第9話 初めての挑戦
「飛べない竜に賭ける奴なんているのか?」
その声が聞こえたのは、俺が大会の受付に並んでいるときだった。
振り返ると、二人の男が掲示板を眺めながら話していた。片方は予想表を持ち、もう片方はそこに書かれた数字を指で叩いている。
「いるにはいるさ。レオン・アシュベル、十四歳。大会初出場で、育成士資格もなし。相棒は左翼を怪我した幼竜だとよ」
「相手は大会経験者だろ? 勝負になるのか?」
「予想屋の見立てじゃ、新人側の勝率は十五パーセント。経験者が八十五パーセントだ。俺なら迷わず経験者に賭けるね」
二人は笑いながら受付を離れていった。
俺は足元のガルドを見た。
話題の中心になっていた本人は、そんなことなど気にも留めず、隣の屋台から漂ってくる肉の匂いを追いかけている。
「お前、今から試合だって分かってる?」
ガルドは尻尾を振った。
「そっちは串焼き。試合はあっち!」
一月十二日。旧グラン牧場の正式契約を終えた翌朝、俺たちは育成士協会の競技大会へやって来ていた。
昨日、母さんの琥珀の首飾りを質屋に預け、二万ルーンを借りた。そのうち一万ルーンは牧場の保証金に使い、これからは毎月一万五千ルーンの使用料も必要になる。
大会で結果を残せれば、賞金を得られる可能性もある。ただし、初戦に勝っただけで大金が手に入るわけではないし、参加する以上はガルドの身体に負担がかかる。
それでも、俺がここへ来たのは金のためだけじゃなかった。
学校の実技試験に落ちてから、育成士として何ができるのか分からなくなっていた。けれど、ガルドと暮らし、ルルと出会い、二匹の行動を観察するうちに、自分なりの育て方が少しずつ見えてきた気がする。
特に気になっているのは、ガルドが地面の揺れに反応することだ。
荷車が近づく前から足元へ注意を向けたり、遠くの振動を感じているような動きを見せたりする。まだ能力と呼べるほど確かなものではないが、飛べないガルドにも得意なことがあるのかもしれない。
ただし、競技場で試すには危険も伴う。
ガルド自身が嫌がるなら、無理に出場させるつもりはなかった。
「まずは受付だな。ルルも、はぐれるなよ」
ガルドの頭の上では、青いスライムが小さく縮こまっていた。人が通るたびに角の陰へ隠れるくせに、ガルドから離れようとはしない。
「怖かったら、今日は安全なところで待ってていいからな」
ルルは黒い目をこちらへ向けたあと、ガルドの頭にぴったりくっついた。
*
「本当に出場するのか?」
受付の男性は申請書を読み直し、俺の顔を見た。
「はい。条件を満たせるなら、挑戦したいです」
「協会には無資格者向けの臨時参加枠がある。ただし、魔物本人の意思確認、管理能力の審査、医療担当者の許可が必要だ。逆契約だからといって特別扱いはできないぞ」
「分かっています。危険だと判断されたら出ません」
男性は申請書に確認印を押し、医療室の場所を教えてくれた。
診察を担当した女性は、ガルドの左翼に触れる前に手を見せ、嫌がる反応がないか確かめながら慎重に状態を調べた。
「骨格と神経の損傷は残っています。飛行や翼に強い負担がかかる動作は禁止です。地上での運動は可能ですが、試合中に痛みや疲労の兆候が見られれば、こちらの判断で停止します」
「はい」
「それから、今日出場できても明日の試合に出られるとは限りません。毎回、改めて診察を受けてください」
俺は頷いた。
勝ったからといって、次も戦えるとは限らない。頭では分かっていたが、医療担当者からはっきり告げられると、急に現実味が増した。
診察を終えたあと、俺はガルドの前にしゃがんだ。
「なあ、ガルド。無理に戦わなくてもいいんだぞ。嫌だったら、今日は見学だけにしよう」
ガルドは競技場の方を見た。
ちょうど、遠くから観客の歓声が聞こえてきたところだった。ガルドの耳が動き、前脚が一歩進む。俺がその場に残っていると、振り返って鼻先で膝を押してきた。
何を望んでいるのか、完全には分からない。
それでも、少なくとも今は競技場へ向かいたいようだった。
「分かった。じゃあ、できるところまでやってみようか」
*
競技場に入った瞬間、思わず足が止まった。
円形の客席が中央の競技区域を取り囲み、上段には色とりどりの旗が並んでいる。売店からは焼いた肉や温かい飲み物の匂いが漂い、観客の話し声に混じって魔物たちの鳴き声が響いていた。
「すごいな、ガルド。こんなに人がいるんだ」
ガルドは客席よりも、中央の地面を興味深そうに眺めていた。
大会では十二種類の基本ステージが使われる。平原、山岳、河川、雪原、火山、森林、砂漠、湿地、洞窟、遺跡、暴風、複合地形。
どの地形で戦うかによって、同じ魔物でも有利不利が変わる。だから試合前にはステージが抽選され、出場者には短い作戦時間が与えられる。
俺たちの初戦の抽選結果が掲示されると、観客席から声が上がった。
《第一回戦・平原ステージ》
「平原か。あの四足魔物には悪くないな」
「障害物が少ないから、足の速い方が有利だろう」
そんな会話が聞こえてくる。
平原ステージは短い草と固く踏みならされた土で構成された広い競技区域だ。遮蔽物が少なく、相手の動きを見やすい反面、速度の差をごまかしにくい。
ガルドは左翼の怪我があるため、急な方向転換が苦手だ。
相手が素早く回り込んでくれば、追いかけるだけで体力を使ってしまう。
「簡単じゃないな。でも、考えよう」
俺はガルドの頭を撫でた。
追いつけないなら、追いかけなければいい。
相手の方から近づいてきてもらい、その進路を読んで動けば、速さの差を少しは埋められるかもしれない。
*
試合前の掲示板には、両者の公開情報が表示されていた。
俺とガルドは初出場で、公式戦績はゼロ勝ゼロ敗。種族ランクや個体実力についても、確認されていない情報は未鑑定として扱われている。
一方、対戦相手には大会経験があった。
観客の中には、過去の試合を見たことがある人もいるらしい。
「相手の四足魔物、前の大会でも速かったぞ」
「新人の幼竜じゃ追いつけないだろうな」
「でも、竜種なんだろ? 一発でも当たれば分からないぞ」
「竜ってだけで勝てるなら、育成士なんていらないさ」
最後の言葉に、俺は思わず顔を上げた。
そうだ。種族が強いから勝つわけじゃないし、怪我をしているから必ず負けるわけでもない。
予想表には、公開成績や地形相性を参考にした勝率が示されていた。
俺たちは十五パーセント。
相手は八十五パーセント。
ただし、これは予想屋の見立てであって、実際の勝敗が決まったわけではない。
隣では、男たちが賭け札を手に相談していた。
「俺は経験者に賭ける。新人の方は怖くて買えないな」
「俺は逆に幼竜が気になるね。勝ったら面白いだろ」
「そんな理由で金を使うのかよ」
「予想ってのは、当たるかどうかを楽しむもんだろ」
俺は二人の会話を聞きながら、財布のことを思い出した。
牧場の使用料も、首飾りの借金もある。今の俺には賭けに回す余裕なんてない。
それに、今日必要なのは自分たちの勝負に集中することだった。
*
対戦相手は、俺より少し年上に見える青年だった。
隣には、短い毛並みをした四足の魔物がいる。肩は低いが前脚が太く、身体を左右へ動かすたびに地面を力強く蹴っていた。
「よろしくな。初出場なんだって?」
青年が手を差し出してきた。
「はい。レオン・アシュベルです」
「緊張してるだろ。俺も最初はそうだったよ」
「見て分かります?」
「顔に書いてある」
青年は笑ったが、ガルドの左翼を見ると表情を引き締めた。
「怪我をしてるんだな」
「輸送事故で傷めました。医療担当者の許可は受けています」
「そうか。なら、遠慮はしない。でも、危ないと思ったらお互い止めよう」
「はい。よろしくお願いします」
握手を交わし、俺たちはそれぞれの準備場所へ戻った。
相手の魔物は青年の短い合図に素早く反応している。右へ動けと言われれば右へ、止まれと言われれば、すぐに足を止める。かなり訓練されているようだった。
ガルドはというと、俺が作戦を考えている間、地面の匂いを嗅いでいる。
「お前、少しは緊張してくれよ」
ガルドは顔を上げ、俺の鞄を見た。
「おやつはないって!」
ルルがガルドの頭の上で小さく跳ねた。
その様子を見て、俺も少し笑ってしまった。
*
試合開始前、審判が競技規則を確認した。
制限時間内に安全な形で決着がつかなければ、攻撃の有効性、防御と回避、戦術と地形利用、育成士と魔物の連携、安全管理と競技規律を合計百点満点で評価する。
相手を重傷にする必要はない。戦闘を安全に続けられないと判断された場合には決着となり、医療担当者も必要に応じて試合を止める。
俺は説明を聞きながら、ガルドの左翼を確認した。
「無理だと思ったら止めるからな」
ガルドは俺の手に鼻先を寄せた。
ルルには協会職員が見守る安全な場所へ移動してもらった。最初はガルドから離れたくない様子だったが、俺が手を差し出すと、少し迷ってから職員の用意した場所へ移った。
それでも、黒い二つの目はずっとガルドを追っている。
やがて、開始の笛が鳴った。
*
先に動いたのは相手だった。
四足の魔物が地面を蹴り、正面から勢いよく近づいてくる。
「ガルド、右へ!」
俺の指示に従い、ガルドは身体をずらした。
相手はそのまま通り過ぎるかと思ったが、直前で足を踏み替え、ガルドの側面へ回り込んできた。
鈍い音が響いた。
相手の肩がガルドの身体に当たり、土色の鱗が揺れる。ガルドは前脚を踏ん張ったものの、左翼をかばいながら後退した。
観客席がどっと沸いた。
「速い!」
「新人、反応が遅れたな!」
俺は思わず前へ出かけたが、指示区域の線を見て踏みとどまった。
競技場へ勝手に入ることはできない。
「ガルド、大丈夫か!」
ガルドは身体を起こし、相手へ向き直った。
呼吸はまだ乱れていないが、今の一撃を何度も受ければ危険だ。
相手は距離を取り、再び走り始めた。
今度は右へ、次は左へ。ガルドが向きを変えるたびに、相手はさらに外側へ回り込んでいく。
「追うな、ガルド! そこで待って!」
ガルドは足を止めた。
相手の青年が何かを指示すると、四足の魔物は大きく弧を描き、今度はガルドの左側を狙ってきた。
翼のある側だ。
「正面を向け! 大きく動かなくていい!」
ガルドは前脚を踏み替えたが、相手の方が速い。
再び肩がぶつかった。
ガルドの身体が横へ押され、前脚が土を滑る。傷ついた左翼を地面にぶつけまいと踏ん張ったせいで、右の前脚にも負担がかかっている。
相手の青年は、ただ速さに任せているわけではなかった。ガルドに何度も方向転換をさせ、疲れたところを攻めるつもりなのだ。
このままでは勝てない。
俺は競技場の地面を見つめた。
固く踏みならされた土。短い草がところどころに生えているが、相手の動きを遮るものはほとんどない。
平原ステージは、足の速い魔物に有利な地形だ。
けれど、走れば必ず地面を蹴る。
その振動は、足元を伝わっていく。
以前、牧場へ向かう道で荷車が近づいてきたとき、ガルドは車輪の音がはっきり聞こえる前から反応していた。何度か似た様子を見せたこともある。
あのときは、音や匂いに気づいただけかもしれないと思った。
今も、振動を感じ取っていると断定できるわけじゃない。それでも、試してみる価値はあった。
「ガルド! 相手を追わなくていい。足元に集中して!」
ガルドは俺の声に反応し、前脚を地面へ押しつけた。
相手の魔物は右側から接近している。
「まだ動くな!」
相手が速度を上げた。土を蹴る音が響き、細かな砂が舞い上がる。
ガルドの耳が動いた。続いて前脚に力が入り、相手が目前に迫るより早く、身体を右へ向け始める。
「今だ! 正面を塞げ!」
ガルドが踏み込むと、相手の四足魔物は急いで進路を変えた。横を抜けるつもりだったのに、そこにはもうガルドの身体がある。勢いを殺しきれず、前脚が土を滑った。
「よし、今のはいいぞ!」
初めて、相手の動きに先回りできた。
観客席からも驚いた声が上がる。
「おい、今の見たか? あの幼竜、相手が来る前に向きを変えたぞ」
「足音で分かったんじゃないのか?」
「だったら、さっきまで反応できなかったのは何でだ?」
俺にも、まだ正確な理由は分からない。ガルドが地面の振動を感じ取ったのか、それとも相手の動きを見て判断したのか。ただ、前脚を地面に据えて待ったときの方が、反応が早かった。
相手の青年も変化に気づいたらしい。
「なるほど。待ち構える方が得意なのか」
青年が指示を変えると、四足魔物は大きく回り込む動きをやめ、短い距離で何度も方向を変え始めた。
右へ二歩、左へ一歩。止まったかと思えば、すぐに踏み込む。
ガルドは最初の動きに反応したものの、次の方向転換にはついていけなかった。
「ガルド、無理に合わせなくていい!」
俺が呼びかけた直後、相手が左側へ飛び込んできた。ガルドは身体をひねって避けようとしたが、肩同士がぶつかり、土色の身体が大きく揺れた。
傷ついた左翼をかばうため、前脚を不自然な位置へ踏み出してしまう。
「ガルド!」
ガルドは倒れずに持ちこたえたが、左翼を身体へ強く寄せていた。
審判が医療担当者へ視線を向ける。俺も指示区域の境界まで近づき、ガルドの動きを確かめた。
「無理ならやめよう。もう十分頑張ったから!」
ガルドは俺を見たあと、自分から相手へ向き直った。ただし、それだけで痛みがないとは判断できない。
医療担当者が短い確認のために競技を止めた。
俺はガルドのそばへ行きたかったが、許可が出るまでは区域の外で待った。担当者は歩き方や翼の状態を調べ、審判と話し合ったうえで、慎重に競技の続行を認めた。
「少しでも動きが悪くなったら、次は止めます」
その言葉に、俺は頷いた。
勝ちたい気持ちはある。けれど、ここで無理をさせてガルドの怪我を悪化させたら、何のために一緒に暮らし始めたのか分からなくなる。
残り時間は少ない。
俺は相手の魔物を見た。
速さでは向こうが上だ。攻撃を当てた回数でも負けている。だからこそ、残された時間で何を狙うか、はっきり決めなければならなかった。
*
試合が再開すると、相手の青年は再び細かい方向転換を指示した。
四足魔物は右へ動くと見せかけて左へ切り返し、ガルドが反応すると距離を取る。さっきまでなら、俺はその動きについていこうとしていただろう。
けれど、今は違う。
相手は方向転換の直前、外側の前脚へ体重を移している。速く走っていると分かりにくいが、大きく曲がるときには必ずその動作が必要になる。
そして、急に曲がるほど、次の一歩を置く場所が限られる。
「ガルド、中央を守ろう。相手を追いかけなくていい!」
ガルドは前脚を踏みしめ、競技区域の中央付近に位置を取った。
相手が右へ回る。
ガルドは少しだけ向きを変える。
さらに左へ切り返されても、無理に追わない。
観客席から声が飛んだ。
「おい、新人の竜が動かなくなったぞ!」
「疲れたんじゃないか?」
「いや、違う。あれは相手を待ってるんだ!」
相手の青年も、こちらの狙いに気づき始めていた。
「なら、中央から動かしてやる!」
四足魔物が距離を取り、大きく回り込み始める。
俺はその走り方を見て、次の動きを考えた。
相手は右側から近づき、ガルドの正面を避けて左へ抜けるつもりだろう。これまで何度も成功している攻め方だ。
ただし、今回はガルドが追いかけない。
相手の方から近づいてくる。
「ガルド、まだ待て!」
四足魔物が加速した。
土を蹴る音が響く。
ガルドの前脚に力が入る。
相手が方向を変えようとした瞬間、俺は声を張った。
「右へ向け!」
ガルドが身体を動かす。
四足魔物は進路を塞がれ、慌てて反対側へ切り返した。
だが、そこには競技区域の境界が迫っている。
「止まれ!」
青年の指示が飛ぶ。
相手は前脚を踏ん張ったものの、速度を殺しきれず、身体が横へ流れた。
その瞬間、ガルドが一歩前へ出た。
相手へ体当たりするためではない。
逃げ道を塞ぐためだ。
四足魔物は進路を変えようとしたが、踏み出す場所を失い、体勢を崩した。
観客席が大きく沸いた。
「おおっ!」
「新人が追い詰めた!」
「速さじゃなくて、進路を読んだのか!」
俺は思わず拳を握った。
けれど、ガルドは相手へ飛びかからなかった。
体勢を崩した魔物の前で踏みとどまり、相手が立ち直るまで距離を保っている。
その判断を見たとき、俺はガルドがただ指示に従っているだけではないのだと感じた。
相手を倒すことより、危険な接触を避けることを選んだのかもしれない。
もちろん、本当の理由は分からない。
それでも、俺はその行動が嬉しかった。
直後、試合終了の笛が鳴った。
*
「両者、試合終了! 判定に入ります!」
審判長の声が響くと、観客席がざわめいた。
俺はすぐにガルドのところへ行きたかったが、審判の許可が出るまで待たなければならなかった。
ガルドはその場に座り込み、いつもより速い呼吸を繰り返している。
左翼は身体へ寄せられたままだ。
審判団は記録を照合し、五つの判定項目を確認していた。
攻撃の有効性は二十五点満点。防御と回避も二十五点。戦術と地形利用、育成士と魔物の連携がそれぞれ二十点で、安全管理と競技規律が十点。
合計百点満点で評価される。
相手は攻撃面で優位だったが、ガルドは後半に防御と位置取りで巻き返した。特に、相手の速さに合わせて走り回るのをやめ、進路を塞ぐ戦い方へ切り替えたことが評価されたようだった。
やがて、掲示板に判定結果が表示された。
攻撃の有効性では相手が上回っている。
防御と回避でも、序盤の失点が響いていた。
けれど、戦術と地形利用、連携の項目では俺たちが上回っていた。安全管理についても、危険な追撃を避けた判断が評価されている。
審判長が結果を確認し、観客席へ向き直った。
「判定勝者、レオン・アシュベル選手、ガルド!」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「勝った……?」
次の瞬間、観客席から大きな拍手が起こった。
「新人が勝ったぞ!」
「予想をひっくり返した!」
「最後の位置取り、見事だったな!」
先ほどまで相手に賭けると言っていた男たちも、驚いた顔で掲示板を見つめている。
「まさか、本当に勝つとはな」
「だから言っただろ。竜だからじゃない。あの少年、途中で戦い方を変えたんだよ」
俺はその言葉を聞きながら、ようやく勝利を実感した。
学校では、魔物の能力を最大限に引き出すことが重要だと何度も教えられた。
けれど、今日のガルドは、相手より速く走れたわけでも、強い攻撃を使えたわけでもない。
自分にできることを見つけ、相手の動きを観察し、少ない動きで勝負した。
それが、勝利につながったのだ。
「ガルド、やったな!」
俺は駆け寄りかけたが、左翼のことを思い出して足を止めた。
しゃがんで手を差し出すと、ガルドは鼻先を押しつけてきた。
「お前、本当にすごいよ」
ガルドは短く鼻を鳴らした。
けれど、その動きには普段ほどの勢いがなかった。
*
試合後の医療室で、担当者はガルドの左翼の付け根を慎重に確認した。
「現時点で、新しい大きな損傷は確認できません。ただし、かなり負担がかかっています」
「やっぱり、そうですか」
「特に方向転換を繰り返したことで、翼の周囲の筋肉にも疲労が見られます。今日は十分に休ませてください」
俺は敷物の上で横になっているガルドを見た。
さっきまで競技場で相手の進路を塞いでいた幼竜が、今は身体を丸め、ほとんど動こうとしない。
「明日の試合は、出られますか?」
「明日の状態を確認してからです。炎症が出たり、痛みが強くなったりすれば、出場は認められません」
「分かりました」
勝ったからといって、次も戦えるとは限らない。
その当たり前のことが、今になって重く感じられた。
ルルを迎えに行くと、小さな青い身体がガルドのそばへ跳ねてきた。
普段なら知らない人が近づくだけで隠れるくせに、今は医療担当者が近くにいても離れようとしない。
ルルはガルドの前脚へ身体を寄せ、そのまま動かなくなった。
「心配してたのか?」
俺が声をかけると、ルルは少しだけ身体を伸ばした。
ガルドも目を開け、鼻先をルルへ近づける。
二匹の様子を見て、俺はようやく少し安心できた。
*
旧グラン牧場へ戻る頃には、日が沈みかけていた。
俺はガルドの歩幅に合わせ、途中で何度も休憩を取った。
いつもなら食べ物の匂いを見つけるたびに立ち止まるのに、今日は屋台の前を通っても反応が鈍い。
「ガルド、今日はおやつをねだらないのか?」
そう尋ねると、ガルドは俺を見上げた。
尻尾が少し動いたが、それだけだった。
牧場に着くと、俺はすぐにガルドの寝床を整えた。左翼を圧迫しないよう敷物の位置を調整し、水と食事を用意する。
ガルドは飼料へ鼻先を近づけたものの、いつものような勢いでは食べなかった。
「疲れてるんだな」
俺は無理に食べさせず、様子を手帳に記録した。
今日の勝利は嬉しかった。
観客の歓声も、判定が告げられた瞬間も、きっと忘れない。
けれど、ガルドが疲れ切っている姿を見ると、喜んでばかりもいられなかった。
ルルはガルドの隣で身体を丸め、時折、前脚へそっと触れている。
俺は二匹のそばに座り、母さんの育成日誌を開いた。
試合で何ができたかだけでなく、どこで負担がかかったのかも記録しておかなければならない。
次に同じ状況になったとき、もっといい判断ができるように。
そのとき、ガルドが身体を動かした。
傷ついた左翼の付け根が、わずかに震える。
俺は手を止め、そっと様子を確かめた。
「ガルド?」
ガルドは俺を見上げたが、いつものように鼻先を寄せてこなかった。
左翼を動かそうとして、途中でやめたようにも見える。
俺はもう一度、翼の付け根を確かめようとした。
すると、ガルドが身体を引いた。
これまで、俺がそっと触れるのを嫌がったことはほとんどなかった。
「痛いのか?」
ガルドは答えない。
ただ、傷ついた翼を身体へ寄せたまま、じっとしている。
俺は手を引き、無理に触るのをやめた。
試合後の診察では、大きな損傷は確認されなかった。
けれど、負担がかかっていることは確かだった。
明日の朝、必ずもう一度診てもらおう。
そう決めて、俺は手帳を開いた。
そこには、今日の試合結果が書かれている。
《第一回戦・判定勝利》
そのすぐ下に、もう一つ書き加えた。
《左翼の付け根に痛みの疑い。食欲低下。明朝、再診察》
書き終えたところで、ガルドが小さく身じろぎした。
いつもなら食事の器を空にして、まだ足りないと催促してくる時間だ。
けれど、今夜の器には飼料が残っている。
ルルはその隣で、ガルドの前脚にぴったりくっついていた。
俺は手帳を閉じ、二匹のそばへ腰を下ろした。
初めての大会で、初めて勝った。
それなのに、明日の試合に出られるかどうかより、ガルドがいつものようにご飯を食べてくれるかどうかの方が、ずっと気になっていた。




