表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
瘴気の魔王アリゲーリ  作者: こんたくみ
3幕.悪魔の孤島
13/68

3-3.誰か彼女の気持ちを知らないか?


 俺は変わらず砂浜に立ち、夕焼けの色は強く、消えた岬の代わりにと、眠る蛇のように渚は続き、ここは島のようだった。

 ミランダはただ立っていた。饒舌(じょうぜつ)を奪われた多弁家のようにもじもじしている。その態度と表情がなにを意味するのか、察してしまうのもいやらしかった。しかしどうしようもない。


「……お前が仕掛けたのか?」

「わ、わた、私、は……」


 ミランダは言いあぐねた。見る見るうちに泣きそうな顔になる。積み重ねてきたものを、自身の指先で突き崩したように。足を波が濡らした。


「ここで立っていても仕方ない。奥に移るぞ」

「はい」


 俺に続いて、ミランダは砂浜を離れた。陸地側にある暗い森は、まるで先が見えない。その手前は芝草が薄黒く繁っており、俺はそこに腰を下ろした。


「お前も座れ」

「はい」


 ミランダは芝の上に正座した。項垂れ強張らせた体と、自責を滲ませる姿には覚えがある。ミランダが悪魔の性欲もとい食欲に負けた、あの日の次の朝だ。


「話してくれ」


 ミランダが顔を上げた。弱った表情と、潤んで夕陽を燦爛(さんらん)とさせる瞳。


「指示を受けました。つい先程です。隆志さまやキャリバンになにも言わず、ただこの場所に来い、と」

「誰からの指示だ」

「レギオニステラ様です。アユスルオキナ様の臣下の一柱で、六千の悪魔を駆るという高位悪魔にございます」

「ここはどこだ」

「私にも分かりません。ここに来いとしか伝えられていないのです」


 俺は水平線を見た。夕焼けの陽は大きく、空の半分ほどをも占めている。人間界ではない。かといって魔界でもない。強いて言うなれば人間界に映った魔界の蜃気楼。そんな実在さえ不確かな空間。空間と空間が擦り合って生まれる、幻想のような世界だ。


「エーリアル!」


 エーリアルは招来されず、丸腰の俺が残された。


「エーリアル」


 試みに今一度エーリアルを呼んでみる。やはりエーリアルは現れない。不定の空間に移動したから、エーリアルの奴、位置の捕捉に手間取っているのだろう。


「申し訳ありません、隆志さま。私は、隆志さまを裏切ってしまいました。申し訳ありません。ですが誓って、隆志さまに危害は加えさせません! 私の命に替えても、隆志さまはお守り致します」

「気にし過ぎだ。お前はただここに来いと言われただけだろう」

「ですが、ですが――!」

「今の事態が好ましくないのは俺も分かってる。しかしどうしようもあるまい。エーリアルさえ来ればどうとでもなる。それまで寝て待つさ」


 俺は頭を芝草に付けた。空が赤い。白い雲が浮いている。ミランダはこちらを見ていたが、そっと溜め息を吐いて、膝を抱え込み、顔を伏せてしまった。


「元気ないな」


 ミランダに言った。ミランダは同じ態勢のまま、声を出した。


「情けないのです。自分が」

「なんでまたそんなことを」

「……隆志さまは、私を許してくださいますか?」

「お安い御用だ」

「そう仰ると思いました。隆志さまはお優しい方です。貴方を襲った私も、キャリバンもそうして許してしまわれる。そんな貴方さまをこうして裏切った私でさえ、また容易く許してしまう。私は、それに甘えています。指示を受けたとき、私は躊躇いました。このような回りくどいこと、罠以外であるはずがない、と。しかし隆志さまが私を追ってこなければ何も問題ないと心を誤魔化し、そしてその心理の裏では、隆志さまなら許して下さると、エーリアルちゃんがいるのなら心配ないと、己が保身を優先したのです。思えば、レギオニステラ様はそんな私の心を見越して、ただ此方(こちら)に来いと仰ったのでしょう。私が保身を優先し、隆志さまを裏切ると考えて」

「考え過ぎだ。第一、お前はそもそも魔界側にいるんだろう。第三魔界のミランダだろう」


 ミランダが俺を見た。その表情は今までと違う。まるで裏切りにあった者の顔だ。驚きと絶望、目の前の事実を受け容れようにも、心の働きが停止してしまって、感情が渦巻くばかり、なにもできない者の顔だ。


「隆志さま。隆志さまは、私が隆志さまに仕えると(のたま)ったとき、私がなんと言ったか覚えてらっしゃいますか」

「さあ。なんだった、かな」

「そう、ですよね」


 ミランダはまた顔を伏せた。俺は体を起こした。嫌な予感だ。ミランダの肩に手を置いた。


「おいどうした、大丈夫か」

「お願いです、隆志さま。私に近寄らないでください」

「それは構わないが、お前が――」

「幸い今のところ、近くに敵の気配はありません。ですからどうか、離れてください」


 ミランダの声は、糸が一本で震えるような脆さだった。俺は言われた通り、ミランダから離れ渚に立った。

 白くさんざめく海と、赤々と照り付ける夕陽。(たぎ)り燃え立つ夕焼け。火の海が俺の目にちらつく。頭の中で軍勢の喊声(かんせい)が響く。なにもかも殺し尽した日は遠い。

 俺はミランダに歩み寄った。事情はわからないが、ミランダは苦しんでいる。もしかすると俺が原因かも知れない。だったら、尚更、ミランダは俺に、俺はミランダに歩み寄るべきだ。遠ざけて解決する問題なんてない。立ち向かう者だけが、傷付き果てる可能性を背負った者のみが、問題解決の可能性を握るのだ。


「――というわけで、ミランダ」

「はい」

「なにを気落ちしているのか、詳しく話してくれ」

「隆志さまは関係ありません。全て私の至らなさです。私の中途半端な振る舞い、それと自惚れの結果です。ですから、放っておいて下さい」

「嫌だ」

「なぜ……」

「俺たちはもう他人じゃない。少なくとも俺は、お前と他人でいたくない。俺はお前のことを好いている。だから、放っておいてくれ、構うなと言われて、唯々諾々と従うわけにはいかないんだよ。お前がなにに苦しんでいるのか知りたい。お前がどうすれば喜ぶのか知りたい。そして出来れば喜ばせたい。そうするためには、お前の協力が不可欠だ、ミランダ」


 ミランダは顔を上げた。睫毛が濡れていた。そして一瞬、瞳を潤ませて、また顔を伏せた。


「……私は、第三魔界のミランダではありません」


 一呼吸を置いてから言った。涙を透過した声だ。やっぱり俺が悪いのか。か細い声を聞き取るために、ミランダの前に膝を折る。


「私は隆志さまと戦ったあの夜、死ぬつもりでした。そうすれば姉さんに迷惑が掛からないと思ったから。でも、隆志さまがそれを救ってくれたんです。エーリアルちゃんの進言も撥ね除けて、隆志さまは隆志さまの意志で私を救ってくれたんです。私、嬉しいなんて言葉は使えないくらい、熱い気持ちでいっぱいになって。隆志さまは優しくしてくれて、私の我が儘も許してくれて、だから、私、頑張ったんです。出来ることは少なかったけど、他の悪魔から隆志さまを守れるように訓練しました。料理を勉強してみたり、隆志さまが喜びそうな服を仕立てたりしました。隆志さまへの恩を返せるように。隆志さまに信頼してもらえるように」


 ミランダは顔を上げた。滂沱の如く涙が流れて、剥き出しになった感情がそこにあった。ミランダは膝を崩して、両手を芝草に押し付けた。食い入るように、体を前に、俺に向けて傾けた。


「私はあの時こう言ったんです、『私の命は隆志さまのものです。ですから、隆志さまが不快に思うようなことは致しません』確かにそう言ったんです。私は第三魔界のミランダじゃありません! 私は、私は隆志さまにお仕えする、隆志さまの悪魔です。なのに、私は隆志さまを裏切って、隆志さまはそれを許してしまう、お安い御用と! そんなの、そんなの、私、始めから隆志さまにとって、なんの価値もないってことじゃないですか。なにも期待されていないってことじゃないですか。なにも信頼されていないってことじゃないですか。優しいんじゃなくて、私に興味がないってだけじゃないですか」

「いや、それはちが――」

「だったら! エーリアルちゃんが同じことをしても、こうして平静でいられましたか!?」

「エーリアルが?」

「キャリバンが襲ってきた日、エーリアルちゃんを呼んで来なかったときの隆志さまの顔を、私は知っています」


 俺は思わず自分の顔に触れた。どんな顔してたっけ。


「怒っていました。苛立っていました。でもそれ以上に、不安そうでした。キャリバンに襲われるからではありません。キャリバンに対してはずっと臆していませんでした。だったら隆志さまはあの時、なにを不安がっていたんですか。エーリアルちゃんが来なかった、ただその事実だけでしょう」

「それは……」


 言葉が出なかった。違う、とも言えた。けれどそれは胸を張って言えることだろうか。胸を張って言って良いことだろうか。違う。


「隆志さまのそれは我が儘ですよ。来いと呼ばれたら直ぐに来なければ駄目なんて、横暴以外のなにものでもないではありませんか。相手を頼り切っていることに無自覚な傲慢ですよ。でも私は、そういう傲慢さを向けて欲しかった。隆志さまの我が儘を受け止めたかった。隆志さまの横暴に振り回されてみたかった……! でも現実は」


 ミランダはそこまで言って、糸が切れたように、表情から力が抜けた。唇が軽く動いた。


「すみません」


 涙を自分で拭い始める。ミランダはどこかよそよそしい様子で、ぎこちない微笑みを見せた。


「馬鹿ですね、私。恥ずかしいです。いま言ったことは忘れてください。隆志さまの迷惑になるだけです」

「ミランダ」

「本当にすみません。この件が終わったら、私は魔界に――」


 俺はミランダの手を掴み、強引に引き寄せた。で、肩と腰に腕を回した。気持ち強めに抱き締める。


「……た、隆志さま?」


 戸惑いの声をミランダは上げる。ミランダの溶けるように柔い唇が肩に当たっている。俺は抱き締める力を強くした。ミランダは戸惑いつつも、俺に身を委ねている。

 さてどうしよう。本当にどうしよう。なに一つ言葉が思いつかなかったから抱き寄せてみたけど、ホントどうしよう。こういう言葉を使わないコミュニケーションなんて言うんだっけ。肉体言語? ノンバーパルコミュニケーション? ちょっと違うな。あ、スキンシップか。どうでもいい!


「あの、たか――」

「ミランダ」


 言葉を重ねて、ミランダの二の句を封殺する。さあこの隙に気の利いた一言を考えるんだ。黄昏の海辺、抱き合う男女、ああ、ロマンチックだな。どうでもいい!


「ミランダ、俺は……」

「……はい」


 俺は? 俺はなんだよ言ってみろコノヤロウ! ニートだよ! どうでもいい!


「お前の、ことが……」


 好きでしたとでも言うつもりかこの馬鹿! どんな流れでの告白だ! 空気読め! お呼びでねえんだよ! ミランダも生唾を飲み込むな! 期待するな!


「…………」

「あっ」


 抱き締める力をより強くすると、少し苦しそうにミランダが声を漏らした。これ以上は間が持たせられない。どうしてこういう時に限ってエーリアルが出てこないんだ!


「その、なんだ。どうでもいい、とか、思ってないよ」


 自分で言った一言に、自分で安堵する。そうだよ、こんな簡単な一言で良いじゃないか、まったく。


「隆志さま」

「だから安心してくれ」

「……嘘でも、嬉しいです」


 見破られている。いや、別に嘘を言ったつもりはないんだが、否定しきれない、冷めた自分がいるのも真実だ。そして冷静になると、ミランダを抱き締めているという今の状況である。ミランダの腕やら背中やら特別に柔らかいあそことかとか、そういうものに恵まれていて喜ぶ俺がいるのも考えものだ。

 ミランダが動こうとしたので、俺は腕の力を抜いた。するとミランダは、俺の肩を掴んで、目線を上げた。そして、俺の唇に自身の唇を押し当てた。裏返った変な声が出そうになる。

 ミランダの唇は柔く、少し冷たく、ほんのちょっぴり濡れていた。鼻先に当たるミランダの頬の感触はくすぐったかった。ミランダは唇を離した。俺は自分の唇を触った。


「精気を吸われたわけではない……よな」

「はい、吸っていません」


 ミランダは儚げな笑みを浮かべた。


「私はこの件が終われば、魔界に戻ります。もう隆志さまに迷惑を掛けることもありません」

「いやミランダ、俺は――」


 人差し指を、ミランダは俺の口に当てた。俺は黙る。


「隆志さまの優しさはお腹いっぱいです。もう要りません」


 ミランダは立ち上がって、渚に向かって歩いた。俺はそれを見ることしかできなかった。


「どうやらここは日が落ちないようですね」


 後ろ姿のミランダが言った。ミランダの姿は朱い夕陽に包まれて、黒い一本の影になっていた。


「だいぶ時間も経ちましたし、そろそろなにか仕掛けてくるでしょう」

「……そうだな」


 それだけの会話をした後、沈黙が過ぎた。どれくらい黙っていたのか、長かったような気もするが、おそらく気の所為だ。

 東の空から悪魔が降ってきた。


「…………」


 唐突な出来事に、俺もミランダも沈黙したままだ。降ってきた悪魔は砂浜にめり込んでいる。やがて、ぴくりと動いた。そしてゆっくりと這い出て、起き上がった。

 黒い、真っ黒な西洋甲冑だ。細身のようだが、本当の姿かは分からない。中身のない鎧という可能性もある。黒い鎧は、俺に向かってお辞儀した。


「お初にお目に掛かります。私はレギオニステラ。アユスルオキナ様の臣下が一人。この度、アリゲーリ様をお迎えするため参上つかまつりました」

「あ、そうなの?」

「このような急なお呼び立てをしてしまい、誠に申し訳ございません。なにせ第三魔界は緊張状態であります。迂闊に動いて敵に察知されれば、アリゲーリ様の身も危険に曝されます(よし)


 レギオニステラは、俺に手を差し伸べた。掴んで、立ち上がる。


「さて、このような場所に長居は無用。急ぎ魔界へ向かいましょう」

「人間界に帰らせてくれないのか」

「この時空は不安定です。既に人間界から遠く離れています。魔界を迂回し、時空の通過に他の悪魔の手を借りた方が、結果的に早く人間界へ戻れましょう。そのついでという形で、我が主に会っていただくだけでも幸いです」

「そうか」

「……時に隆志さま、あちらにいるミランダから、おかしなことを吹き込まれはしませんでしたか?」

「いや、特には」

此度(こたび)のことが罠である、若しくは罠の可能性がある、といったようなことは?」


 こいつ、滅茶苦茶にまくしたててくるな。こっちには考える余裕もない。


「人間界での活動をミランダから報告されているのですが、最近、その活動の内容に不明瞭な点が多く見受けられました。なにを考えているのか分かりません。ですが人間界での生活に味を占めたのでしょう。第三魔界と貴方の不和を謀って、人間界に居残ろうとしているやも知れません」

「言い掛かりだろ」

「さてどうでしょう。ともかく魔界へ急ぎましょう。積もる話は魔界にて」


 レギオニステラはミランダに指図した。ミランダが俺たちに近寄る。足元に時空の穴が開いた。


「旦那、待てっ!」


 真横にも時空の穴が開き、飛び出してきたのはキャリバンだ。


「キャリバンっ!」


 俺も、ミランダも、レギオニステラも声を上げた。驚きの声に混じって、忌々しげな声が混じっていた。

 キャリバンが俺の二の腕を掴んだ。そして、下と横に引っ張られる感覚。気付いた時には背中から倒れていた。


「すまねえ、旦那。間に合わなかった」


 キャリバンが立っていた。立っていたのは、冷たい地面。黒く、硬い、岩盤のような地面。空は暗雲。飛び散る灰燼(かいじん)

 第三魔界だ。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ