7-3.悪魔の迷路
俺の最も古い記憶は、俺が始まった瞬間の記憶だ。つまりは、第九魔界の雷雨と暴風。そして、ヴェルギリの眼。あのときヴェルギリは二体の悪魔に狙われていた。あのときのヴェルギリは生まれたばかりで戦える力は持っていなかった。少なくとも、独りでは。そして俺もそうだった。俺とヴェルギリは生まれた瞬間に出会い、ヴェルギリは命を狙われ、俺はそれを見ていた。俺はヴェルギリが助けを求めていると感じ取った。ヴェルギリは剣の姿だから、表情や仕草でそう悟ったわけではない。俺は純粋に直感し確信し、なにより理解した。悪魔は生まれた瞬間から、そのほとんどが決定付けられている。俺は、ヴェルギリの願いを感じ取っていた。そういう悪魔だった。だから俺はあのとき、ヴェルギリの望む姿を得て、ヴェルギリの望みを叶えたのだ。あのときは、そう、俺たちの力にも限界があったから、中位の悪魔に苦戦した。丁度、いま倒したドラゴンと同じくらいに。
第九魔界の再現、ヴェルギリとそれを狙う敵、目覚めた瞬間に出会う俺とヴェルギリ。確証はないが偶然とは思えない。もし予想が正しければ、この後の展開も自ずと予想される。今の俺にとって、その予想こそが最重要の問題だ。それは疑いようがない。であるにも関わらず、むしろその前の考察に心がざわめいた。
俺は願いを叶える悪魔だった。
そんなことは、今まで一度だって思ってもみなかったのだ。悪魔だった頃も、人間になってからも。人間になって、自分の生まれてきた意味を探す、それが俺の目的だった。それが目的で人間になった。だけど、そんなことはあり得ないのだ。何故って、悪魔は生まれた瞬間から、そのほとんどが決定付けられているから。「生まれた時から自分の生まれてきた意味を問う悪魔」でもない限り、悪魔が自身の生の意味を問うなどあり得ない。だから――
「ピキー」
ヴェルギリの声によって、意識が現実に戻ってきた。かなり長い間ぼーっとしてしまったようだ。今は他の皆と合流することが先決だった。
「ヴェルギリ、ここはたしか、三十階建てのビルだ」
「ピキー」
「そしてここが二十七階。俺の予想が正しければ、三階毎にそれぞれ対応した魔界が再現されていると思う。ここは第九魔界だ。そして、それぞれの階層で、それなりの戦闘を要求されるだろう。特にここが正念場だ。理由は……あいつと戦わなくちゃいけないだろうからだ」
「ピキー」
「上の階に行けば、おそらく人間界の再現、つまり元の状態だから安全かもしれないが、脱出はできない。俺たちはこのまま第九魔界を降りて、第七魔界まで行かなきゃならない。そしてまたここに戻る。理由はわかるな」
「ピキー」
「よし、それじゃあ行くぞ」
この事態を仕掛けた者が狙っているのは、瘴気の魔王の再現だ。目的ははっきりしないが、この再現を計画できるのは、ごく僅かだ。シコラクスと、そしてアントニウス。式の余興にしては大仰に過ぎる。なにか、決定的ななにかが、迫っているような気がしてならなかった。
風雨の荒ぶ廊下を歩いている間、襲ってくるのは低位や中位の悪魔だった。倒すのになんら苦労はしない。通路は種々の障害物で塞がれており、迷路のようになっていた。空間を捻じ曲げて、存在しない部屋や廊下まで創り出しているようだ。エレベーターも使えない。階段は真っすぐ最下層まで続くはずなのに、途中で塞がれたりしている。本来ないはずの場所に階段があったりする。そんな仕掛けに苦労しながら、第九魔界最後の層と思われる、二十五階まで到達したとき、俺の予想が的中した。
「エーリアル」
「アリゲーリ」
廊下の中央にエーリアルは立っていた。その先には、階下へ通じるであろう扉がある。
「またヴェルギリを使っているんですね」
「出来ればお前も使いたいんだがな。特にこんな状況だと」
「嬉しいこと言ってくれますね、でも、だめです」
エーリアルは剣の姿になった。
「エーリアルは、剣です。強い者の手にあるべき剣です。エーリアルを使いたければ、エーリアルを倒して力を証明してください」
「急にどうした。俺に使われるのが嫌になったか?」
「黙れ、黙ってくださいアリゲーリ! エーリアルは剣です! 剣です! 剣なのです! 敵を殺して、殺して、殺すための道具なのです! 今までそれで良かったでしょう!? なのに、人間界に来てからのアリゲーリは、一度もそうしなかった! エーリアルを他の奴と同じように扱った。エーリアルは剣です。剣です!」
「お前には剣でなくとも――」
「黙れと言っているでしょう!? もうなにも聞きたくありません、始めましょう」
「やっぱそうなるよな」
「やあやあ! 遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ、我こそは古今無双の魔剣エーリアル! 腕に覚えのある者は、見事このエーリアルを屈服させ、その力を得るが良い!」
弾丸のようにエーリアルが迫る。間一髪ヴェルギリで弾くが、すぐさま反転して猛撃してくる。大切なのは生き残ることだ。今の俺とヴェルギリではエーリアルを倒せない。そして倒さなくても良い。これがアリゲーリの再現ならそうなのだ。アリゲーリは一度エーリアルに敗北している。だからここをやり過ごして下層に行きさえすれば――
腕に痛みが奔った。攻撃を防ぎきれず、かなりの深手だ。ヴェルギリの鎧もなんなく斬り通ってきた。
心臓目掛けてエーリアルが突っ込んでくる。ヴェルギリを振ったが、弾いた拍子に勢い、体を仰け反らせてしまう。しまったと思ったときには、肩口にエーリアルが突き刺さっていた。
「ぐ、くそっ」
痛い。というより、不安だ。痛みは麻痺したように鈍く、むしろ不安だ。例えようのない不安感が苦痛の代償に差し迫ってくる。
急にエーリアルは少女の姿に戻り、俺の前に立ち尽くした。鋼色の髪が俺の血で染まっている。ヴェルギリが傷を縫合してくれたが、しばらくこちらの腕は振らない方が良いだろう。一応、動いてもそう簡単に傷が開かないよう、処置してくれているはずだが。
「エーリアルの前から消えてください、アリゲーリ」
「いいのか?」
「早く消えてください」
「止めは?」
「早く消えろっつってんだろ!!」
この展開は予想外だが、予想通りだ。やはり俺はエーリアルに見逃される運びとなった。俺は奥の扉に向かい、そして開く手前で振り返りエーリアルを見た。
立ち尽くす少女の後ろ姿は、どう見ても剣ではない。鎖に繋がれ、自由を求めるなにかだ。あるいは、必死に空から顔を背けて、自分の居場所を繋がれた鎖の先に求めているかのような、そんな姿だ。
独りにはさせておけないが、今はどうしようもない。俺は俺のすることをやるしかない。
「必ず戻ってくる」
その台詞が、今のエーリアルにしてやれる俺の精一杯だった。




