2-4.酒と涙と男と悪魔
帰り道、ミランダが手を空に向けた。こちらを見て微笑む。
「もう雷も鳴らないだろう」
「本当ですか!」
「しかし実際のところ、どうなんだ? 戦ってたときは全く気にしてなかったようだが」
「うーん……なにかに集中してれば平気なんですが、不意にくるとどうしてもだめです」
あれこれと駄弁りながら歩いていると、向かいに妙な人影が見えてきた。少女が大きな犬を引き摺っている。近付いて、それは誤りだと分かったものの……。
「おうおう、アリゲーリ」
「なにやってんだエーリアル」
「キ、キャリバン……」
愕然としたミランダが、青い顔して俺の後ろに下がった。キャリバンは四つん這いの状態で、首輪に繋がれていた。綱を握るのは当然エーリアルだ。エーリアルは得意満面の笑みだ。
「市中引廻しのうえ打ち首獄門です」
「だから殺すなって言ってるだろ! あと悪趣味なことするな!」
エーリアルから綱を奪う。首輪を外そうと屈む。キャリバンの顔が恐怖に歪んだ。
「ごめんなさい、もうしません。許してください。おうちに帰らせてぇ」
言い出すうちに泣き出してしまう始末。人格を歪められたのかこちらが素なのかわからないが、手を出し辛い。
「この短時間でいったいなにが……」
ミランダが恐る恐る俺の隣に屈んだ。
「短時間とは限らない」
エーリアルは時間を操る能力も持っているし、時間の流れが遅い時空に移っていたとしたら、キャリバンがどれほどの責め苦を受けたのかしれたものではない。外傷は見えないが、それだってなんの保証にもならない。悪魔は傷の治りが早いのだ。痕も滅多に残らない。
「おいキャリバン、首輪を外すぞ」
「ひぃ」
腕で頭を庇い、首を引っ込める。強引に外そうとすると、喚いて暴れた。「痛っ」振った腕が俺の顔に当たる。
エーリアルが俺から綱を取り返して、強く引いた。キャリバンが前のめりに倒れる。頭を伏せて震えてしまう。
「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……!」
「止せエーリアル。見るに堪えん」
エーリアルが不服そうに頬を膨らませる。殺気が仄かに立ち上がる。
「おい、もういいだろエーリアル」
「……アリゲーリがそう言うなら」
エーリアルは綱を離した。今度こそ首輪を外す。
「ほら、お前も泣くなよ」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
「全然声が届いていませんね。こんなキャリバンは初めて見ました」
「どうしよう」
「食べ物をあげるとかどうです? 気分の高揚するものとか」
「気分の高揚するもの?」
俺はミランダたちを待たせて、食べ物を探しに走った。途中、コンビニを見つける。
「気分の高揚するものってなんだ、甘い物とかか?」
そうして俺の目に付いたのは、酒だった。
ミランダたちの許へ戻ると、ミランダの胸にキャリバンが抱かれていた。寝付かない子供をあやしているような光景だ。
「あ、隆志さま」
「その有り様は?」
「こうしてると少しは落ち着くみたいです。こんなこと言うのもなんですが、酷いものですね」
苦笑いしかない。俺は幾つか買ってきた酒を取り出した。
「なんです、それ?」
「気分の高揚するものだ」
取り敢えずビールだ。蓋の引き金を引くと、パキという音と一緒に、プシュッ、と小気味良い音が鳴る。シュワシュワと泡が湧いてきた。アルコールのくらっとするような匂い。キャリバンの口に近付けた。
「飲めるか?」
魔界の味で育ってきた者にとり、人間界の食物や飲料には抗いがたい魅力がある。こんな状態でも興味を引かれたのか、キャリバンは鼻を近付けた。匂いを嗅いでいるらしい。そして溢れて缶の口に溜まったビールを、ぺろりと舐め取った。
「……おいしい」
「ぜんぶ飲んでいいぞ」
キャリバンは怯えたように、上目遣いで俺を見た。罠ではないかと疑っているのだろう。それっきり動かない。俺はビールを煽った。ぐっ、と喉が動く。ビールの香りと一緒に、アルコール独特の詰まるような感覚が喉を焼き、頭に上ってくる。胃に重い液体が流れ込む感触。
「ックぁ~~~!」
大きく息を吐いた。そして、キャリバンに改めて缶を突き出す。
「飲め!」
「いいの、か?」
「いいから飲め!」
キャリバンはおっかなびくり、缶に口を付けた。ビールを舌の上で転がすように味わっている。それからミランダから離れて、俺から缶を受け取った。先ほど俺がそうしたように、ビールを一気に煽る。ぐび、ぐび、と喉が鳴る。勢い良く缶を下して、きらりと輝いた瞳で俺を見た。
「くは~~~~っ!」
酒臭い。
「うめえ! なんだこれ、この世のもんじゃねえよ!」
「まだあるぞ、飲むか?」
「飲む!」
買ってきた酒を渡す。次から次へと水のように飲み干していく。横ではミランダが物欲しそうな視線を送ってきているが、今は無視。
最後の酒を飲み干したキャリバンは、缶を握り締めたまま、動かなくなった。俯いて、じっと真下を見ている。
「おい大丈夫か」
ぽたりと、キャリバンから光る水滴が落ちた。雨ではない。涎でもない。涙だった。顔を上げたキャリバンは、真っ赤な顔に涙を浮かべていた。「うあああぁぁん!」号泣しながら抱き付いてきた。
「おいおい、お前まさか泣き上戸か。一気に飲むからすぐに酔うんだ」
「で、どゅ、だ、旦那、旦那ぁ!」
「旦那ときたか……」
「ありがとうなぁ! 俺、俺は旦那のこと食おうとしらろに、ろり、う、くぉんな、くなによくせえせええぇ!」
「なに言ってっか全然わからん」
「隆志さま、毒でも飲ませたのですか?」
「俺が飲ませたのは百薬の長だ」
ミランダの背中を擦る。どうしよう。酒を飲ませて元気にさせるはずが、余計に時間が掛かりそうだ。
「ごめんな、旦那、ごめんなぁ」
「はいはい」
まあ俺としては迫力のある豊かな感触が胸に当たっているので、このままでも一向に構わんのだが。
「時にキャリバン、一つ訊きたいことがある」
「んあ?」
「お前どうしてあの居酒屋にいたんだ。偶然じゃないだろう」
「こっちに来たとき、悪魔が案内してくれたんだ」
「知ってる悪魔か?」
「や、とおいすがい」
「そうか……」
「う~う~う~」
俺の肩に目を当てて、泣き止まないキャリバン。あっちゃこっちゃ撫でまわしているのだが、大した反応もない。
「旦那ぁ、俺ぁ、分かったよ」
「なにがだ」
「旦那は神様だ。きっとそうだぜ」
「なわけ――」
「足を舐めさせてくれ。忠実に従うよ。決めた。俺はあんたの家来になる!」
「おい酔いすぎ――」
「あんたのためならなんでもするよ。こう見えて顔は広いんだ。第二魔界にな。第三じゃないぜ」
「別に家来なんて――」
「頼むよ旦那。なんでもするし、足を舐めて忠誠を誓う。そんでたまに酒の味を教えてくれ。俺ぁあんたが好きになった」
「えい、もう黙れ!」
キャリバンを引き剥がした。キャリバンは仰向けに倒れた。その頭上にエーリアルがいた。一瞬にして酔いが冷めたらしく、笑顔が引き攣った。
「ひぃ! き、今日のところはこの辺でな! またな!」
時空の穴に慌てて入り込みながら、キャリバンは去っていった。
「なんだか思っていたより親しみやすい悪魔のようですね」
幻滅の視線を送りながら、ミランダが呟いた。
「今の悪魔は皆あんなか?」
「いえ、そんなことは……ないはずです」
「昔もあんなだった気がするな」
ともかく、俺たちは再び帰路についた。
「おい、エーリアル、いつまでも膨れてるなよ。帰ろうぜ」
「ふん、アリゲーリは腑抜けちまったんですね。こっちに来てからまだ一度も殺していません」
「誰も殺さないよ。それもあって、ずっとお前を呼んでいなかったんだ」
剣呑な雰囲気が立ち込めるようだ。ミランダが間に割って入る。
「まあまあ、そういった込み入った話はここでするのもなんですから、先ずは皆いっしょに帰りましょう!」
「失せろ阿婆擦れ!」
エーリアルの怒号と同時、稲妻が白く世界を染め上げた。空気を力づくで引き裂いたような、乾いた轟音。かなり近い距離で落雷したらしい。小降りになっていた雨も急に強くなった。
「驚いたな。ともかくミランダの言う通りだ。いったん帰るぞ」
俺が歩き出すと、エーリアルは渋々付いてきた。数歩あるいて、ミランダが付いてきていないことに気が付く。
「ミランダ?」
振り返った。
「こ、こいつ……!」
エーリアルが言った。
「立ったまま気絶してやがる!」




