第3話 田中、水族館デートをする
「はあ……おいしい。また一層深みが増したわね」
「だろ? やっぱり樽を変えたのがいいと思うんだよな」
夜。
友人との食事を終え帰ってきた天月と俺は、二人でこっそりお酒を飲みながら会話を楽しんでいた。
俺たち覚醒者は解毒能力が高いせいで、普通のお酒を飲んでも酔うことはできない。なのでダンジョンで取れる神水酒を飲むことでしか酔えなかったんだが……最近はダンジョン産の素材を使えば、覚醒者でも酔うことができると分かった。
なので俺はダンジョン産の大麦や葡萄を収穫し、覚醒者でも酔えるウイスキーやワインを作るチャレンジをしている。当然勝手にお酒を作ったら法律に触れるから、堂島さんの許可は取ってある。
これの量産に成功すれば、覚醒者でも安価にお酒を楽しむことができる。堂島さんはもちろん他の探索者にとっても幸せな話だ。趣味兼仕事として、俺はこれに取り組んでいる。
天月は作ったお酒の試飲を手伝ってくれていて、いつもいい感想をくれる。今も俺の作ったワインをうっとりとした表情で飲んでいる。頬を赤くし、穏やかな表情をしている天月はいつもより大人びていて、なんだかドキドキしてしまう。
俺はお酒について改善案をいくつか話したあと、夕方の時のことを話す。
「そう……凛と。それはよかったわね。楽しんできて」
俺が凛と出かけると聞くと、天月は嬉しそうにそう呟く。
しかし天月はその後、俯きながら真剣な表情を浮かべる。一体どうしたんだろうか?
「……もうすぐ皇居大魔災が発生して、ちょうど七年経つわ。あの子も当時よりはだいぶ落ち着いたけど、まだ不安定な部分もある」
「そうか……もうあれから七年も経つのか。早いな」
忘れもしない。夏の暑い日――――唐突にそれは起きた。
日本最大規模のダンジョン『皇居直下ダンジョン』。
そこから突如大量のモンスターが地上に流れ出て、未曾有の災害を都内に起こした。
死者二万四千人。戦後最悪の人的被害を出したその『災害』は、今も多くの人の心に傷を残している。
その災害で両親を失った凛も、その一人だ。
「私たちはあのダンジョンの無力化に成功したけど、破壊することは叶わなかった。あのダンジョンがある限り、凛の心の傷は塞がらない……誠、あの子をよろしく頼むわね」
「ああ、分かってる」
俺と天月、堂島さんを含めた三百人の探索者によるダンジョンアタックで、皇居直下ダンジョンの無力化には成功した。
しかし三百人中、生き残れたのはたった七人。それ以外は全員ダンジョンの中で命を落としてしまった。そしてその中には、俺の大切な人もいる。あの人のことはずっと頭の中に残っていて、今でも消えない傷となっている。
「いつかちゃんと、あのダンジョンとも決着をつけなくちゃな」
俺は天月にも聞こえないくらいの声量で、そう呟く。
凛だけじゃない。あのダンジョンがある限り俺の心の傷も塞がらない。橘さんの仇を取るためにも、あのダンジョンを破壊する必要がある。
俺は決意を新たにし、グラスに残ったワインを飲み干すのだった。
◇ ◇ ◇
――――土曜日。
この日は配信も業務もない、完全なオフの日だった。
緊急の用件でもない限り、仕事の連絡はしないでくれと足立にも言ってある。今日は仕事のことを忘れ、思い切り羽を伸ばすことができるというわけだ。
黒犬ギルドにいた頃は、完全なオフの日なんてなかった。月に一度や二度ある休日も、仕事の電話は容赦なく舞い込んできて休日出勤させられるのも珍しくなかった。
しかし今の会社は非常にホワイトだ。残業もほとんどないし、あったとしてもなんと残業代が出るのだ。残業代なんて都市伝説かと思っていたので、初めて見た時は目を疑った。
しかし仕事量をコントロールしてくれている足立には感謝だな。俺がやったらブラック体質が体に染み付いているので、仕事を受けすぎてしまうだろう。
そんなわけで一日フリーな俺は、スーツではなく私服を着てスカイタワー跡地駅に来ていた。もともとここにはスカイタワーという白い電波塔が立っていたが、ダンジョンが生まれたと同時に消えてしまった。
急に土地が余ったこの場所には、商業施設が多く立っている。俺たちの目的地もそこにあった。
「すみません、お待たせしました」
約束の時間の五分前に、そう声をかけられる。
俺はお約束の返事「いや、今来たところだ」を口にしながら、声の方を振り返る。
するとそこには、白いワンピースに身を包んだ凛の姿があった。
いつものキリっとした制服とうってかわって、やわらかくてふんわりとした印象を受ける。透明感のある、という表現があるが今の凛は正にそれだ。
「あの……どうされましたか? この服、変でしたか?」
「あ、いや。そんなことない。逆だ、凄い似合ってたから、つい見とれてしまったんだ」
「え……っ、ほ、ほんとですか? それは、その……うれしい、です」
白い肌を赤くして照れる凛。
なんだかこっちまで恥ずかしくなってしまう。
「と、とにかく行こうか。なにかやりたいこととか欲しいものとかあったら遠慮なく言ってくれ。今日は凛のために一日使うからな」
「ふふっ、ありがとうございます。それでは今日は甘えさせていただきますね、田中さん」
いつもと違う呼び方で俺を呼んだ凛は、俺の腕に抱きつき、腕を組んでくる。
なんて積極的なんだ。平常心を崩さないよう、俺は深呼吸して心頭滅却しデートに臨むのだった。
デートで最初に訪れたのは、駅の近くにある水族館だった。
中はかなり広くて色々な海の生き物を見て回ることができる。ダンジョンの中で水棲モンスターを見ることはよくあるが、こういった普通の生き物を見ることはほとんどないので新鮮だ。
俺は水槽の中をふよふよと浮かぶ小さなクラゲをじっと見る。
「……無害な生き物はかわいいな」
「私たちが相手をする生き物は危険ですからね」
俺の言葉に凛が同調する。
俺たちは動物と関わるよりモンスターと関わる時間の方が長いからな。
動物と聞くと自然とあっちの方を想像してしまう。こんな無害そうな生き物、ダンジョンの中じゃ生きていけないだろう。
「あ、見てください田中さん! こっち綺麗ですよ」
「ああ、今行く」
凛の後をついていくと、そこには小魚がたくさん泳ぐ巨大な水槽があった。
天井の窓から日が入り、小魚たちはキラキラと輝く。
それを見た凛は水槽に手をつきながら「わあ……」と嬉しそうに呟く。素直に驚くその姿はまるで子どもみたいだ。
思えば凛は、幼い頃から覚醒者として訓練を重ね戦い続けていたから、遊びに行くという経験が不足しているんだろう。だからこういうのが新鮮に感じるんだろうな。
過ぎた時間を戻すことはできないが、これから楽しい思い出をたくさん作ってあげたい。
「綺麗だな。もう少し見るか?」
「いえ……次に行きましょう。まだまだたくさん見るものはありますから」
そうして俺と凛は、水族館を見て回った。
水族館には色々なコーナーがあり、退屈しないつくりになっていた。
昨日までは凛を楽しませることができるか不安だったけど、杞憂だった。俺たちは他愛のないことを話しながら、肩の力を抜いて楽しめた。
「えっと次は……ペンギンか」
水族館の順路の最後は、ペンギンコーナーだった。
ペンギンは岩場をよちよちと歩いた後、勢いよく水に飛び込み高速で泳ぐ。
ほう、ペンギンはああやって泳ぐのか。あの泳法を真似たら俺ももっと速く泳げるだろうか。そんなことをつい考えてしまう。
「ペンギンは泳ぐのが速いな。無駄な動きもないし、たいしたもん……ん?」
凛の反応がないことに気づき、隣の彼女の顔を覗き込む。
するとなんと、凛はペンギンを見ながら涙を一筋流していた。突然のことに俺は驚く。いったいどうしたんだ? ペンギンが苦手だったのか?
「凛、どうした? 体調でも悪いか?」
「いえ……すみません。私は大丈夫です」
涙を拭う凛。
しかしその表情は悲しげだ。
俺が心配していると、凛はその表情の理由を語り始める。
「家族そろって出かけた最後の記憶が、ペンギンを見に行った日のことなんです。どこの水族館だったかも覚えていませんが、両親とペンギンを見たのはよく覚えています。私は泳ぐのが好きだったので、『ペンギンさんみたいに速く泳げるように頑張る!』と言った記憶があります」
「凛……そうだったのか」
デートで水族館に行きたいと提案したのは凛だった。
なるほど、だから水族館がいいと言ったのか。
「両親のことを思い出してしまうので、今まで水族館に行くのは避けてきました。ですが田中さんとだったら、それを乗り越えられるんじゃないかと思ったんです」
凛は俯いていた顔を上げると、俺の方を見る。
もう涙は流れていない。いつもの凛だ。
「ありがとうございます。田中さんのおかげで乗り越えることができました。私はもう大丈夫です」
「そうか。それは良かった」
俺は隣にいただけでなにもしていないが、それで支えになれていたなら嬉しい限りだ。
「あ、あっちにはイルカがいるみたいですよ! 行ってみましょう!」
無邪気に笑いながら駆け出す凛。その姿は年相応の少女に見える。
俺は彼女の後を追い、水族館を大いに楽しむのだった。




