6-5.001回目のプロポーズ
part隆志
街を見下ろす丘。俺とキャリバンはそこに来ていた。人がいないのは平日だからだ。
キャリバンは柵の前まで歩いていって、そこから街を見下ろした。緊張を紛らわそうとしているのか、大きく息を吸う。
「旦那、俺さ……」
「ああ」
「親に反抗しててさ」
吹いてきた風は少し冷たかった。背中の汗が少し冷えた。
「で、家を出たんだけどよ、俺の立場上、困る奴がそれなりにいたんだ」
「立場?」
「俺の親、かなり偉いんだよ」
第二魔界でかなり偉い、となると、シコラクスの直属か知らん。
「それで、家を出てどうなったんだ」
「俺は婿を探しに出て行ったってことになった。自分の男は自分で決めるって、そういう体裁」
「ぷっ」
あまりにも似合わな過ぎて、俺はつい笑ってしまった。キャリバンは微笑して、愁いのある目を送る。
「旦那」
「あん?」
「俺と結婚してくれ」
ひときわ強い風が吹く。俺の思考はまっさらで、そんなことは久しかった。俺の目にはただ、風に灰色の髪がたなびいていた。
「……本当に、ってわけじゃないんだ」
キャリバンが言葉を繋ぐと、消えた思考が戻って来た。
「旦那と結婚したことにして、俺は地上に居ることにする。そうすれば、第二魔界に戻らなくても済むだろう?」
「ああ、そうだな」
「家来としてあるまじき願いなのはわかってる。旦那を利用するようなのも申し訳ない。ただ、どうしても俺は、あそこに戻る気になれねえんだ」
「ああ、わかった」
「ありがとよ、旦那」
ゆるい風が頬をすり抜け、キャリバンは柵に、俺は近くの木に、そっと寄り掛かっていた。風が吹き止むまでの間、俺たちは無言で過ごした。風が吹き止む前に、俺はここに居てはならない、そんな気持ちになった。風が吹き止むと、俺はなにか飲む物でも買ってくると告げ、この場を離れた。
キャリバンは、酒はいらねえ、そう言った。
part悪魔
およそ鳥の飛ぶより高い位置、ミラーレは事の始終を見た。唇に拳を当て、驚きと焦りの気配。小さな人形を取り出し、それに向かい話し掛けた。
「レギオニステラ様、ミラーレです。ミランダたちは見付かりましたか?」
人形の口の部分が開く。人形からレギオニステラの声が返ってきた。
「いや、見付からないな」
「お願いします、早く見付けてください! このままではキャリバン様と隆志さまが!」
「……ミラーレよ、もしミランダたちがアリゲーリ様の後をつけていなかったとしたら、私たちだけがアリゲーリ様の後をつけていることになる」
「……そうならないためにも、どうかミランダたちを見付けてください」
「狐は狐でも、貴様は失敗するほうの狐だったらしいな」
地上でミランダたちを探していたレギオニステラは、呆れつつも瘴気の気配を探った。すると、先ほどまでは感じなかった瘴気の気配がある。戦闘の後らしい。しかも、強い瘴気が一つ、こちらに近付いている。
「ミラーレ、周囲を警戒しろ、なにか近付いている。私では手に負えないかもしれん」
「そんな、では隆志さまに……!」
「あと五分経って、私から連絡がなければそうしろ」
レギオニステラはアリドュスクロワの柄に手を掛けた。覚悟を決め、時空の穴を潜る。抜け出たのは隆志たちのいる丘へ続く道。そしてレギオニステラの前には、モザイクを頭に乗せたミランダと、黒い瘴気に包まれて、蓑虫のような格好のエーリアル。そして一人の女だった。
「あ、貴女さ――!」
女が人差し指を唇に当てた。レギオニステラは言葉を切った。
「妾が誰か、もう少し黙っていてくれ。この娘と楽しくおしゃべりがしたいのでな」
「レギオニステラ様と、お知り合いなんですか?」
「うむ。それよりも、もちっと詳しく教えておくれ。あいつはどうしてお前を連れ出そうとしたのじゃ?」
「それが、その――」
ミランダと女は、隆志やその仲間のことを中心に会話しているらしかった。その前を、ぽけーっとした表情のエーリアルが歩く。簀巻きになったまま歩く姿は間抜けだった。レギオニステラはミラーレに連絡した。
「ミラーレ、こちらは問題ない。それとミランダたちを見付けた」
「ああ、流石レギオニステラ様です。ありがとうございます」
「それとアリゲーリ様に来客だ。貴賓ゆえ、お通しするぞ」
「畏まりました。どうぞ急いでください」
歩きがてら、レギオニステラはミランダから報告を受けた。サクルマムが襲ってきたこと、シオネラも現れたこと……。
そのサクルマムとシオネラは、人間界と魔界の狭間にある空間へ退避していた。周囲になにもなく、黒っぽい赤や青や緑の線が波打っている。
「それで? 少しでもなにかできたのかよ」
シオネラが言う。負傷したサクルマムは仰向けに寝ている。サクルマムは言った。
「あの剣はただの剣じゃないわ。心があった」
「じゃあお前の能力で操れたのか?」
「それは無理だったわ。あの剣に心はあったけど、一つや二つじゃなかった」
「はあ?」
「百か、二百か、それ以上。あの剣の中に、それぐらいの心が渦巻いて、融け合っていた。私の力では、あの膨大な数の心を操ることはできないわ」
「なんだってんだ。あの剣は多重人格とか、そういうことかよ」
「違う。多重人格だって元を辿れば一つの心。あれは心の、魂の群衆が融け合って一つに統合されたものなのよ。我は剣なり、という自意識に」
「ふーん、よくわかんないけど、あの剣を操って奪うことはできないってことか」
シオネラが考えていたこと、それはエーリアルの精神を支配するということだった。サクルマムは相手の心に干渉する能力を持っている。それを使えば、心を持つ相手ならその認知や思考を歪めて操ることができた。言動からして、エーリアルには心があると踏んでいた。だから、サクルマムによって支配できるのではないかと、そういう考えだ。
「あれだけの心を同時に操ることはできないけれど、綻びはある」
「綻び?」
「そう、あの剣の無数の心は、一つの意識によって統合されている。その意識に対して、なんらかの働きかけができれば……」
「もっとわかりやすく言えないのかよ、お前は」
「えぇ……?」
サクルマムは、うーん、うーん、と何回か唸って、その悩みのほどを露わにする。そして言った。
「自分は剣だと思っているから、あの剣は剣でいられる。けれどもし、剣ではないと意識させれば、あれは剣ではなくなる」
「なるほど、つまり?」
「あの剣の心の殆どが、嗜虐心や破壊欲、殺害欲求といった攻撃的なもので染まっていた。なにかの恨みを晴らそうとするみたいに。だけど中には、もっと平和的で、もっと狂おしいほどの欲求があった」
「よくわかった、それから?」
「その部分に干渉して、その欲求をもっと前面に押し出すことができれば、あの剣の心の統合は崩れる。そうなればいわゆる抜け殻のような状態になるし、うまく誘導すれば、奴らにけしかけることができるかもしれない」
「からの?」
サクルマムはじとっと、責めるような目をシオネラに向けた。
「だってお前の説明わかりにくいんだもんよー!」
「もう一度あの剣に近付いて、心に干渉したいって言ってるのよ」
「始めからそう言えよ」
「言ったら言ったでわけを説明しろっていうじゃない」
不満をぶつぶつ漏らしながら、サクルマムは起き上がった。
「傷は?」
「お陰様でね。行きましょう、ちょっとの機会も見逃したくない」
「あいよ」
シオネラは時空の穴を開けた。
「ところでさ、瘴気の魔王に手を出したら、あのアントニウスとかいうのが怒るんじゃないの? 魔剣をけしかけられたとして、それは良いのかよ?」
「あら、あの剣は自分の心に従うまでのことなんだから、私たちには関係ないわ」
「りょーかい」
そうして、再び二体の悪魔は、人間界へ上っていった。




