3-1.拗ねるエーリアル
古い雑誌をミランダが読んでいるので、俺は一人で事に当たらねばならない。ミランダが読んでいるのは旅行雑誌だ。一年前の夏を特集している。
俺は立方体に作った紙を転がした。出た目は「呼び掛ける」。
「おいエーリアル」
返事はない。エーリアルは部屋の隅で壁に向かって、足を抱えて座っている。
「怒るなよ」
「怒っていません。呆れています」
俺は唸る。ミランダが旅行雑誌から目を外した。
「まだ拗ねたままですか?」
「そうだな」
「拗ねてはいません」
「拗ねる剣ってどうなんです?」
「使いづらい」
「だから拗ねてねえって言ってんだろ」
エーリアルは体をこちらに向けた。心なしか紫色の発光が強い。
「アリゲーリは人間の体ですが、エーリアルを使えば人間界の一つや二つ一晩あれば墜せるはずです。なのに日和って呆けたようにだらだらだらだら……働け!」
「あーあー、キコエナイキコエナイ。そもそも世界征服は働くうちに入らない」
「聞こえてるじゃないですか……」
ミランダすら呆れたように呟いた。俺が悪いのか。そんなに俺が悪いのか。
「もっと自信を持ってください隆志さま」
「自信?」
「そうです、隆志さまが働かないのは平和のため。兵器たるエーリアルちゃんと相容れないのは必然です。飛鳥尽きて良弓蔵る、狡兎死して走狗烹らると言うではありませんか」
皮肉じゃないのはわかっている。純真なミランダの表情に誹りはない。しかし今の台詞は俺にもエーリアルにも痛い。
「アリゲーリ、異存はありませんね」
「そうだな、このまま言わせておくわけにいかん」
「え、あれえ?」
笑って誤魔化すミランダに詰め寄る。エーリアルが剣となる。俺はエーリアルを振り上げた。
「ひやん!」
「すまん、冗談だ」
エーリアルを手放すと、少女の姿に変わった。不機嫌さが増してしまったようだ。
「あのままエーリアルと同じ背丈にしてやれば良かったんです」
言い捨て、また部屋の隅に座り込む。エーリアルご機嫌取り双六は振り出しに戻った。盤上の駒をスタート地点に置く。
「……あの、隆志さま?」
「なんだ」
「さっきから、それはなんです?」
「お前もやるか」
「いえ、結構です」
再び紙サイコロを振る。出た目は「手入れ」だ。良い目が出たな。
「エーリアル」
「ふん」
そっぽを向いたまま動かない。頭を撫でてから抱え上げた。部屋を出て、下の階へ。流し台まで運び、槽に置く。蛇口を捻る。太い一本の水がエーリアルを濡らした。
「なんのつもりです」
「ちょっと待て」
棚を漁る。見つけた。砥石だ。
「本当は水に漬けるんだけども、そもそもお前には必要ないし、気分だけな」
砥石を濡らし、エーリアルの頬に擦り付けた。エーリアルの頬が歪む。
「うにゅ、こりは……!」
「後は自分でやれ」
砥石を渡すと、へちまで体を洗うみたいにごしごしやり出した。凄く嬉しそうな笑顔だ。つくづく変な剣です。俺は部屋に戻った。
「あ、隆志さま。どうでした?」
「効果あったよ」
エーリアルご機嫌取り双六はあがりだ。
ミランダはまだ旅行雑誌を見ていたようだ。人間界の風景が物珍しいのだろう。しかしどこかそわそわして、視線が俺の顔と雑誌を行ったり来たりしている。俺はパソコンに向かった。
「あの、隆志さま」
「うん?」
「その……暑いですね」
「扇風機の前を陣取っても良いぞ」
「いえ、私は悪魔ですから。この程度なんともありません」
「暑いんじゃなかったのかよ……」
「あの、隆志さま」
「なんだ」
「隆志さま、泳ぐのは好きですか?」
「嫌いじゃない」
「そ、そうなんですね! それじゃあ日焼けするのは?」
「嫌い」
「あ、そうですか」
カラカラカラ、と扇風機の回る音がする。
「隆志さま」
「どったの」
「私の水着姿って、見たいですか?」
ミランダを見遣る。懐にはしっかりと旅行雑誌が抱かれていた。
「海、か」
「た、隆志さま!」
「アリゲーリ、海は魔物と聞きます。行きましょう」
部屋の扉を開けて、エーリアルが現れた。風呂上がりのようにびしょ濡れだ。
「お前ちゃんと拭いて出て来いよな!」
ええと、タオルがこの辺に――
「私、さっそく準備して参ります!」
ミランダが時空の穴を使って、どこかに行ってしまった。
「あ、おい! まだ行くと決めたわけじゃ……なかったんだがなあ。まあいいか?」
エーリアルを拭きながら、海パンをどこにしまってあったか考える。エーリアルは「魔物、魔物、魔物」と連呼して、とても楽しそうだった。




