4-7.悪魔の晩餐会
「単刀直入に訊こう。今回のことは罠なのか?」
いくらかの世間話をした後、俺はミラーレに尋ねた。ミラーレは困り顔で首を振った。
「私にはわかりません。伝説の魔王を第三魔界にお招きするに及び、多くの高位悪魔が行動しました。敵方に気取られぬよう兵器を搬入するような、そんな有り様でした。今もそうです。あらゆる思惑が交錯しているように感じます。純粋に隆志さまをお迎えしたいと考える悪魔もいるでしょう、隆志さまの魂を食らおうと考える悪魔もいるでしょう。この万魔殿の悪魔はアユスルオキナ様の意向に従いはしますが、もし隆志さまの魂を食らうだけで、アユスルオキナ様の力を超えることができるとなると……」
「詰まる所、悪魔ってのは利己主義だからな。そのアユスルオキナという悪魔の考えははどうなっているんだ。最初にミランダから聞いた話じゃ、俺の生活を参考に平和を実現するか、俺が魔界を統治するか、或いは俺の魂を食らうか、っていう話だったが」
「まさにその通りです。アユスルオキナ様は第三魔界の平和のために力を惜しみません。その為ならばどんなこともするでしょう。……としか、私には言いようがございません。アユスルオキナ様の考えは、私のように浅学な者では推し量るのも烏滸がましゅうございます」
「結局、会ってみなけりゃわからんか」
俺はベッドから立ち上がり、窓の外を眺めた。第三魔界の光景は、まるでなにもかも熱に溶けて、そして冷え固まった後の溶岩みたいだ。ミラーレが俺の隣に立った。藪を突いて蛇を出そうとしているような、期待と不安の入り交じる表情だった。
「隆志さま、一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「いいぞ」
「ミランダのことを、どう思ってらっしゃいますか?」
俺は咄嗟に答えることができず、ややのあいだ沈黙が流れた。ミランダは、俺に主従の関係を望んでいて、俺はその想いに応えようとここに来た。そうやって論理を組み立てて、答えを紡いだ。
「ミランダは俺の家来だ」
ミラーレは優しく微笑した。
「申し訳ありません。質問の仕方が悪うございました。隆志さまは、ミランダをどうしたいとお考えですか?」
「どうしたい?」
「はい。隆志さまが望むなれば、ミランダの処遇にも融通が利くやもしれません。そうしたとき、隆志さまはミランダをどういたしますか?」
「俺は、ミランダを……」
なにも思いつかなかった。ミランダをどうしたいとも思わない。ミランダの言葉が思い返された。
――始めから隆志さまにとって、なんの価値もないってことじゃないですか。なにも期待されていないってことじゃないですか。なにも信頼されていないってことじゃないですか。優しいんじゃなくて、私に興味がないってだけじゃないですか。
それが真実で、誤魔化しようもない真実は無視することしかできなくて、俺は悲しくなった。
俺はキャリバンとの会話で、ミランダと主従としてもう一度やり直したいと決意した。でもそれはミランダのためじゃなくて、俺が真実を無視するために立てた決心でしかなくて、そんな俺が迎えに行っても、ミランダはきっと拒絶するだろう。
ミラーレは頭を下げた。張り付いた笑みには落胆の陰があった。
「詮無きことを訊いてしまいました。無礼をお許しください」
だが、本当に興味がないなら、俺はどうしてミラーレのこの顔を見て、ひどく締め付けられるような気持ちになる。どうしてこんなにも足掻きたくなる。どうして次から次へと言い訳が頭に浮かんでくる。どうしてこうまでミランダとの関係に執着している。
「ミランダに会えるか?」
衝動的とさえ言える気持ちに突き動かされ、俺は訊ねた。ミラーレは一瞬だけ驚いて、それから後ろめたそうな表情をした。
「あの子は今、地下牢に入れられております」
「地下牢!? なぜ」
「命令違反、だそうです。隆志さまには合わせぬようにと、レギオニステラ様から申し付けられております」
そのとき、扉を叩く小高い音がした。
「宴の支度が整いましてございます」
扉の向こうから声が聞こえた。ミラーレは表情を切り替えた。凛とした仕事人の顔だ。
「それでは、ご案内いたします。隆志さま」
「……ああ」
ヴェルギリの血管みたいなあれが全身に広がった。そして瘴気と共に黒い鎧を形作り、その内側に赫灼とした光が満ちる。ヴェルギリの眼は俺の首元、鎖骨の窪み辺りに移った。ヴェルギリと視界を共有し、周囲の警戒を強化する。
そして広間へ案内された。観音開きの、扉というより門といったほうが良い、黒い光沢の扉が開かれる。広間は巨大な象牙をくりぬいたような空間で、壁には蝋燭、天井にはシャンデリア、長いテーブルが四台、縦に並んでいて、その上には様々な不味そうな料理、テーブルを囲むのはあらゆる容姿の悪魔たちで、普通の人間がみたら悪夢としか思えないだろう。化け物のパーティーだ。
部屋の一番奥には、横向きのテーブルが三台あり、中央部分の床が左右より心持ち高くなっている。奥側にだけ何体かの悪魔が並び、その中央に座す悪魔は、老人の姿だった。
禿げ上がった頭。真っ白な髭は真っ直ぐ胸の辺りまで伸び、目付きは獲物を睨む狼のようだ。紫紺のローブは無縫で、装飾は一切ない。
広間にいた悪魔たちの視線が、俺へと集中する。
「よくぞ来てくださった、魔王アリゲーリ殿!」
中央に座す老人は立ち上がり、そう言った。
「吾輩はアユスルオキナと申す者。この万魔殿の主、第三魔界の魔王」
「俺は……間央隆志だ。アリゲーリは前世の名だ」
「さあさ、まずはこちらへ」
促され、俺は席に向かった。座ったのはアユスルオキナの隣。俺の横には四体の悪魔が並んで座し、その反対にはアユスルオキナと、その向こう側に三体の悪魔。上座にいるということはかなり地位の高い悪魔なのだろう。
「この度は、本当によくぞ来てくださいました」
アユスルオキナの目元が笑う。差し出された手は握手を求めていた。それに応じる。
「アリゲーリ殿には平和の秘訣をお聞きしたいと、かねがね考えておりました」
「そうか」
「しかし先ずは親睦を深めることに致しましょう。人間界の食事には及びませんでしょうが、可能な限り第三魔界の美味を集めました」
テーブルに並んだ料理を横目で見る。なんだろうあれ、腐乱したイルカの頭かな? こっちは、猿の頭部……だといいなあ。
「無理に食べなくてもいいよな? 人間の体だとどんな影響が出るかわからない」
「無論ですとも」
アユスルオキナは前を向き、広間を見渡した。
「さあ、同胞たちよ、存分に飲み、食い、楽しむがよい! かつて七つの魔界を征したという、伝説の魔王がお越しくださったぞ! 祝え、祝せ!」
悪魔たちは世にも奇怪な鳴き声で呼応する。触手が蠢き、牙が鳴り、眼が光り、爪が震え、得体の知れない液体が飛び散った。そして始まる宴は、この世の終わりかとも思えるような光景で、俺にとってすら懐かしくはなく、むしろ忌避したくなるものだった。
「さあさ、アリゲーリ殿」
盃に赤い液体が注がれる。血だ。盃を受け取り、ヴェルギリに飲んでもらう。
「アユスルオキナといったな。お前、魔界の平和を目指してるらしいが、どういうつもりだ?」
「争うばかりが悪魔ではないと気付いたのですよ。弱き悪魔は群れを作る。やがて群れは徒党となり、組織化され、やがては村と呼べるものができあがる。その時点で、村は強者にとっての餌場となります。しかしもし、何者かがその村を守ったら? 村はいずれ街というものになり、街は他の村を取り込んで国となる。そして訓練の後に編成される軍隊。このとき弱者は個の強さを凌駕し、魔界の覇者ともなり得る。かつては貴方が為したことです、アリゲーリ殿」
「お前の目的は魔界の支配か」
「管理、です。それも貴方と同じですよ。魔界には食糧がない。生きるには他の悪魔を狩るしかない。故に争いは絶えず、弱者に安寧はない。しかし国が魔界を支配いえ管理すれば、争いは抑制できる。痛みは最小限で済む」
「大層な理念だな。惚れ惚れするぜ」
そのとき、ヴェルギリの眼が魔術を捉えた。広間の外側に結界が張られた。外側からの侵入を防ぐものではない。内側からの脱出を阻むものだ。
「それで、俺をここに呼び込んだ理由はなんだ? 政治理念を語り合おうってわけじゃないだろう」
「ええ、もちろん。貴方が人間に転生していたと知ったときには、これこそ神が吾輩に与えたもうた好機と喜びに打ち震えましたぞ」
「悪魔が、神か」
「先ず貴方がどのように魔界を支配していたのか、それが具体的に知りたかった。そして貴方が伝説通りの力を有していたなら、魔王の座を明け渡そうと考えた。そしてもし、その力が人間のそれに成り下がっていたならば――」
瞬間、俺の目の前のテーブルに、なにかが落っこちてきた。人の形、小麦色、灰色の髪、大きいおっぱい。キャリバンだった。キャリバンは周囲を目だけで見回すと、テーブルの上で尻餅をついた体勢のまま、尻に下敷きにした肉を抓んだ。大きく口を開け、肉を舌の上に載せ、ごくりと肉を嚥下し、唇の間から舌がにゅるりと出で、滑らかに動き、指についた油を舐め取る。
「おいしくぺろりってわけだ。おじいちゃん」
「キャリバン! 貴様なぜ……!」
俄かに辺りが騒然となる。キャリバンは「あー、酒飲みてえ」と言いながら、テーブルの向かい側に降り、時空の穴から錨を取り出した。
「伏せな!」
キャリバンが吠えた。俺は椅子を蹴ってその場に蹲った。次の一刹那には、振り上げた錨がテーブルを打ち壊して、料理を散々にぶち撒けた。ひっくり返ったテーブルの下を潜り抜け、俺はキャリバンの背後に立つ。背後に向けた視線は、跳ね上がったテーブルがアユスルオキナにぶつかり怯ませたのを捉えた。
「なんのつもりだ!」
もはや誰が叫んだかわからない。周囲の悪魔が、一斉に俺たちに襲い掛かっていた。
俺はヴェルギリの刃を出し振った。瘴気の波動が向かってきた悪魔を弾く。
「状況説明!」
叫んだ。
「エーリアルとミランダは地下牢! これは罠! 急がねえとミランダはどうなるかわかんねえぜ!」
キャリバンが答える。
「地下牢はここへ出て突き当りの階段を延々下だ。ここは俺がなんとかするから、急ぎな旦那!」
「お前ひとりで平気なのか?」
「今はなにがあってもエーリアルの側にいたくねえ」
どういうことかはわからないが、迷っている余裕はない。
「任せたぞ!」
俺は出口に向かって駆けた。悪魔が飛び掛かってくる。それを瘴気の壁が撥ね返した。俺ではない。瘴気の出所を探すと、ミラーレが出口の前に立っていた。
「ミランダを、お願いします!」
「安心しとけ!」
ミラーレの横を駆け抜け、俺は通路の奥へとひた走った。その間に、脱出を阻む結界の領域が広がっていく。時空間移動をさせないつもりらしい。俺は身体能力を限界まで引き上げた。
「さて、どういうつもりか、説明してもらおうかキャリバン」
アユスルオキナと、七柱魔、それにどっかの高位悪魔がたくさん。相手にとって不足はないってやつだ。
「どうもこうも、お前らが旦那を嵌めようとしてたから、邪魔しただけだぜ」
言うと、周りの悪魔が喚いた。
「いくら大魔女シコラクスの娘といえど、これほどの暴挙が許されると思うなよ!」
俺の中で、導火線に火が付いたような感覚がした。
「いや、これは明らかな敵対行動だ。シコラクスに首を差し出したとて、文句の一つも言えまい」
「おい……」
怒りが、体の隅々に行き渡る。天井を見上げる。吐き出したくなるような憤怒と同時に、清々しい気持ちが湧いてくる。こいつら、全員、殺そう。
「母親は関係ねえだろ、母親は!」
咆哮が、心地よく広間を揺らした。広間の端で、ミラーレが呟いた。
「よくわからないけど、その台詞はだめです……」




