちかがやれや。あと、隆志の旦那はもう悪魔とは関わらない。以上」
「なに、なんだと!?」
「あ~、もう、面倒くせえな。とにかく第三魔界に戻るぞ」
時空の歪みを開けて、ふと気付く。
「あれ、ヴェルギリ? どこ行った?」
結界内のビル、エントランスホールにて。断崖から混沌の炎が収束していく。結界内全体の術式が崩れ去り、魔界の召喚が維持できなくなったためだ。
断崖を、よじ登る者がいる。彼は、上半身だけの無惨な姿。それでも尚、尋常ならざる生命力と執念で、第一魔界の混沌に飲み込まれる寸前で、崖の凹凸に手を伸ばし、そうしてやり過ごしたのだった。
「これが、運命か。いや、これも運命か。俺はまた敗れたが、生きている。まだ死なぬ運命にある。王としての俺の存在が、俺の消滅を許さない。仕方あるまい。いいだろう。今はまだ運命に甘んじてやる。だが、必ず運命を超克し、いずれは第一魔界の混沌、世界の原初、神の領域さえ踏み越えて――」
黙々と思念するアントニウス。崖を登りきったとき、待ち受ける者がいた。
「ピキー」
「貴様ッ!」
大きな口が開いて、アントニウスにかぶりつく。上顎を腕で抑えるアントニウスだが、彼の悪魔がそれを閉じる力は、地球を背負わされる如くにも錯覚された。
そしてアントニウスは見る。彼の悪魔の喉に連なる世界を。
「貴様! 何故貴様の口が第一魔界に――」
肉の潰れる音がして、場は静寂が支配する。アントニウスはそのまま丸呑みされた。
「ピキー」
彼は「おいしかった」と独りごち、一人その場を後にした。
――王とは古来、人を支配する者の称呼ではない。王とは、神の僕、神の最も近きにあって、神の言葉を、意志を、血統を、寄る辺ない民草に与え導く者。神に叛意を持つ王など在り得なく、もし在るとしたならば、それは嘗て王で在ったもの。
王たる資格を失くした王が、ただ神に赦しを乞う生贄となるは古よりの法である。




