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瘴気の魔王アリゲーリ  作者: こんたくみ
1幕.悪魔が来りて
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1-5.うっふんあっはん


 桃色の唇は官能的に柔らかく湿っていた。ミランダの口が開くと、理性が溶け落ちそうな吐息が零れた。それをより強く求めて、俺がミランダに顔を寄せる。

 俺はミランダを望んだ。抱き抱かれるミランダの肉体の華奢、そことここの柔らかさ、触れて擦れ合う肌の温もりと熱さ。触れて感じる唇の柔らかさと舌先の繊細な熱。

 ミランダという存在のありとあらゆるものに(かつ)え、そのなにもかもを求めた。俺とミランダは舌を絡めた。本能的に、或いは理性が理性を打ち壊そうとしているように。

 甘美な時間が過ぎる。なにか訴えたげなミランダの様子に、名残惜しくも舌を離した。


「隆志さま、そろそろ……」


 熱っぽさと、欲を刺激するのに十二分な媚びを含んだ声音に、俺は操られたかのように動いた。躊躇いや恥じらいなく受け入れようとするミランダ。と、そこに


「アリゲェーリイィィ!!」


 爆音が頭の中で割れるように響いた。「ぐあッ!」念話の一種だろう、カントリーミュージックを聞いた火星人よろしく、脳みそが破裂しそうになる。エーリアルの声だった。俺は頭を押さえた。


「隆志さま?」

「ぐだばれ゛や゛あ゛アァァ!」


 開いた窓からエーリアルがすっ飛んできた。記憶にないほど逆上したエーリアルは、まるで黒色の彗星かなにかのようだった。

 紛れもない殺意を帯びて、それこそ彗星のような速度で、エーリアルはミランダを襲った。人間の動体視力では追いきれない。俺はミランダが刺し殺されたと思った。エーリアルの弾かれる金属音を聞いても。

 少女の姿に変身させられたエーリアルが、床に這いつくばっている。目から敵意が溢れんばかりにミランダを睨みつけているが、微塵も動けそうにない。ミランダの現出させた瘴気に圧倒されていた。使い手がいないとはいえ、本気を出したエーリアルが押さえ込まれている。俺はそんな光景を間近で目にしても、ちっとも信じられなかった。

 前世の記憶をどれほど辿っても、エーリアルが俺こと魔王アリゲーリ以外に倒されたことはない。確かに使い手がいてこそ十全の実力を発揮するエーリアルだが、エーリアルを越える実力を持った者がいなかったからこそ、使い手のいないまま数百年ほど打ち捨てられていたエーリアルだ。


「さあ、続きをしましょう、隆志さま」


 ミランダの声に、やっと現実に戻る俺の意識。見上げるミランダの肢体と、影になった顔。紅い瞳だけが燦然と輝いていた。

 ミランダの手が俺の胸板に乗り、例えばクリームを塗り広げるように円を描いて撫で動いた。そしてくっと持ち上がるミランダの腰。一瞬で理性が蕩ける。


「があああっ!」


 情けない俺の耳に、エーリアルの悲痛な叫びが飛び込んだ。俺の理性を揺り動かして、咄嗟に声を上げさせた。


「待てミランダ!」

「待ちません」


 容赦なく腰が落とされようとする刹那。エーリアルから瘴気が迸って、俺とエーリアル以外のなにもかもが静止した。

 生きた心地がしないとはこのことだろう。と同時に蛇の生殺し。ともかく俺は心底エーリアルに感謝した。世界は完全に無音となり、一切の活動を停止した。時間が、止まっていた。

 俺はミランダの下から上向きに這い出て、エーリアルの傍に寄った。


「取り敢えずそれしまえ」


 言われ、慌ててズボンを上げる。エーリアルは厳めしい面で俺を見ていた。肝が冷える心地がして、俺はようやく完全に理性を取り戻した。


「動けるか?」

「おー、おお、おお、真っ先の謝罪がないとは、流石のエーリアルもむかっときます」

「……すまん」

「言わんこっちゃねえってんです。あれほど斬れと言うたに、なに考えてんですか。なにやってんですか。なにやろうとしたんですかッ!?」

「……本当にすまん」


 けっ、と不貞腐れた素振りをするエーリアルは、けれど目だけはやはり、じっと俺を見ていた。


「それで、動けるのか?」

「無理です。元の姿にも戻れません。強制的に変化させられてます」


 動こうとするエーリアルは、瘴気に拘束されてもがくだけとなった。俺は申し訳なく思うのと同時に、ミランダに対する焦りを感じた。


「ミランダは食わせ物じゃないかと疑いもしたが、まさかお前を圧倒するほどだったとはな。そんな悪魔はそうそう――」

「馬鹿かッ!」


 叱責に、言葉を詰まらせる。エーリアルは怒っているというよりも、必死の形相で、叫ぶように言った。


「こんな塵芥同然の悪魔如きにエーリアルが圧倒されるわけはねえんです! エーリアルを倒せるのは、使えるのはアリゲーリだけです! この憎たらしい女悪魔は、アリゲーリの精気を吸って一時的に力を向上させているだけですッ! この、馬鹿ッ!」

「そうか、そういうことか……」

「これでわかったでしょう、そいつの本性が。悪魔なんてそんなもんです。利用されているのも気付かないうちに利用されているもんです。狡猾さとは縁遠かったアリゲーリには馴染み薄かも知れませんが。良く聞いてください、アリゲーリ。アリゲーリが信頼して良いのはエーリアルだけです。エーリアルは剣です。道具です。だからエーリアルはアリゲーリを裏切りません。だからさっさとその女を殺してください」


 俺はミランダを見た。ミランダの言行を思い出す。疑い出したらきりがない。だから、俺は、一度決めたことを貫き通す。


「すまんな、エーリアル。お前の希望は望み薄だ」

「アリゲーリ!」

「だがすまん。我が儘を聞いてくれ。俺がまたミランダの色香に迷いそうになったら、また頭が割れるような声を出してくれ」

「ふざけんなってんです。仕方ありません。ふざけんなってんです……。時間が動きますよ」


 ぺたんと、ミランダが布団の上に、尻を付けて座り込む。瞬間の戸惑いを見せた後、ミランダは振り向いた。


「あれ? どうやってそっちに行ったんです?」

「それはどうでもいい、いったん落ち着けミランダ。もう傷は治ったはずだ。これ以上つづけても意味はない」


 俺の言葉にミランダは目をぱちくりさせた。しばらくの間を置いて、ミランダの瞳が潤む。顔をくしゃっとさせて、ついに泣き出した。


「嫌ですか? 嫌いなんですか? 私はもっとしたいです」

「いや泣くな。もう必要ないだろうと言っているんだ」

「わたっ、私、こんな気持ちになったの初めてなんです。いま隆志さまに拒絶されたら、私……」


 幼気(いたいけ)なミランダの有り様にたじろいでしまう。ついつい抱き締めて慰めたくなる。そんな妄念をエーリアルの怒号が貫く。


「聞くなアリゲーリ! 全部そいつの演技です! 精気を吸い尽くされたら死にます。人間の体なんです忘れないでください!」

「嘘じゃないです、全部ほんとうです! お願いします隆志さま、私を――」

「黙れこの阿婆擦れが!」

「ひどい!」

「死ね!」

「ちょっと落ち着けお前ら」


 ミランダとエーリアルが俺を見る。一先ずエーリアルには黙ってもらって、ミランダはなんとか説得してみよう。


「エーリアルは会話に割り込むな。ミランダ」

「はい」

「お前はいま冷静じゃない。それは分かるか?」

「分かります。体が火照って、凄くドキドキします。一秒でも隆志さまと離れるのが辛くて、苦しくて……お願いします、早く……」


 全裸に近く、色白で肉感的な体を、ミランダは慰めるようにくねらせた。それを見て反応する俺を知ってか知らずか、エーリアルが唸り声を上げた。それを視線で制しようとしたが、エーリアルの形相が凄まじかったので目を逸らしました。


「これは俺の憶測だが、ミランダは俺の精気を吸収したことによって、力が上がり過ぎている。朝まで待って、力が落ち着くのを待とう。そうすれば冷静さも戻って、まともな思考が出来得るというものだ。それがお互いの為になる」


 俺の言葉を聞いて、衝撃を受けた顔をミランダがした。四つん這いの体勢で、俺ににじり寄る。俺は後退(あとずさ)ろうとしたが、背中が壁に到達していた。


「朝まで、なにもするなと隆志さまは仰るのですか?」

「そうだ」

「そんなこと無理です。私の気持ちを分かってくれないのですか? こんなに、こんなに隆志さまを欲しているのに……」

「ミランダ、正直に言って俺も我慢しているんだ。だからお前も我慢してくれ」


 エーリアルの殺意が増し増しになるのを感じつつも、俺の意識は目前のミランダに向いている。ミランダの手は既に、壁際にへたりこむ俺の腰の横にある。唇と唇の距離は、5センチくらいしかない。喋ればお互いに吐息が掛かる。


「分かりました。我慢します」


 ミランダが言った。言葉の内容とは裏腹に、我慢すると言った言葉は甘ったるく、情欲を駆り立てて止まない声だった。


「その代わり、一つだけ良いですか?」

「なんだ」

「朝が来るまで、私と肌を合わせて寝てください。こんな風に」


 ミランダの体がぴったりと俺の体に密着した。僅かに仰け反って、顔はまだ見つめ合った状態だが、首から下は互いの肌の熱を感じていた。


「待て」


 ミランダの手が俺の背中に回り、さらに唇が重ねられようとしている。見るなの座敷ほどの我慢も出来ない奴だ。ミランダはくすりと笑い、頬擦りしてきた。いっそのこと肉体が溶け合ってしまえと思うほどの多幸感がこみ上げてくる。頭の隅に冷静さを止めつつも、俺の腕がミランダに回った。


「アリゲーリ! 揺れすぎです、そんなになるなら早いとこ終わらせてください!」


 エーリアルの叱咤に、体が硬直した。そんな俺に抗議するみたく、ミランダは完骨(かんこつ)の辺りに強く吸い付いた。懲りずに体の緊張を解き、ミランダの行為に甘んじてしまう。ミランダは艶めかしく囁きかけた。


「隆志さまは十分に抵抗されましたよ。ここから先は、私が力づくですることです。あの剣の叱咤は隆志さまに届きましたが、物理的な力で敵わなかった。それで良いんじゃないですか?」

「力づく?」

「そうですよ。隆志さまは人間。私は悪魔。悪魔の力で押さえ込まれたら、人間なんてひとたまりもありません。だから、ねえ? いやだって首を振って、やめろって叫んで、そして私に襲われちゃえば良いんですよ。隆志さまの手が私の胸を触るのは、押し退けようとしたからですし、私の舌と隆志さまの舌が絡むのは、私を罵ろうとした隆志さまの口を、私が口で塞いだからです。ごめん、ごめんってあの剣に謝りながら、私に負けちゃいましょうよ」


 直截な誘惑に、俺の意思が一気に傾く。早鐘を打つ心臓を認識したが、それ以外の全部が朦朧として、呼吸が上手くできない。


「ねえ? 負けちゃいましょう。隆志さまが『やめろ』って言えば、私が隆志さまを負かしてあげます」


 喉が渇いた。渇いた。渇く。甘酸っぱい淫靡な匂いがする。生唾を飲み込んだ。


「……『やめろ』」


 ミランダの勝ち誇った含み笑いが聞こえた。


「いただきまぁす」


 耳を(ぬる)く湿った舌が這いずった。随喜に打ち震える俺は、昏くなった目を上げた。俺を見詰める、絶望したエーリアルの顔があった。


「ミランダ」

「ふぁい?」

「お前の敗因はな、俺に近付きすぎたことと、興奮しすぎで瘴気がダダ漏れになっていることだ」


 部屋に満ち満ちる瘴気を、全て俺の力に変える。ここにきて流石のミランダも正気を取り戻しかけたか、俺から体を離した。だけどもう無理だ。これ以上は続けていられない。限界だ。俺は渾身の力で、ミランダの鳩尾を殴った。

 肉が波打つような感触を拳に感じる。拳がミランダの体にめり込む。ミランダはその場にくずおれて、俺の膝に重なるように伏した。呼吸が一切できないらしく、腹部を押さえて、口を開け、声にならない声を出している。目の焦点が合わず、涎を気にする余裕もない。ふっと、ミランダの表情から力が抜けた。半死人のように虚ろな目で、口は半ば開いたまま。悶絶していた体も動かなくなった。気絶したらしい。


「お、終わった」


 壁にもたれて、天井を仰ぐ。壮絶なまでの虚脱感がやってきた。未だに燻る欲心を内心で持て余しつつ、一息吐く。 


「アリゲーリ」


 瘴気を俺が吸収したことで、拘束から自由になったエーリアルが、ふらふらとした足取りで俺の前に立った。


「いや強敵だったな」


 俺が言った。


「前世の記憶と合わせても、最も苦戦した相手と言えるだろう」

「アリゲーリ」


 冷酷なまでに冷えた声音に、俺は口を噤んだ。言い訳は無駄らしい。


「もし、もしも一線を越えていたら、この女ごとアリゲーリを貫いていました」

「ほんとに悪かった。たが何度も言うが、ミランダだって悪意があったわけじゃない。それはこのお粗末で分かったろう。だから殺そうなんて言うなよ」

「お粗末はアリゲーリです。さっさと瘴気を取り込めって話です。ったく」


 エーリアルは倒れているミランダを蹴って、場所を作った。俺の目の前に空きが出来、そこにすとんとエーリアルが座り込む。俺を背もたれにして、首を上に向け俺を見る。そんないじらしいエーリアルよりも、俺は倒れ脱力するミランダのくねっとした体に目が行った。


「アリゲーリィ!」


 頭の中で、エーリアルの念話が爆発した。頭がぐわんぐわんと響いて痛い。エーリアルを見ると、エーリアルと目が合った。


「なんだよ」

「色香に迷いそうになってるから、頭が割れるような声を出しました」


 さらりと言ってのけるエーリアルに、俺は苦笑した。そしてエーリアルを掻き抱いて、なんとなく物足りないものを感じつつ、目を閉じる。外から漏れ込んでくる光は、朱色だった。エーリアルに見守られながら、俺はいつも通りの時間に眠ったのだった。




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