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瘴気の魔王アリゲーリ  作者: こんたくみ
1幕.悪魔が来りて
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1-6.もし私たちニートがお気に召さなければ、こうお考え下さい、そうすればすべて円く納まりましょう……


 懐かしい夢を見ていた。なんでも出来ると思っていた子供の時分。幼馴染と遊んでいた俺は、前世と同じように力を振るえるつもりでいた。本当に馬鹿なことだったが。夢の中の俺はそのときと同じで、幼馴染の前で馬鹿をやった。エーリアル、と叫んで、なにも起こらなかった。俺は幼馴染に笑われた。恥ずかしいことこのうえなかったが、同時に安心していた。幼馴染が笑い飛ばしてくれたことに。蔑むように見られていたら、あるいは罵声を浴びせられていたら、俺はどうしていただろう。そうして俺は幼馴染と同じことをしようと決めた。誰かの失敗を、責めるのではなく、笑って許せる人間になろう、と。

 目を覚ますと、腰や肩やら首が痛んだ。不自然な体勢で寝ていたからだろう。おまけにエーリアルに寄りかかられている。


「アリゲーリ、もう陽は昇りきっています。いつになったら起きるのかと思いました」

「起きたいときに起きるさ」


 エーリアルの頭を撫でる。エーリアルはにっと笑って目を細めた。俺は微笑み返した。


「隆志さま」


 声に、前を向いた。正座するミランダが項垂れていた。強張らせた体からは、自責の念が滲み出ている。


「申し訳ございませんでした。如何様(いかよう)な罰も受ける所存でございます」

「じゃ斬首です」

「止せエーリアル」


 エーリアルを脇に退け、ミランダの前に進み出る。ミランダは顔を上げた。悪戯な笑みがよく似合いそうな顔は、痛ましいほどに落ち込んだ表情だった。ミランダの顔を見て、場違いに昨夜のことを思い出してしまう。誰にというわけでもないが、咳払いをして誤魔化した。


「ミランダ、お前にも事情があったんだろう。罰を与えるつもりはない」

「流石はアリゲーリです。無慈悲な慈悲で右に出る者はありません」

「なんだと?」

「そいつは失敗に失敗を重ねた挙句に死に損なった無能の淫乱女です。今さら魔界に戻ったところで生き恥を曝すだけ。のみならず、それはもう悪魔も震え上がるような処罰を受けるに違いないのです。ここで首を刎ねてやるのが慈悲ってもんです」


 私を取れ、と手を差し伸べてくるエーリアル。俺はミランダを見た。ミランダは覚悟を決めた表情で、頷いた。


「魔界にて恥の上塗りをするよりも、ここで隆志さまの手で引導を渡してくださるならば、ミランダは至福にございます」

「ほれ、アリゲーリ。阿婆擦れもこう言っています。一思いにヤっちゃいましょう」

「ふざけるなよ」


 俺は立ち上がって、ミランダとエーリアルを見下ろした。


「一度こうと誓ったからには、それを覆すようなことはしない。ミランダは殺さないし、殺させもしない」

「では生き恥魔界行脚(まかいあんぎゃ)です。帰れ! 魔界に帰れ!」

「うっ、あうっ」

「止せったら」


 ミランダの頭を足蹴にするエーリアルを引き離す。ミランダは返す言葉もない様子で、周りの空気が黒く淀んでいるようにさえ見える。


「落胆するな、ミランダ。要は魔界に戻らなければ済む話しだ」

「おうおうほほう、安住の住処を求めて彷徨(さまよ)えと言うのですね。アリゲーリはやっぱり言うことがちが――」


 エーリアルの口を塞ぐ。もごもごと、それでもなにか言い続けているが、無視に限る。


「ここにいろ、ミランダ」


 俺を見たミランダの顔に、喜色が差した。しかしすぐに困惑と遠慮に取って代わられる。


「それは、私にとって願ってもない申し出です。ですが、ですがそんなことを許されては、隆志さまの沽券に関わります。襲ってきた相手を許し、加えて側に置くなどと。それに隆志さまも最初に仰っていたではありませんか。ここにいてよいのは一晩だけだと」

「そんなこと言ったか? 憶えていないな」

「隆志さま……」

「ここにいろと言ったらいろ。それで全て解決するだろう」


 ミランダは悲しそうな目で、けれど意思のはっきり籠った眼光で、首を横に振った。


「できません。私はここにいるべきではありません」

「ここにいろ」

「できません」

「ここに、いろ!」

「できません!」

「だったら――!」


 俺は腕を振った。すかさずエーリアルが剣の姿になる。ミランダの白い首筋に、エーリアルの剣先を添えた。ミランダは驚いてびくりと硬直した。しかしすぐに真剣な顔に戻って、俺の目を真っ直ぐに見詰めた。


「本当に首を刎ねるぞ」

「感謝します、隆志さま」


 ミランダは目を閉じると体から力を抜き、心なしか首を伸ばして、斬り易いようにした。俺は自分の顔が苦々しく変わるのを認識した。


「冗談じゃないぞ。本当にやるぞ」

「もちろんです」

「やるったらやるからな」

「どうぞ」

「いいんだな」

「はい」


 俺とミランダの間に沈黙が流れる。ミランダは目を瞑ったままだ。俺は久しく感じていなかった無力感を感じていた。

 俺が物心ついた頃、魔王の力を使おうとしたときのこと。自分の力は所詮、持って生まれたというだけで、自分自身の強さとは呼べないことを悟った日のこと。なにもかも嫌になって、全て投げ出した日のこと。思い通りに行かないのが嫌で、嫌で嫌で、もうなにも望まないと決めた日のこと。

 俺は今ミランダに、自分自身の望みを強要していた。ミランダに助かってほしい、ミランダにここにいてほしい、だけど俺の生活は乱さないでほしい。全て俺のエゴで、我欲で、(てい)の良い大義名分で繕っただけの浅ましさだ。正しいのはミランダで、間違っているのは俺なのだろう。だったら、もういい。知るか。

 エーリアルを放ると、ぱっと少女の姿に変身して着地した。ミランダがそっと目を開く。俺はミランダとエーリアルに背を向けて、横になった。


「隆志さま……?」

「勝手にしろ!」

「おうおう、アリゲーリが拗ねました」


 俺の生真面目な心中を察しないエーリアルが勝手なこと言う。幾ばかりかの間が空いたあと、ぷっ、と吹き出す音が聞こえた。


「あは、ははは、はは」


 ミランダの笑い声。俺は顔だけ向けて、ミランダを見た。ミランダは腹を抱えて、目元を拭っていた。目元に光るものが見えたのは、気の所為ではない。


「ありっ、ありがとうございます、隆志さま」


 俺はなにもしていないのだ。礼を言われる筋合いなどない。俺は顔を戻した。それから誰かさんの啜り泣く声が聞こえて、誰かが部屋を出て行って、それきり部屋は静かになった。

 外が薄暗く、藍色ががってきた頃、俺は体を起こした。振り向くと、膝を抱えたエーリアルが俺を見ていた。部屋を出ると、エーリアルも付いてきた。


「なんで付いてくるんだ」

「剣は武人の魂です。肌身離さず傍に置くものです。そしてエーリアルはアリゲーリの剣」

「俺は武人じゃない」


 階段を下り、居間の扉を開けた。台所の方で作業するカーチャンの後ろ姿が見えて、慌ててエーリアルを押し戻した。


「どうしました、アリゲーリ」

「静かにしていろ、カーチャンだ。全く気付かなかったな、いつ帰って来たんだ」


 一先ずエーリアルを部屋に戻そう。そう考えて、階段を上ろうとした矢先、居間からカーチャンのものではない、女の声が聞こえた。


「なるほど、人間界にはこんな調味料があるんですね」


 迅速に踵を返して居間に乗り込む。こちらを見遣るカーチャンと、その隣に、エプロンを身に着けたミランダがいた。


「なにしてんだ?」

「夕飯の支度に決まってるでしょ」

「人間界の料理を勉強するために見学したいと申し出たら、快く承諾してくださいました!」

「いや、そうじゃなくてだな、どうしてここにいるのかという質問を」

「なに、居ちゃ悪いの?」

「私から説明いたします」


 立ち尽くす俺に、ミランダが小走りに寄ってきた。白いエプロンはミランダによく似合っていた。見下ろした位置にある谷間に目がいき、頑張って目を逸らす。


「言行を二転三転させる私に対して、隆志さまがお怒りになるのは当然です」


 それを勘違いしたミランダは、神妙な口調で話を続ける。ミランダが不意に俺の手を取った。驚きが表情に出てはいないかと、内心で焦る。


「それについてはもう一度、謝らせてください。そして隆志さまの気が変わって、やはり私の首を刎ねると仰るのでしたら、甘んじてそれをお受け致します」

「いや、それはないが」

「ありがとうございます。そして、私がここにいる理由ですが……隆志さまがここに居ても良いと仰って下さることは、それは当初の私の目的に合致することでございます」

「ああ、俺の生活を観察するとかなんとかの、あれか」

「はい。とはいえ、私はもはや死んだ身も同然。私の命は隆志さまのものです」

「いや別に俺は――」

「ですから、隆志さまが不快に思うようなことは致しません。ご用命がある場合には、なんなりと私にお申し付け下さい」

「いやだから俺は――」

「一切を包み隠さず言うのであれば、私は隆志さまに恩返しがしたいのです。そしてその為に、本来の責務を口実に致しました」

「ミランダ、それは――」

「はい、恥ずべき行為です。ですがそうでもしなくては、私自身にけじめがつけられなかったのです。魔王でありながら清廉な心を失わぬ隆志さまには、ひどく惨めで意地汚い女に見えるでしょう。軽蔑してください、罵ってください。それでも隆志さまのお側に仕えることが私の――」

「もういい、もういいんだ、ミランダ。だから頼む、黙ってくれ」

「はい」


 俺は一気に疲れた気分に陥り、椅子に腰掛けた。どこから考え出せば良いのやら。カーチャンもカーチャンで順応力が高すぎというか、肝が太すぎる。だって破廉恥な格好した自称悪魔の美人だぞ? 怪しい風俗とか考えないのか? この分だとエーリアルを見てもなにも言わなさそうでなんだか怖い。

 ふと、手を撫でられていることに気が付いた。ミランダはさっき掴んだ俺の手を、両手に包み込んでいた。しっとりとして柔らかく、華奢な感触。ミランダはなんとなくうっとりした目付きで俺の手を見ている。


「ミランダ?」


 ぬるり、という擬音を連想したのは何故だろう。ミランダはやや上目遣いに俺を見た。どことない熱っぽさを感じる。


「あ、ええと、どうかしたのか?」

「い、いえ! なんでもありません!」


 急に顔を赤くしたミランダは、ほとんど飛び退くように、俺の手から手を離した。それから自らの腕を掻き抱くようにして、恥ずかしげな視線を俺に送った。


「なにか、あったのか?」

「なにも」

「本当か?」

「……隆志さま」


 ずい、と一歩前に出たミランダは膝をついた。俺の膝に手を置き、俺を見上げた。谷間が見えた。目を逸らそうと思ったけども、もういっそのこと見ちゃえ。


「どうかしたのか、ミランダ」

「もし、隆志さまがお望みでしたら、私どんなことでも致しますから」

「そうか」

「はい、どんなことで致します」

「わかった」

「本当にどんなことでもしますからね?」

「うむ」

「なんでしたら、今夜にでも……」


 ぺろり、とミランダは舌なめずりした。なにかを思い出すように恍惚としながら。瞳がうっすらと、紅く輝く。そのミランダの後頭部が叩かれた。首が勢い良く前に倒れて、ミランダの顔が股間に埋まった。激しい焦燥と共に、俺は椅子を立ち上がる。絶対バレた絶対バレた絶対あたった!

 ミランダを叩いたエーリアルが、憮然とした表情で俺を見ていた。


「なに(たら)し込まれようとしてるんですか」

「いや、そんなことは……というかお前、どうしてくれるんだ。大変なことになっちゃったじゃないか」

「は? なにがです?」


 エーリアルは純粋に分からないらしく、無邪気に首を傾げた。まあ剣だしな。少女の姿に化けているし。


「ふ、ふふっ」


 真下から、不穏な笑いが聞こえてきた。顔を上げたミランダには、勝者の笑みが張り付いていた。まだなにもしていないというに。


「中々ご立派なものをお持ちのようで……」

「やかましい、なにもしないからな、あっち行け、しっし」


 含みのある会話に、エーリアルが不機嫌になる。三つ巴に言い合っていると、カーチャンが夕飯を運んできた。


「なんで立ってるの? ご飯できたわよ」

「ああ、ありがとう」


 テーブルに並んだのは、ご飯と味噌汁と、冷奴と焼き魚だった。俺は作法を無視して、真っ先に冷奴に箸を伸ばした。軽い舌戦の所為で暑い。冷たいものを食べたい気分なのだ。

 角の丸い長方形は、陶磁を思わせる白。滑らかさを予感させる潤いに、冷感を覚える水が皿にうっすらと溜まっている。さらに刻み葱と生姜を頭に乗せ、見た目に美しい。そこに醤油を掛ける。豆腐と醤油の色の対比と、醤油と一部分を溶け合わせる生姜、葱の緑。芸術的なまでの、しかし食欲を削ぐことない色合い。旨そうだ。箸を入れると、くっと形が歪み、そして元の形に戻る。箸は内側へと入り込む。軽くつまむと、丁度良い量が切り分けられて、箸の上に乗った。生姜と葱も適量だ。口に運ぶ。豆腐の滑らかさ、生姜と葱のピリッとしたアクセントが楽しい。豆腐の癖がある匂いは、醤油によって中和され、むしろ醤油の濃さを程良くするファクターとなっている。


「おいしいですねぇ!」


 ミランダはむしゃむしゃと食べ進めながら、本当に幸せそうな顔をして言った。見ているこっちが幸せな気分になれる、素敵な顔だ。食べさせ甲斐がある。まあ、俺が作ったわけでもないが。


「エーリアルさんは食べないんですか?」

「エーリアルは剣です。食うわけねえだろ」

「そっかぁ、おいしいのに。なんか残念ですね」

「お? なんだヤんのか? おいコラ」


 ミランダとエーリアルが騒ぎ出す。俺はこっそり笑った。どうやら今までの日常とはさようならだが、その分それなりに楽しいことがありそうだ。


「だったらその魚をよこせ! 食ってやる!」

「ええー、無理しない方が良いんじゃないですか?」

「やかましい! 挑発したのはそっちです! さあ寄越せ!」

「嫌です! 私が食べます!」

「テメーこのアマ! ふざけんじゃねえ!」

「お前ら頼むから黙っててくれ」




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