6-6.対キャリバンはいつも雨
part隆志
自販機で買った飲み物は二人分だ。俺と、キャリバン。結婚って形だけでもしていいものか? そも結婚って、形のことを指すんじゃないか。形だけでも執り行えば、それはつまり結婚じゃないか。あかん、なに言ってるのかわかんなくなってきた。
キャリバンの許へ戻る。キャリバンは、なにか必死で拭っていた。出て行こうにも出て行けない。雨でも降ってこないかな。そうすれば、もう少し気楽に出て行けるのに……。
結局、俺は待った。そんなに長い時間ではなかったと思う。振り向いたキャリバンは、いつものように悪そうな笑みだった。
「水にした」
「なんでもいいぜ」
買ってきた水を受け取り、キャリバンは喉を潤した。会話のための言葉が出てこない。
「あ……」
「ん……」
「…………」
結婚のことを訊くべきか、話題を逸らすべきか、辟易したくなるような沈黙だ。
「キャリバン」
「なんだよ」
「あの手紙は、結婚の督促だったのか?」
「ああ、そうだよ」
「結婚しろって言われて悩んでたのか」
「……ああ」
「お前なら、嫌だの一言で済ませられそうなもんだけどな」
ぐしゃ、と。キャリバンの持っていたペットボトルが握り潰れた。水が溢れて、キャリバンの手を濡らす。
「は、はは、は……」
キャリバンは笑った。虚空を見詰めながら。握った手の力が緩むことはなく、ペットボトルはひしゃげたままだ。
「キャリバン?」
「俺、俺は、俺はさぁ……」
瞠目した目を、こちらに向ける。泣きそうなのか、驚いているのか、怒っているのか、形作られた笑顔だけは、確かでないとわかった。
キャリバンは目を擦った。
「なんでもねぇ、悪いな」
「聞いてやるよ、言ってみろ」
「本当に、なんでもないんだっ!」
「俺が聞きたいんだ。聞かせてくれないか」
キャリバンが動きを止めて俺を見た。拭いきれない涙が、瞳と睫毛を濡らしていた。
「なんで?」
「なんでって……」
あれ? なんでだろう。好奇心? いや、別にそんな感情は抱いていない。聞けばキャリバンが喜ぶと思った? 近い気もするが、なにかが決定的に欠けている。自分の感情がまるでわからない。前にも似たようなことがあった。第三魔界でミランダを連れ出そうとしたときに似ている。
俺は、ミランダに会いたいと思った。俺は、キャリバンの話を聞きたいと思った。強くそう思った。でも、理由はわからない。
わかること。それは、俺は確かに、強くそう思っている、ということ。
「理由は俺にも良くわからないが、お前の話を聞きたいと思うんだ。そんなことじゃ聞かせてくれないか」
キャリバンはふるふると、首を横に振った。
「理由は良いんだ。ただ、旦那が自分の気持ちのために聞きたいってんなら、それで」
「ありがとう」
「だけどな旦那、面白い話じゃねえ。馬鹿で、阿保らしくて、恥ずかしくて、情けなくて、鼻で笑っちまうような話だ。だから、俺は、俺はぁ……」
泣きじゃくる姿は子供のようだった。俺はキャリバンの肩を抱き寄せて、頭を撫でた。
「お前が泣くような話で、俺は笑ったりしない」
「すまねぇ……」
空が曇っていた。少し経てば雨も降りそうだ。それがなんとなく有り難かった。
「俺さ、昔からずっとこんな性格で、ずっと一人だったんだ。なんでも殴って解決するし、人の話だって碌に聞かねえ。親のことがあるから、中途半端に気にかけてくる奴は大勢いたけどな」
「それで第二魔界を出たのか?」
「ああ、でもどこにいたって疎まれるのは変わらねえ。でも、旦那だけは、他の奴とは違ってた。喰おうとした相手に助けられたのは初めてだった」
「そんなこともあったな」
「俺、そんとき思ったんだ。もっと旦那と一緒にいたいって。だから家来になった。一緒に魔界に行ったとき、役に立てたのが嬉しかった。そいで、旦那が死んだと思ったときは、滅茶苦茶になにもかもぶっ壊してやりたくなった」
雨がしとしと降ってきた。すぐにでも本降りになりそうだ。雨の滴が肌に触れ、体温を僅かに下げていく。体の触れ合った部分だけ、不思議にとても熱く感じた。
「それで、結婚しろって手紙が来たとき、俺最初、破こうかと思ったんだよ。くだらねえって。嫌だの一言で。でも、俺、できなかった。そんときはなんでかわかんなかった。なにもわかんなくて、なにもわかんないまま時間が経って、旦那に今日、誘われた。俺ついさっきわかったんだよ、旦那のことをどう思ってたのか。俺、気付いたら結婚しようって旦那に言ってて、すぐに誤魔化して、それが凄く悲しくて、それから、旦那に、断れば良いじゃないかって、指摘されて、やっとわかったんだよ。俺はずっと一人でも良いんだって、考えてたのに。旦那と一緒のときは、家来として役に立てればいいと思ってたのに。だから、俺は自分が情けなくて、恥ずかしくて、悔しくて、馬鹿みたいで、どうしようもなくて……」
雨の勢いが強まってくる。俺はキャリバンの肩を押し、向かい合うくらいの間隔を置いた。キャリバンの濡れた瞳も雨に紛れてわからなくなる。
俺の中で、強い衝動が湧き起った。キャリバンの頬に手を添え引き寄せる。キャリバンがぎゅっと目を瞑る。
ぴとりと唇が触れた。暗闇の中それを感じた。不意に、俺の方にも手が回る。この辺で、違和感を覚えた。にゅるりと温かいものが、手慣れた感じで侵入してきて、ねっとりじっくり絡んできた。なんか、変だ。目を開けると、そこにいたのはキャリバンではなく――。
俺は思いっ切り突き飛ばした。口を唇を舌を削り取るくらいの勢いで擦って、唾吐いた。
「べっ! ぺっ! ぺっ!」
「つっれないのぉ、妾の愛情を唾棄するとは」
「ざけてんじゃねえ! ぶっ殺すぞ!」
「おや、エーリアルに似た口調じゃの、うつったか」
「くたばりやがれ!」
part悪魔
「あ、危なかった。あの方がいらしてくださらなければ、今頃どうなっていたことか……」
木の陰に隠れながら、ミラーレが安堵した。その後ろには、ミランダやエーリアル、レギオニステラ。そして、瘴気で拘束されたキャリバンがいた。
「もがー! もがー!」
猿轡をされ、まともに話すこともできない。そんなキャリバンを見下ろし、レギオニステラが言う。
「静かにしていろ、この場はあの方が収めて下さる」
その一方ではミランダが茫然自失としていた。
「た、隆志さまが、キ、キャリバンと、なんで、どうして……」
頭に乗ったモザイクがミランダの頬をぺしぺし叩くが、望ましい反応は一切ない。
「すずめのがっこのせんせ~は~」
瘴気に体をくるまれたままのエーリアルは完全に正気を失っており、いっそその姿の方が自然で誰も気に留めない。
雨だけは変わらず、むしろその勢いを強めつつ、降りしきる。
「なんで、どうして、なんで、どうして、どうして……」
安堵していたミラーレは、ふとミランダの様子がおかしいことに気が付いた。うつむいて、拳を握り、微かに震え、目元から、雨とは違う滴が落ちている気がする。
「ミランダ、大丈夫?」
「私は、隆志さまの悪魔で、悪魔だから、隆志さまの……」
ぶつぶつと取り留めのないことを言う。そしてきっ、と顔を上げたとき、その目には敵意に似たなにかがあった。ミランダは脚に力を込めた。
雨を蹴散らすかのように、一気に駆け出す。突然のミランダの動きに、レギオニステラさえ意表を突かれた。
「ミランダっ!」
ミラーレが叫んだとき、ミランダは隆志の一歩手前まで進んでいた。隆志は一瞬、ミランダの顔を見た。それはすぐに視界から外れた。
周囲には、頬を勢いよく打った音が響いていた。




